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気持ちはそうそう分からなくても同じ景色を見れることがある

エコ優先の私は、便利さ優先する人の気持ちが分からなかった
平和主義優先の私は、戦争を容認する人の気持ちが分からなかった
差別が嫌いな私は、差別的な人の気持ちが分からなかった

みたいなことがいくつもいくつも重なっていくにつれて

だんだんと

「話してみれば、けっこう同じ景色を見ている」

ということがハラオチしてきた。

例えば、

お互いに平和を願ってる。
ただ、「平和」が意味するものが人によってちょっと違う。

お互いに、自分のことを大切にして欲しいと願っている。
だからないがしろにされていると感じると傷付き合う。

お互いに、未知で不慣れなものは怖くて偏見を持つ部分を持ってる。
それは「あってはならない」ものじゃなくて
「どうしても持ってしまう」からこそ「うまくコントロールして折り合いをつけていく」もの。
「あんたの持ってるそれ、変だよおかしいよ」て指摘しあうより
「これ、あるね。どうしようか、一緒に考えよ」って感じでうまくお付き合いしていくもの。

すると、
「気持ちが分からない」と思っていた人たちのことを
「その人のその気持ち」は分かりようもないけど、
「そういうこともあるもんだよなー」って思えるようになってきて
それが今度は自分に対しても
「こういうこともあってもいいんだなー」って目線を向けられるようになっていって
何に対しても
「そうかそういうこともあるか」
「このパターンもあるか」
「ふむふむこれもありえるな」
というワンクッションが挟まるように。
そんなことを積み重ねてきて今、何かあった時に
「キー!あの人のこういう考え方がおかしい!信じられない!」
て思うことが激減。
「え、そうなっちゃう?そっかー、まいったな」
くらいはたまにあるけど
「信じられない」
は、ほとんど思わなくなった。
(それだけ昔はしょっちゅう思ってたんだなぁ)

これからも仲良くしていく必要がある&したいひとに対しては
「私たち、なんだかんだいって同じ景色見てるよね」
ってことを確認しあってお互い安心できるように、
ちょっと遠くに目線を持っていくのがだいぶできるようになり

さしあたりそんなに密にしなくても良いひとに対しては
「お互いがんばろーぜ!」
て感じで、ほどよく距離をとってヤキモキしないようになった。
相手を上にも下にも見ずに、
「その人はその人のタイミングで変化していくかもしれないし
私は私で変化していくから
次に会った時にはまた、今までと違う関係が築けるかもしれない人」
として、どこかに尊重する気持ちを残したままで。

もちろん、単純に「うっわ、やだ」という感情は今でも生じるけど
それに振り回されないし、そこを超えていきやすくなったという感じ。

どんな経験も感情も、無駄にならないねー!
あ〜本当、楽になった。
楽な自分だと、まわりにいる人も楽そうで、うれしい。

(Asahikawa, Japan)