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目的を見失いたくない〈1〉 遠さから話す

 「言い方」の話をする。何かを伝えようとするとき、内容と同じくらい大切な伝え方の話を、これからさせてほしい。  いま、パレスチナでイスラエルがおこなっている前代未聞の虐殺を受けて、これを止め、パレスチナに連帯するための運動に参加しているが、参加する中で違和感を覚えることが複数あった。内実はいろいろだが共通点をいうと、目的は一緒なのに、そのための言葉の選び方や、そこに表れる態度に賛同できない、という違和感。理由もケースごとにいろいろだが、おもに、声の上げ方によって別の差別や対

    • 免許更新失敗

       誕生日が3/11だったので(おめでと〜)、4/11までに運転免許更新の講習を受けなくてはいけなくて、昨日行ったんだが視力が落ちてて、もう一回来いと言われた。試験場の職員の人たち、日々大量の手続きをこなしすぎているせいかこっちとのやり取りがすべて無情で隙のない「流れ」になっており、わたしはそういう相手に対するほど相槌が律儀に爽やかになってしまって、あとで沈んだ気持ちになる。誰でもあんなところで働いてたら「流れ」になるだろうししょうがないことだが、それゆえに、その中で「遠いとこ

      • イベント出店のお知らせ

        3/3日曜日、岐阜駅でのイベントに出店します。  イベントは二日間やってますがnyoの出店は日曜日だけです。  古書市が楽しみすぎるので席を長く空けるかもしれませんが(売り子の友人がいてくれます)、話しにきてくれるだけでもうれしいです。お近くの方は遊びに来てください。駅のなかなので来やすいよ  遠くて行けないけど買いたいという方は言ってくださったら取置きをします。イベント後に通販についてお知らせするのでお待ちください。  よろしくおねがいします

        • ガザ

           虐殺が続いている。具体的にすべきことはこちらを参考にしていて、同じことを繰り返すより見てもらったほうがよいと思うから、気持ちの面で、わたしなんかが言っていいんだろうかとか、無力感から目をそらさず、かつ、飲み込まれないために、いま思っていることを書く。後戻りできないように。  ガザで起きていることに意識的になったのは松下新土さん(@fnmr_s_)というひとのツイートを見かけてからで、12月のなかごろだったが、「知った」でなく「意識的になった」と書いたのは、知ってはいたけど

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          短歌

          ベーコンとナスのパスタのベーコンとナスが多くてパスタ見えない 明るいと明るいなりに大変であすこのハイボール濃いよ、行こ あの夜に選んでしまった一音めだから勝手に生き延びてるよ 好きなのがつらいときある 行ってないライブのフォトのみんないい顔 適切な水分量の顔文字を選んでるのでなぐさめないで 靴下を 怒られそうなこと思い出す 花柄を無地のに変える ツアーTがもうオレンジしかなくて似合わない夏だったなほんと 方形に光がもれてきてここが扉を閉じた部屋だとわかる 明け

           フェス、好きなバンドが三組以上いないと行く気にならないくせに行くときは一バンド目当てのが見れたらあとはなんでもいいみたいなゆるい構えであんまやる気なくて、でも結局めしくっててもステージの方から音が聞こえてきたら楽しくなってお箸持ったまま見に行ってしまう。メリーロックパレードに行った。今日もテンフィートだけ見れたらいいや〜と思って行ったんだけど、ヤバTやっぱり楽しかったし、キュウソでは久々にでかいサークルとサークルの間の人になって気まずかったし、まったくノーマークだった秋山黄

          展示のお知らせ

           福岡の九大伊都蔦屋書店で詩の展示をさせてもらいます。蔦美というイベントです 10/27〜31の前半と、11/2〜5の後半にわかれ、 いろんな作家さんが展示・物販をする催しです。 わたしは前半に参加します。物販はしません。 10/30と31は現地にいます。  こういうイベントが初めてなのと、文字がメインの作品で参加するのがわたしだけでクソ緊張しているため、ちらっとでも遊びに来てくれると助かります。お近くのかたはぜひ。  ちなみに椿野ワコさんと去年作った詩画集もワコさん

          展示のお知らせ

          Flare(自己肯定について・2)

