『同性婚と司法』千葉勝美(岩波新書ー新赤版2008)憲法の壁を乗り越える #10

読んだきっかけ(まえがきにかえて)

岩波新書新赤版の2001番以降をどれから読んでいこうか、と新刊近刊ページを眺め考えていたら(ものすごく愉しい)、朝日新聞デジタルに以下の記事が出た。

たしかこのテーマの新刊が出ていたような、と思いだし、まず読む三冊のうちの一冊として手にとる。

僕は法律にも疎く、ラインナップのなかでもこの本はひと際退屈難解そうで敬遠していたが、ニュースの出たいまのこの機会を逃せば、余計に読まなくなりそうでもあり、まず真っ先に読むこととなった。まさかこれから読むことになるとはね、と自分でも驚いている。

内容と雑感

さきにも書いたが、僕は法律には疎い。この日本社会に暮らして四十年以上になるが、恥ずかしながら憲法のことはまるで不案内だ。
憲法二十四条、などと云われても文言はおろか、どんな内容かさっぱりわからない。

大学一年生のとき「日本国憲法」という一般教養科目があって、二百人以上入る階段状の巨大な講義室で、週一度の講義を半年間受け、単位も取ったような気もするが、憶えているのは、大学の授業ってすげえ規模だな、てことくらいで、肝心の中身についてはチンプンカンプンであった。

理系で長いこと学んだから、原子番号なら二十四番がクロムCrで、第四周期六族元素、電子配置はこれこれで、価数はどうとか、性質は大体こんなかんじだろう、と云った推測はつくが、憲法二十四条、となるとこういう予測はまるで働かない。

そして驚くべきことに、憲法も周期表も、どちらもよく知らなくても、ふつうに生活していくうえでは全く問題がない。知っていてもあまり役に立たない、と云う意味では法律も化学も大差がない、と云えるかもしれない。

いま何気なく、ふつうに(生活できる)、と書いた。これは僕のようなシスヘテロ男性とっては、という意味である(こう云うのもアンコンシャスバイアスなのかもしれない)。

かつての僕は法律婚に消極的で、妻に押されて何となく婚姻したが、そのことで結果的には子を持てたし、家を借りたり両方の実家とやり取りしたり、子ができてからは僕の実家で母とともに暮らし、家族共通のクレジットカードを作ったり、といったことを何の障壁もなくできている。それくらいぼくにとっては「ふつう」のことなのだ。

婚姻していなくても子を持つことは可能だが、僕自身は難しかっただろうとおもっている(実際、子ができたら婚姻する、と云うケースも多いと聞く)。他のことだって、がむばればできるかもしれないが、いちいち面倒くさくてスムーズにはいかないだろう。

LGBTQ+のひとたちは、そう云ったふつうの生活が、知らなくても生きていけるはずの法律によって、阻まれている。切実である。

最大の壁は、憲法二十四条にある「両性」「夫婦」ということばだ。
この本は、その憲法の壁を(変えずに)乗り越える方法を模索する。

法律に纏わる本は読むのはほとんどはじめてだったが、論理の組み立ては数学のように精緻で、文言に多少の難しさはかんじるものの、展開を追いかけるさまは難解な証明問題を解くのに似て、興奮しながら読む。
論理は明快で、解釈の余地があり、ときに大胆な仮説を立て、他の似た例を引き合いに出して、自説を試験し、鍛え、補強していく。

他国や過去の別の判例を通って、回り道をすることで壁を乗り越える(或いは迂回する)すべを探る。
数学でも、代数の問題を幾何に置き換え、そちらの理論を使って問いを解し、また元に戻す、と云ったやり方をすることが儘ある。
この法律の解釈もまったくおなじやり方で、組み立てはまさに数学的、と云える。

