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ショートショート113「URAMESHIYA」

 しんしんと雨の降る夜だった。川をまたぐ橋の袂(たもと) にその女は佇んでいる。

 橋が防いでくれるので雨粒が直接かかることはないはずだが、女は頭からぐっしょりと濡れており、毛先からポタポタと絶え間なく雫を落としていた。

 能面のようにのっぺりと、ただ白いその顔は、生気が失われているというより、元々そこに命といった類の熱を帯びたものは存在しておらず、ただただ無機質な物体が人の形に寄り集まっているといった様子だ。

 何か目的があるのだろうか。それともそこにいることがすでに目的なのか。ただ、ぼんやりと時折、風に吹かれて湯気が揺らぐように、力なくゆらゆらと重心を左右にぶらしながら、女はそこに立っていた。

 どろり

 不気味な音が響き、薄煙を辺りに燻らせながら、女の背後に別の女が現れた。この女もまた、白壁のような無機質な肌を持ち、そんな中で、唇だけが異様に鮮やかな朱色に染まっていた。

 小ぶりで控えめなその唇が弧を描きながら左右に拡がっていく。ニィッと笑うと現れた女は、待っていた女に話しかける。

「メンゴ、絹ちゃん。待った?」

「大丈夫、律っちゃん。今来たとこだから」

「絹ちゃんから呼び出しなんて珍しい。いつもは私から連絡入れないと会ってくれないのに」

「……それは、そういうわけじゃ。ただ、律っちゃん、忙しそうだから」

「そりゃ、忙しいのは忙しいけどさ。連絡もらったら調整するよ? 今日だってこうしてここに来てるじゃん?」

「……そう、だよね。ごめんね」

「あぁ、いいってば。声かけてくれて嬉しいよ。で、どうしたの?」

✳︎

 絹と律、二人の幽霊は顔を合わせるのは三年ぶりになる。死んでからというもの、時間は無限にあるため、特段用事がなければあっという間に年単位で時が流れていく。それでも、いざ会えば昨日まで一緒にいたかのように自然に打ち解けてゆける。

 そもそも、生まれた(死んだ)時代が全く異なるギャップを乗り越えて、親友でいる二人だ。多少会っていない時間が長いくらいは障害にもならない。

 絹は鎌倉時代に幽霊となった。律は15年前。幽霊歴がまるで違う二人だが、律のあけすけとした性格と、死んだ年齢が一緒なため、見た目は同年代であったことから意気投合し、現在に至っている。

 最初は幽霊とは何か? について律が絹に尋ねることが多かったが、今となっては絹が律に相談する、ということも増えてきた。

 今日も”相談があります”という絹からの手紙を受け、律がこの場所にやってきたのだ。

✳︎

「あのね……私が住んでいる部屋なんだけど」

「あ、最近引っ越したってところだよね?」

「そうなの」

「どう? 新しい建物は?」

「え……と、調子はよくて。もう三人は住人を追い出したわ」

「いいじゃん! 順調じゃん!」

「それが……今、住んでる人が」

「人が?」

「……言葉が通じないの。”うらめしや〜”って言っても”はん?”だか”あっと?”なんて言って、取り合ってももらえなくて」

「え? それって、もしかして目青い? 髪の毛、金髪?」

「目は確かに青かった。金……髪? って」

「あ、髪の毛。黒じゃなかったでしょ?」

「あ……そうだった」

「ありゃぁ、そりゃ異国人だね。私の時代ですら、いろんな国の人が日本に来てたからなぁ。今はもっとなんだろうなぁ」

「それでね、律っちゃんは、学……校? っていうところで違う国の言葉も習っていたんでしょう? 私にそれを教えて欲しいの」

「いや、確かに授業はあったけど、そんな本場の異国人に通じるレベルじゃ……え〜と、う〜ん。あ! そうだ」

「なに?」

「これなら、簡単! 向こうの幽霊は”Boo!!”って言うのよ」

「ぶー?」

「ほら、やってみ? ぶーー!!」

「ぶ、ぶーーー!!」

「どう?」

「……できなくはないんだけど、これで想いが伝わるのかしら」

「絹ちゃん? 一体、何を伝えたいの?」

「え……とね、”あなたが好きになってしまいました”って伝えたいの」

「……絹ちゃん」

 絹の頬が紅く染まる。それは、のっぺりとした白い肌によく映え、一際鮮やかに浮かび上がるのだった。

<了>


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