ものすごくきれいな曇り空もある

 the HIATUSの“Hunger”が好きで好きでたまらない。エロい曲が好きだ。そしてハイエイタスの醸すエロスが世界一好きだ。

 細美の声がまず好きだ。芯の強いながらやわらかな手ざわりをもっていて、その肉感は歳をとるごとに加速度的に増しているとおもう。”Hunger”は音が鉱物的なので、その声の特質は痛いほど鮮明になっている。腹に響くように重い、ぎらぎらした硬質なサウンドにしっかりと支えられて、声はいっぱいに開放されて、うねりやぬめりとも呼びたいほどの曲線性、肌を直接撫でるような色気を得ていた。シリアスな歌詞とも対照をなしているかもしれない。エロスというのは全面的に緩んでいる(つまりはしたない)のではなく、禁欲的なほど抑制された中でこそ強烈に香るのだ。この見事なコントラストに脳天撃ち抜かれてしまった。
 ひとくちに「いい声」といっても、いわゆる「イケボ」は聴いていて赤面してしまうのでわたしは苦手なのだが、”Hunger”の声は一瞬呆然とするような良さがある。オペラみたいに超越的なのではなく、人間に徹するとこうなるのか、という感じ。もともと、語尾を鼻にぬかせたり、声の入りをかすれさせたり、魅せる息づかいをするひとだとは思っていたが、これはもう圧巻だった。歌うのとても楽しかったんじゃないだろうか。歌う行為の肉体的・原初的な快感に、歌い手が没頭しているのがほんとによくわかる。それが聴き手の脳髄にも直接に響いてくる。こっちに話しかけてはいないのに、声だけであれほど性的なきぶんにさせられる歌はなかなかない。いろんな種類のある「歌のうまさ」のなかで、細美の特有のそれが十二分に生きる曲だったとおもう。

 “Hunger”の入った6thアルバム”Our Secret Spot”の曲たちは、音数が減らされたことで強い骨格がよくわかる、腰の据わったものだった。わたしのハイエイタスの第一印象は、彼ら言うところの「ピークにアバンギャルド」な4thアルバム”Keeper Of The Flame”だったので、”Our Secret Spot”の王道の展開は意外にひびいた。けれども安直な感じはなく、スケールにみあった大きなカタルシスを聴くたびに味わわせてくれる。“Keeper〜”から聴き続けてここに至ったとき、顕著に感じられたのは、音を削り出してゆく態度の厳しさであり、曲が作り手にそれを求める度合いの高さであった。
 夏目漱石の「夢十夜」に、仁王像を彫る運慶を見物している話がある。その中の印象的なせりふ。

「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない。」

 まるで簡単そうな口調だが、この言葉には、彫刻に限らず、ものをつくる人に共通する精神性の、ある極致が示されている。未だできあがらない作品から求められているものを感じとり、その形を丹念に押し出してゆくこと。シンプルなつくりであればあるほど、余分な足し算は許されない。このような強い求心力を、わたしはハイエイタスにも感じるのだ。
 しかしこれは、決して不自由を意味しないし、素朴だとか味気ないとかいうことにもならない。極限まで磨きぬかれた金属は、触れただけで指が切れるほど鋭くなるが、同時に、そこに映る光はなめらかな曲線を描くようにもなる。緊密に引きしめられたところにしか表れない、奔放なまるみがある。エロスといったのはそれだ。削ぎ落としきったところに見えてくる本質の豊かさである。

***

 近年のハイエイタスはこういう、懐の広い堂々とした明朗さを感じさせるけれども、ここまで自由になる前に、ぎりぎりで耐えていたものがあったのも知っている。わたしはその時期を同時に体感してはいないが、曲を聴くかぎりでは。

