英国流のユーモアがさえわたる~『世にも奇妙な人体実験の歴史』
※この文書は2018年9月にツイッターとブクログに投稿したレビューを転載したものです。
日本人がイグ・ノーベル賞の常連になって久しい。2018年の「医学教育賞」にえらばれたのは堀内朗医師。堀内氏は大腸の内視鏡検査を座った姿勢でできないものかと考えて自分の体でくり返し試したのだそうで、これが受賞理由になった。自分で自分の尻に内視鏡を入れる光景を想像するとかなりシュールだけど、これも自分の体を張った立派な人体実験だろう。実際医学の発展をひもといていくと、人体実験はさけて通れない。というのも、効き目があるかどうかを判断するには最終的にヒトで試してみなければわからないから。
本書はそんな人体実験をテーマにした一品である。しかし紹介される数々の例はどれもこれも強烈なインパクトを放っている。なにしろ医療倫理などという「しゃらくさい」ものの存在しない時代に行われていた人体実験のすさまじさたるや、現代に生きるわたしたちの想像をはるかにこえている。では本書が陰惨なトーンになっているかといえばそんなことはなく、むしろ正反対である。それはやはり科学者が自分自身の体を使って決行した人体実験を本書が数多く取り上げているからだろう。原題のサブタイトルが示すとおり、本書を貫くテーマは「自己実験を行った人たちに対する賞賛」である。また英国流のユーモアを感じさせる文体が随所で危険な笑いを生み、これが読者におそろしさを感じさせつつ先を読ませる効果をもたらしているのも見逃せない。海外ジョークの翻訳はむずかしいというのが相場であり、訳者の気苦労が想像される。まずエンターテインメント作品として本書は質が高い。
そして意外にと言っては失礼だけど本書は本格派でもある。たとえば本書で紹介されるエピソードのいくつかは『代替医療解剖』でも言及されている。『代替医療解剖』はよくもわるくも生真面目な本であり、読みくらべてみるとおなじ話題の解説でもこんなに変わるのかという発見がある。とりわけ19世紀ごろまでの医療の実態について説明した下りを比較すると興味深い。『代替医療解剖』には「英雄的治療」(瀉血や下剤の投与、水銀・ヒ素の大量投与のように患者の身体を傷つけるタイプの治療)が19世紀半ばまでは主流で、富裕層ほど過酷な治療を受けたと書かれている。そして20世紀以前は「英雄的治療を受けるくらいなら、何も治療を受けない方が良かった」という。本書にも、18世紀イギリスの医療水準について述べる下り(3章)にそのような記述が見つかる。ではお金がなくて正規の治療を受けられない人はむしろ幸運だったのだろうか?現実はそんなに甘くない。本書によると、19世紀ごろまでは「病気とは貧民街で生まれるものであり、そこから立ち上ってくる『伝染性の瘴気』によってまともな市民に感染するもの」と考えられていたという。実際ジョン・スノーがコレラの感染経路を調査をしたあとも、「コレラ瘴気説」は根強かったと書かれている。それゆえ「医学の進歩のために貧乏人を(医学実験に)使うのは妥当なことだと考えられていた」という。また「幼児(特に孤児や『知能障害者』)を実験に使うことは、二十世紀の前半までふつうのことだった」とも書かれている。「英雄的治療」と無縁なら安心、とはとても言えないわけである。もっとも「患者たちも、医師たちにとって手軽に実験に使える存在」で「末期患者は、薬物テストの被験者に最適と見なされた」とのことなので、どう転んでも安心など無いという救いようのない結論になってしまうのだけれど。いずれにしても、こうした側面に『代替医療解剖』はふれていない。
本書をさらにすぐれたものにしているのは仲野徹氏による解説である。とくに重要なのは最後の下り。
「人体実験など過去の事、他人の事と思ってはいけません。インフォームド・コンセントにもとづいて病院でどういう治療をうけるかは、患者さん本人が決めなければならない時代になってきました。どの治療法を選択するかは、ある意味では、自分自身の命を懸けた人体実験に参加するということです。(中略)さて、実験者として、自らの『人体実験』についての決断ができそうですか?また、肉親がそのような『人体実験』に臨まなければならないとき、正しく判断できそうですか?」
そう、これこそ医療について考えるとき一番基本的な問題のひとつだとわたしはおもう。といってもどの治療法がもっとも「成功の見込みが高そうか」「危険が低そうか」を判断すること自体はそんなにむずかしくない。そんなものは臨床試験のデータに明確な数字で現れてくる。本当にむずかしいのは「成功の見込みが高そうな方法ではなく、低そうな方法をえらんでしまうケースがあるのはなぜか」だろう。というのも、この場合も治療を受ける本人(あるいは家族)が「そっちの方が【正しい】」と判断した結果であることはおそらく間違いないからである。どの方法が一番成功の見込みが高いか知らないために判断を【誤る】ことは当然ありうる。しかしたとえばガンを患った人が代替医療に手を出すような問題の背景は、患者側の無知だけで説明しきれるものでは決してない。「【正しい】判断とはなにか」という問題は見た目ほどかんたんではないのである。そしてこの論点設定こそ『代替医療解剖』に欠けているものだということは、以前のレビューでも指摘したとおりである。本書は代替医療について解説した書物ではないし肩の力を抜いて楽しめる本だけど、『代替医療解剖』と読みくらべることで意外な奥深さを見せてくるようにおもう。
そんなわけで本書は大変すばらしいのだけれど、気になったところを最後に一点だけ。本書は華岡青洲の全身麻酔手術や日本人のフグ食など、日本人が関係するエピソードを比較的取り上げている。ただ寄生虫の章でせっかく住血吸虫を取り上げているのに「日本住血吸虫」の話がないのは非常におしい。「日本住血吸虫」といえばWikipediaの記事がよくまとまっていることで有名だけど、あの研究史はもっと広く知られていいとおもう。
当時としては極めてめずらしい感染者からの献体がなされたり、自分の体で感染実験をした医師がいたりするので、本書のコンセプトにもピッタリだとおもうのだけど。