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意味がわかるとこわい怪作~『昭和の三傑』

今年に入ってから趣味の読書が理系チックな方面に傾きすぎているので、たまには趣向を変えようと自宅の未読本を物色したところ発掘された本書。某月刊誌に連載されている対談で本書の著者を知り、またその著者の出している本がテーマ的におもしろそうということで入手はすませていた。ところが、ほかにも読みたい本が次々出てくる中で存在を完全に失念。日本史がらみの本はしばらく手に取っていなかったので「そっち方面の読書を再開するきっかけになれば」とかるい気持ちで読んでみた。

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「コペルニクス的転回」か、はたまた換骨奪胎か

本書の特色は、著者が改憲派の立場から日本国憲法9条の発案者について「幣原発案説」を展開するという点につきる。まあでもわたしはこのあたりの話には全然くわしくないし、大体こんなのはえらい人が書評なり解説なりをちゃんと書いているはずだからわたしの出る幕はない。今回はツイッターで本の紹介だけしてレビューはサボろう。そう考えてほかの人の書いたレビューなどを検索してみるものの、肝心の点をきちんと指摘するコメントが見当たらない。本書の単行本が刊行された直後に出た書評では「コペルニクス的転回」という表現が使われているようだけど、評者はわかっているのかどうなのか文脈を見るだけでは判然としないような書き方でこまってしまう。すくなくとも「幣原説」そのものが斬新みたいな単純な話でないのはたしかなんだけど。しょうがないので、わたしなりの解説を試みたい。

まず本書の特色の意味を理解するにあたって、押さえておくべき文脈がいくつかある。
1.9条の発案者については「幣原説」だけでなく「マッカーサー説」(さらに両者の合作説)などいろいろな説が以前から出されている
2.「マッカーサー説」は「押しつけ憲法論」と親和性が高いため、改憲派から支持を集めやすかった
3.対する「幣原説」は「押しつけ憲法論」と対立する見解で、護憲派から支持を集めやすかった

なおこのあたりの事情については、たとえば上の記事で手短に解説されている。以上をふまえると、改憲派の立場から「幣原説」を展開するというスタンスの異質さが見てとれる。要するに「幣原説」を取りながら現代の改憲論へと接続するシナリオを検討している点が本書最大の見どころで、ここには従来護憲論との結びつきが強かったはずの「幣原説」を換骨奪胎しようとする大胆不敵な姿勢さえ感じ取れる。本書に「コペルニクス的転回」が用意されているとするなら、それはまさにこの点だろう。

計算通りか、それとも……?

といっても、著者ご本人がこうした文脈をどこまで意識していたのか、よくわからない部分もある。実際、著者は「文庫版まえがき」で本書が中曽根元首相から「トンデモ本扱い」されたとし、「本書は通説に反する異説を述べるのだから、シッペ返しを覚悟はしていた」と述べる。前口上に目を通しただけでは本書の中身は当然まったくわからない。ただ、この書きぶりからすると著者は自信をもっているんだろうなと考えながらわたしは本書を読みすすめた。しかし読み終えてみると、著者への印象はかなり変わってくる。

たしかに中曽根元首相から「トンデモ本扱い」された理由が「通説に反する異説を述べ」たからという可能性はありうる。でもそれ以上に護憲改憲論との関係から、本書で展開される「幣原説」も先入観をもって読まれた可能性の方が高いのではあるまいか。すくなくとも「幣原説」に対して肯定的評価を与えれば、それが政治的メッセージと解釈されかねないことくらいは元首相ならさすがに自覚していたにちがいない。くり返しになるけれども、本書は「幣原説」と改憲論を接続した点に特色があり、そしてそれゆえ政治の世界で総理大臣にまで上りつめた(そして典型的な改憲派と見なされてきた)人物から認められなかったとしても、わたしはそれほど意外とは感じない。

著者は「『大勲位』から、紙ツブテが飛んで来たのには驚いた」と述べ、中曽根氏への「公開質問状」を書いている。自著の評価に対して納得がいかない場合に反論するのはまったく問題ないとおもう。他方、この反論文は「幣原説」の論拠をならべる下りが大部分を占め、「大勲位」から不評を買ったそもそもの理由を十分に分析できていない雰囲気がある。「公開質問状」には著者が中曽根氏に直接会って話をする場面も描かれているけれど、両者の会話がどことなくすれちがっているように見えるのもそう考えると納得できる。このように、改憲派の立場で「幣原説」を展開しながらその意味や受け取られ方について著者ご本人はそこまで深く意識していないような、どこかちぐはぐな気配が本書には漂い、個人的にはやや当惑する面もあった。

諸説あるらしいです、知らんけど。

ほかに注意すべき点があるとすると、まず改憲論と親和性の高い「幣原説」を構築するという試みは本書が初ではない可能性はある。ただ、昭和の終わるあたりまで本邦では改憲論を主張すること自体表立ってはやりにくい空気があったようなので、改憲論と親和性の高い「幣原説」などというものはなおさら表に出てくるのがむずかしかったのではないかという気はする。他方本書の単行本は冷戦構造も55年体制も崩壊した2004年に刊行されており、「コペルニクス的転回」の登場した時代背景まで考えるとなかなか感慨深いものがある。

それから本書は研究者の書いた学術書ではないし、実際のところ本書の「幣原説」にどこまで説得力があるか、わたしにはよくわからない。結局どの説が有力なのかを知るためには、専門家の書いた本を読む以外ないだろう。ただ終戦から講和あたりまでの時代について書かれた本でも読んでみるかとモチベーションがほんのすこし上がったので、結果として今回の読書は実りの多いものになったと感じている。

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