 1stアルバム“Trash we’d love”(save the worldのアナグラムになっている)の曲たちは、天体レベルの温度感を持っている。炎であれば真っ青の、ふれたものが即座に蒸発するほどの熱であるし、冷たいところは暗い氷河のように厳格に冷たい。月の表面は日向と影とで何百度の差があると聞くが、その真空に近い雰囲気だ。熱すぎるのと冷たすぎるのと、両極点が輪をなして一致してしまう超人的なエネルギーがあり、感動するというよりただ圧倒された。届かないと思った。暖かさや涼しさといった人肌の質感は、そのころにはほとんど感じられない。
 青い炎のイメージはほぼ間違いなく”The Flare”によっているが、あの曲で燃えている炎はかろやかに燃えあがるものでない。遠い天の高みへ届くはずのない手を必死にのばし、そのために自分自身をも焼いてエネルギーに変えてしまおうとするように切迫している。余裕がなさそうだった。このどろどろしたものを燃料とする拮屈した熱は、”Ghost in the rain”の突き破っていく直接性の裏に当たるかもしれない。”Ghost in the rain”も余裕があるとはいえないけれども、ああいうまぶしい透明さと、地を這う熱病の重さとが、初期のハイエイタスの両極としてあったのではないか。


 アルバム最後の曲”Twisted Maple Trees”は、この両極が止揚されたところにあるとおもう。抑制のきいたひそやかな始まりがあり、だんだんと視界がひらけるように音が重なってゆく。

You are fine (君は大丈夫だよ)
I’m wrong  (間違ってるのは僕だ)
It’s always on my side (いつも僕の側の問題なんだ)
I’m dead (僕はもうおしまいだ)
My fault  (やっちゃった)
You can not forgive me  (君は僕を許せない)

 こんな歌詞が高らかに歌いあげられたあと、まだ上へ上へとのぼりつめていく長いアウトロがあって、最後はしずかにとぎれる足音のようにおわる歌。解消しない、ほぐれることのない暗さが、刻印になって鳴っている。歌うたびに歌う人の心が傷つけられていくんじゃないかと思われるほど、むき出しの佇まいがある。絶望というのよりも、もっと硬い、手のつけようのないものだ。言葉じたいはじかれてしまう存在そのものの姿がみえるような気がする。だから、あんなにも救いがないのに、あの曲にある光はとほうもなくあたたかくて切ない。

 2017年のBend the lensツアーは新旧織り混ぜたセットリストのツアーだったけれども、そこで細美が「おれは強くなってしまったからもう歌えない曲(「ユニコーン」など)もある」と言ったので、じゃあこの曲はもうやらないのかも…とわたしはしょんぼりしていたが、その翌年のホールツアーで歌われてものすごく驚いたおぼえがある。わたしの思い入れ補正を加味したとしても、ハイエイタスの核にちかいところにある曲だろうとおもう。

 両極のあいだのグラデーションはもちろんあったが、この頃の曲はどれも「このようにしかできない」という精一杯の顔をしていた。それが比類ない迫力を生んでいたのは確かだ。聴くほうも、少なくともわたしは、聴くというより、ぐんぐん迫って入りこんでこられるのをただ精一杯受けとめるしかなかった。だから「好きすぎてつらい」が本当につらかった。
 “Our Secret Spot”は、そういえばあまり「つらい」とはならない。この色調がまったく変質したのではなく、その中で、足場を自在に、また楽しげに移動しているのが、今のハイエイタスなのだと思う。

 “Regrets”の曲名だけをみたとき、”Insomnia”みたいな暗鬱なのがくるかとひそかに身構えたのだが、聴いてみたらまったく違って驚いた。

 静かな映画をシーンごとになぞっていくような、おだやかな眼差しがあり、たゆたいさまよっても自分を見失わない落ちつきがあった。真っ黒に塗りつぶした闇ではなく、いくつもの暗さの層があり、灯りもともっている夜。細美がどこかで「悪い大人のアルバム」といっていたのがさすがに納得された。悪い大人。眠れない夜を、甘い愉しい夜に変えられる人だ。”Insomnia”には自己否定が渦巻いているけれど、ベッドの中で眼をひらいて震えているあの「僕」の手をとって、外へ連れ出してやれるような広い余白がある。そうして、夜そのものも、乗り越えられるべき恐ろしいものではなくて、それじたいが美しいものになる。ここには大きな許しを感じるのだ。


 今のハイエイタスはわたしにとても親しい。胸がねじ切られるほど重なってしまう近さではなく、肌どうしでふれたり離れたり、距離感を自由にできる親しさだ。なんというか、「大丈夫」な感じ。エロのことから書き始めてここまで来てしまったが、ともかくわたしは今のハイエイタスがほんとうにすきです。

 最後にわたしの性癖MVを載せるのでぜひ。



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