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10年越しの再会~『狂気の科学者たち』

『ウソの歴史博物館』(アレックス・バーザ著、小林浩子訳)という本がある。古今東西のウソやインチキの数々を集めて手短に紹介した雑学本で、わたしは書店で見かけて衝動買いしたのをおぼえている。この本は本文も大変おもしろいけれど、ペテンの陳列を全部すませたあとで述べられる「著者あとがき――だまされない方法」がまたすばらしい。ネット上におけるフェイクニュースの氾濫を予見していたかのような内容で、いま読み返しても古さを感じさせない。

とにかく個人的には場外ホームラン級の当たりだったので、「訳者あとがき」の「2006年4月に第2作が刊行された」という情報を見つけたときには非常に楽しみになった。わざわざそんな話が解説に書かれているということは第2作もいずれ邦訳が出るのか。そんな期待を持ちながら気が向いたときに刊行予定の情報をチェックするなどしていたところ、2009年に新刊が出た。タイトルは『歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル』。こちらの本は風変わりな科学実験をテーマにしたもので『ウソの歴史博物館』とはテーマが異なるらしい。しらべてみると著者はたしかに同一人物だけど、2006年4月に刊行されたという第2作とはべつの本の翻訳とわかった。とはいえこの著者の書くものなら十分期待できそうだし、科学実験というテーマも魅力を感じた。

ただ単行本はスルーした。『ウソの歴史博物館』がすでに文庫本として刊行されているから、これも文春あたりからじきに文庫化されるんだろうとわたしは予想していた。ところが待てど暮らせど文庫化の気配はない。そのうち文春から『世にも奇妙な人体実験の歴史』が2016年に文庫化された。タイトルは似ているけれどこれはまたべつの著者の本で、文庫化されたら手に入れようと考えていた本のひとつだった。しかしこれだけ待ってダメとなると『奇想天外な―』の文庫化はもう望み薄かも……。半ばあきらめ存在を忘れてかけていたころ、新潮文庫の新刊予定に『狂気の科学者たち』というタイトルを発見。著者の欄に「アレックス・バーザ」の文字を見つけたときは飛び上がりそうになった。見覚えのないタイトルだけど、どうやら文庫化にあたって『奇想天外な―』を改題したらしい。単行本の刊行からすでに10年が経過しているとはいえ、待ちに待った文庫化となれば図書館ですませるわけにはいかない。わたしは発売直後に本書を購入した。

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「ヤバい科学実験」もあるけれど

文庫化までの経緯にいろいろ感慨深いものがあったので語ってみたところ、すっかり長くなってしまった。能書きはこのくらいにして内容を見ていくことにする。

『狂気の科学者たち』という書名、そして帯に大書された「ヤバい科学実験」の文字からは倫理観の根本的に欠如した科学者が危険な人体実験を行う様子がどことなくイメージされる。実際最初の章は「フランケンシュタインの実験室」というタイトルで、ここでは死者をよみがえらせようとして行われたような実験が紹介される。一方でおどろおどろしい実験は最初の章に集中していて、次の章からはあまり姿を見せなくなる。たしかに「人間の記憶を完全に消去することは可能か」「吐瀉物を飲んだ医者の話」など危険な人体実験も一応登場する(このふたつの実験は『世にも奇妙な人体実験の歴史』でも紹介されている)。被験者の肉体に強い負荷をかけるような実験という意味では「11日間起きつづけるとどうなるか」「性的指向を変える快楽ボタン」あたりも入ってくる。また被験者が人間ではない実験までふくめると本書の原題になった"Elephants on Acid"、つまり「LSDを打たれたゾウ」なども入ってくるだろう。とはいえ本書はグロテスクな人体実験をそんなに多く取り上げているわけではなく、むしろライトな実験が大半を占める。正真正銘の人体実験をテーマにした本なら『世にも奇妙な人体実験の歴史』に軍配が上がる。

これはペテンか実験か

本書の持ち味はむしろライトな実験にある。著者はまえがきで、いかさまやいたずらと奇想天外な実験のあいだには数々の共通点があると指摘する。

「研究者がある状況を観察して『ちょっと手を加えたらどうなるだろう?』と考えたときから実験は始まる。研究者は実験的操作を加え、その結果を観察する。基本的にいかさまやいたずらもこれと同じ道筋をたどるが、途中でとんでもないウソが加わる点だけが異なる。もちろん、本書でも紹介するように、研究者が実験の過程でズルをすることも少なくはない。被験者が疑いを抱かずにうまく信じこむよう巧妙な策略を練り、それをぬかりなく実行するために、何日もかけて実験のリハーサルをすることもある。こうなるともう実験はいかさまと紙一重だ」(p.6)

ここにはウソやインチキをテーマに本を書いている著者ならではの観察力が遺憾なく発揮されている。その意味は人間の感覚や心理をテーマにした実験の具体例を見ると理解しやすい。たとえば「ワインの専門家は赤く染めた白ワインを見抜けるか」の実験。これは科学者が食用色素で赤く染めた白ワインを専門家に飲ませてコメントをもらうという内容だけど、ワイン通にニセモノの赤ワインを飲ませるという点だけを切り出せばいたずらと見分けがつかない。もちろん、この実験は専門家の鼻柱を折るために行われたわけではない。ただ心理学的な実験も悪ふざけのドッキリも特殊な状況に置かれた相手の反応を知りたいがために行われるという点ではたしかに共通している。実際「『忠犬』は本当に飼い主を助けるのか」の実験は、テレビ番組「トリビアの泉」で放送された内容とあまりにそっくりで笑ってしまう。

