『安楽死が合法の国で起こっていること』児玉真美(ちくま新書)母のこと祖母のこと【読書感想文】#42

児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』を読む。ちくま新書1759。

しばらく前に読みおえていたが、良い本で、ちゃんと書きたいとおもっているうち、日が過ぎてしまった。

良かった本ほどそう云うことになりがちで、けっきょくは内容を忘れてしまって、いい加減なことになる。

まとめようなんておもわないほうがうまくいくのかもしれない、人生も本の感想も。


僕の母はよく、日本でも安楽死が合法化されてほしい、と云っている。

曰く、老いさらばえて他人の世話になりたくない、だとか、苦しんでまで生きていたくない、或いは、あんた=僕に迷惑をかけたくない、のだそうだ。ありがたいことである。

八十歳を過ぎたら、苦しまずに死ねる薬を医者に出してもらって、安らかに死にたい。

どこまで本気か知らないが、そんなことを稀に口にする。

不幸なわけではない。酒を好み、ゴルフという趣味があって、親戚もみな近くに住み、友人も多い。蓄えもある。

文字通り、生き生きと生きている。

そんな母をして、いずれは安らかに死にたい、などと云う。


数年前、その母に初孫ができた。

それはつまり僕の子であるが、みなで彼の誕生を歓び、成長を愉しく見守る日々を暮らしている。

毎日の晩酌で、酔っ払う度、母が云う。

Tちゃん二十歳になったら一緒にお酒呑もうね。それまでは元気に生きるのが、いまの私の目標。

子のTは母が六十三歳のときに生まれた。

つまりは彼の二十歳になるとき、母は八十三歳になっている、ということになる。

あれ、八十歳を過ぎたら安らかに死にたい、て云ってなかったっけ。

線引きはしれっとシフトしている。


母が安楽死を望むのは、自らの母親、つまりは僕の祖母を見てきているからかもしれなかった。

祖母は九十歳近くまで僕や母と共に暮らしたが、衰えから生活のさまざまが段々に難しくなって、ホームヘルパーやデイサービスを利用しつつ、さいごには特養へ入ってそこで3年ほど過ごしたのち、亡くなった。二、三年前のことだ。

晩年、歩行は困難になったが、食事は最期まで匙を使って自分で取れていたし、会話もゆっくりではあったが、何とか僕らのことを認識できて、最晩年までコミュニケーションを取ることができた。

年相応、だったとおもう。

それでも実の母親となると、やはりショックなのだろう。
元気だった頃を知っていると、できなくなったときの落胆も大きい。
母は祖母のできないことをよく叱っていた。

あんなふうにはなりたくない。

母の憤りには、自分もいずれこんなふうになるのかもしれない、と云う感情もふくまれていたかもしれない。

それならいっそその前に、衰えて動けなくなって、周囲に生かされているような状態になって、醜態を晒すくらいなら、いっそ楽に死を選びたい、と母はそんなふうにおもったのかもしれない。

それは祖母もおなじだったかもしれない。

生前のさいご十年間くらい、死にたい、死にたい、と祖母のよく云っていたのを思い出す。

それでも僕らが逢いにいけば喜んでいたし、日々の生活を叮嚀に生きていた。

あの「死にたい」が本心だったとは、側で長く暮らした僕には到底思われないのだ。ひとの心の奥底はわからないとはいえ。

いや、そんなことを言ったら僕自身の心根だって、ほんとうにはわからない。

わからないから僕は飽きずに本を読んでいるのかもしれない。僕は何者なのか、なぜ生まれてきたのかをわかりたくて。


と、この本を読んでいてそんなことを考えた。

内容の細かいところをいつも忘れてしまうけれど、祖母のことを思い出したり、母を思って笑ったりと、読みながら考えたことだけが残る。

僕は選んで生まれてきたわけではなかった。みんなそうだ。ひとは誰しも生まれてくるときを決められない。

だったら死ぬことだっておなじなんじゃないか。死ぬときを決めたい、なんて傲慢なんじゃないか、とそんなこともおもったりした。


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