極ごく少数ながら声の大きな自民党議員(とそれを取り巻く勢力)によって、同性婚(を含むあらゆる古びた制度)を変える立法は阻まれている。国民の七割以上が同性婚に賛成しているにもかかわらず、だ。もはや政治には期待できない。ならば司法が後押ししなければならない。文章からは、そう云った著者の熱い想い、強い決意が随所にかんじられる。

意外だったのは、同性パートナーシップ制度は必ずしも解決策にならず、どころか不完全な場合には新たな差別を生む可能性さえある、と云うことだ。
パートナーシップ制度は、異性婚とほとんど同じでなければ意味がなく、異なる場合には区別が生まれてしまい、憲法の平等の精神に反する、と云うことのようだ。

この本に言及はないが、これは夫婦別姓とも関わる問題ではないか。
たとえば、異性婚と遜色ないパートナーシップ制度ができて、法律婚かパートナーシップ制度かのどちらを、異性同士でも選択できる社会ならば(じっさいそういう国もあるらしい)、現在の法律婚(による不利益)は事実上意味をなさなくなり、別姓婚も同性婚も可能な社会が実現するだろう。
しかしそのような開かれた制度でなければ、区別が生じることになって、問題が残る。
ならば憲法の解釈をかえ、法律婚の枠組みを拡げるほうが善い。

この本で展開された著者の主張を、現役の判事たちがどう受け取り、またこれからつづく高裁判決、さらにそのさきにある最高裁判決で、どう反映していくのか、しっかりと見守りたい。

現在の政治的閉塞状況を打破するには、世論の後押しも重要で、司法も社会通念の変化を取り入れなければならない、とも書かれていた。
当事者でない僕らが、この本を読むなどして、関心を持ちつづけていれば、それがひいては性的マイノリティのひとたちの後押しとなる、と云えるかもしれない。

LGBTQ+のひとたちが、差別されることなく、ふつうに暮らせる社会の、一日も早く実現されることを望む。

本の情報と読書の記録

2024年2月20日刊。202頁。1,012円(税込)。版元の紹介文は以下。

元最高裁判事の著者が同性婚を認めない法律の違憲性を論じる。日本は同性婚を実現できるか。同性愛者の尊厳をかけた注目の一冊。

同性婚と司法 - 岩波書店

で、主な章立ては以下のとおり。

第一章 日本における多様性、LGBTQ問題のいま
第二章 日本の五つの同性婚裁判
第三章 米国の積極的司法とその背景
第四章 日本の積極的司法の先例とその背景
第五章 同性婚を認めるための二つの憲法解釈の提案

xi〜xiii頁

著者の千葉勝美氏は元最高裁判事。
専門書の著作は幾つかあるようだが、新書はこれがはじめてのようだ。
裁判官らしい硬質な文章で、また重複する箇所があったりもするが、それも誤解を避けるためなのだろう、読みにくい、というほどではなく、むしろ僕のような法律初心者には、噛んでふくめるような進みかたで、ありがたかった。著者78歳の作。

どのような裁判に関わられてこられたのかなど、経歴の詳細は存じ上げないが、最高裁判事までつとめあげ、司法と云う権力の中枢、そのど真ん中にいた方から、このような主張が展開されたことに驚いている。
政治がポンコツだと司法が積極的にならざるを得ない、と云うことなのかもしれない。

この本を僕が読みおえたのは、2024年3月28日で、13日間かけて読んだ。
角田光代訳『源氏物語(下)』と並行して読んでいたため、少し時間はかかったが、おかけであれこれ考えながら、じっくり読みすすめることができ、結果的にはよかったとおもっている。

はじめて読んだ法律の本は存外オモチロくて、読まず嫌いも少しは解消されたようだ。
これからもモリモリ読んでいけるといいなあ。

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追記(2024/04/09)

同性婚訴訟の裁判資料等のまとめられたサイトをコメント欄にてお教えいただいたので、本文にも追記という形でシェアさせていただく。ページからは支援も行える。情報ありがとうございました!


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