このような事情から、本書は心理学の実験が充実している。たとえばロフタスのショッピングセンターでの迷子研究、ダットンとアロンの吊り橋実験、ミルグラムの服従実験、ジンバルドーの監獄実験、ダーリーとラタネの傍観者実験、フェスティンガーの認知的不協和理論……。これらの実験は人体を著しく傷つけるような危険な実験でもなければ自然科学の「ヤバい」実験でもないという意味で、たしかにおどろおどろしさはない。一方、これらの実験には被験者に対して精神的な意味でかなりのプレッシャーをかけるものもふくまれる。そして列挙してみるといずれも有名な心理学の研究ということに気づかされる。「ヤバい科学実験」を売り文句にしている本書だけど、ドッキリと区別がつかないような心理学実験をまとめて紹介している点に本書の特色があると個人的には感じたし、ここをもっと前に押し出してもよかったのではという気もする。

俗説の起源

またある種の俗説としてそこそこ知られているような話題を取り上げ解説している点も本書の特色だろう。たとえば「モーツァルトを聴くと知能が上がる」という有名な話について、著者はもとになった研究を紹介した上で、その後さまざまな検証実験が行われ否定的な結果が出たとする。ほかにも「共同生活する女性の生理の周期がそろう?」「睡眠学習法」「子どもの食べたいものだけ食べさせたらどうなるか」「魂に(物質的な意味での)重さはあるか」のようにどこかで耳にしたことがありそうな話題が紹介されている。このあたりにも『ウソの歴史博物館』を書いた著者ならではの持ち味が反映されている。

あらゆる意味で対照的な2冊

わたしは『狂気の科学者たち』(あるいは改題前の『奇想天外な―』)というタイトルから、本書のテーマは人体実験だろうと考えていた。そして『世にも奇妙な人体実験の歴史』はすでに読んでいたので、今回の本と内容的にかなりの部分で重なるだろうと予想した。しかし読み終えると、この2冊は似ているようで内容はほとんど重なっておらず、それどころかまったく対照的だと気づかされる。

『世にも奇妙な人体実験の歴史』は人間の肉体的限界を知るために行われた実験を中心に紹介している。ところで、その種の実験で仮に肉体の限界をこえた負荷が被験者にかかったらどうなるだろうか。被験者は最悪死ぬか、よくて人事不省といったところだろう。そしてそんな危険な実験で赤の他人を(それも相手の意思を無視したり、相手にリスクを十分説明しないまま)実験台に使うことは、ふつうならためらわれるにちがいない。もちろん現実には倫理的でない実験も数多くあるけれども、すくなくとも『世にも奇妙な人体実験の歴史』で取り上げられる実験は研究者が自分自身を被験者にしたものが多い。自己実験というテーマは原題のサブタイトルからも明確に読み取れる。

対する『狂気の科学者たち』で紹介される実験は人間の感覚や心理を解き明かすことを目的にしたものが中心のように見える。この種の実験は人間の肉体的限界をしらべる実験とは異なり、被験者が死んだり身体に障害が残るような重いケガをしたりする危険は基本的にない。同時に、この種の実験は自分自身で試すことが原理的に不可能という点に特徴がある。要するに自分で考えたドッキリを自分自身にしかけてもドッキリとして成立しないというあたりまえの話で、どうしてもやりたければ自分以外のだれかに被験者になってもらうしかない。また事前に実験内容のすべてを被験者に説明すると実験結果に大きな影響が出ると予想される場合、一部の情報は伏せた上で協力を求める形にならざるをえない場面も出てくるだろう。以上の理由から『狂気の科学者たち』で取り上げられる実験の被験者は多くの場合他人ということになる。

このように『狂気の科学者たち』と『世にも奇妙な人体実験の歴史』ではコンセプトがまったく対照的な様子が見てとれる。そして両者ともにクオリティは高く、優劣はつけられない。そもそも両者の優劣を論じることはナンセンスと言える。紹介されている実験の危険性が高いから悪趣味、危険性が低いから大したことがないという話でもなければ、自分を被験者にした実験を集めているから高尚、他人を被験者にした実験を集めているから卑俗という話でもない。注目すべきは実験のデザインが実験の目的にあわせて適切に選択されているかどうかだろう。この2冊は個別に読んでも十分楽しめる本だけど、コンセプトのちがいを意識しながら読みくらべると個別に読むのとはまたちがった風景が見えてくるようにおもう。

ところで「第2作」はどうなったの?

最後に『ウソの歴史博物館』で紹介されていた「第2作」とは結局なんだったのかという話にふれておきたい。これは"Hippo Eats Dwarf"というタイトルの本で、2021年4月の時点で邦訳はされていない。検索してみると、著者のアレックス・バーザはこれ以外にも数冊の本を出しているようだけど、邦訳があるのは現在のところ『ウソの歴史博物館』『狂気の科学者たち』の2冊だけと見られる。アレックス・バーザは残念ながら本邦では広く名前を知られている作家ではないはずで、そんな人物の著作がふたつも日本語で読めるだけで十分恵まれている気はする。とはいえ個人的にこの作家はもっと評価されていいと感じるのも事実だし、ほかの著作の邦訳を期待する気持ちも大いにある。そんなささやかな願いを抱きつつ、今回はレビューを終えることにする。

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