           まずはじめに、前回のを書いてはっきりしたことを示しておく。
 近年とみに見かけるようになった「そのままでいい」「だめでいい」「逃げてもいい」という自己肯定的言説がある。わたしはいっときはそれを受け入れていたし、外に向けて反復的に発信してもいたが、このやり方ではわたしはわたしを肯定することができないと気づいた。あの言説が切に必要な人もいるんだろうが、わたしは違う。真に受け続けていたらおそらく無限に堕落する。自己肯定とは易きにつくことではないし、現状追認とも異なることを銘記しな

          Flare(自己肯定について・2)

          サマーパーティー

           エルレの夏ライブに行きました。でっけー星がステージの上で燃えているみたいだった。エルレ好きになった頃からどうしてもライブで聴きたかったSliding doorを今回やってくれて、うれしかったし、うれしい以上にいろんなことをいっぺんに感じていて、よくわからないまま消えてしまうといやだから、その前に書き留めておく。  歌も演奏もめちゃくちゃうまくなっていた。ライブだとわたしはふつうに聴くときよりもその曲のシンプルな存在感を強く受け取ることが多く、技術的な面になにか感じることが

          サマーパーティー

          私記17(「うつくしい」)

           攻撃的な気分が続いている。どいつもこいつも!と思うが、そう思うときはたいてい自分が一番バカである。 「うつくしい」というひらがな表記が信じられない。いや、もう正直にいうとその書き方をする人が信じられない。こういう一面的なキャンセルはただの人付き合いの怠慢だとわかっていて、わたしにとって重大なのはそのことじゃなくて、ひらがな表記をするその人に問題があるのではなく、その書き方に問題があるわけでもなく、というかどんな表記にも、言葉には本来的に問題なんぞあるわけはなくて、いつでも

          私記17(「うつくしい」)

          My Own Worst Enemy

           佐々木敦『ニッポンの音楽』を読んでいたら、YMOについての章で  とあった。耳の痛い言及なんだが、けさこれについて風呂の中でぼんやり考えていて、「嫌われるのも存在を認められるということの一つの形なのか」と思いついた。  大多数の人がそうであるようにわたしは人に嫌われたくない。嫌いな人はいるが、その相手に冷たくされたら慌てるだろう。誰かに嫌われたと思うときはなんというか「その通りです」と思う。正当に嫌われているという感じがする。いや、そもそも、自分が誰かに嫌われていると思

          My Own Worst Enemy

          醤油さし

           醤油さしの口から醤油が垂れて黒い筋がつくのが許しがてえ。垂れない仕様になっているものが圧倒的に少ない。絶対にそっちの方がいいのに垂れる仕様のものがなくならない意味がわからない。しかも垂れませんって書いてるのに垂れるやつさえある。どうなっているのだ。それともいま醤油さしって使われないのか? みんなあのプラスチックのボトルをそのまま使っているのだろうか。だとすればなおさら醤油さし業界の怠慢ではないか? 買う時点では(実際に使ってみないと)垂れるか垂れないかが判断できないから、液

          醤油さし

          エルレガーデンのワンマン

           に行った。4/5。ゼップ自体久しぶりだったし、エルレか、しかもライブハウスかと思ったら前日からめちゃくちゃ緊張してきて、ライブに行き始めて十年以上になるがまだこんな食欲なくすくらいドキドキできんのかよって、それもおもしろかった。整番5だったし。5!? ※セトリにふれているのでネタバレを避けたいひとはみないでね  まあ始まったら楽しいだけだった。ライブってすごい。何百回も聴いたのとおんなじ曲で、CD音源のほうがずっと音もよくて聴きやすいのに、ライブで聴けたらなんであんなに、

          エルレガーデンのワンマン

          所感いくつか

           バンプの18祭みて思ったことの整理。バンプのことというより自分のいま抱えている問題意識がこの機に明らかになったので、そのメモ。 ・NHKの音楽番組はアーティストを大切にして熱意を持ってつくってるのがわかるのでけっこう好きだが、この企画の「みんな一緒に」というベースが今回はかなり引っかかった。RADのときは普通に楽しんで見たので、バンドに対する自分の思い入れの差だろうと思う。あるいは「響きあう」「調和する」ということに対して持ちはじめた警戒心。バンプの「一対一」とどう噛み合

          所感いくつか

          Twisted Maple Trees(自己肯定について・1)

           自己肯定の方法を知りたいとながく思っており、他の人のやりかたを調べたりもしてみたがしっくりくるものがないので、自分で考える。好きなものやひっかかっているものから。だから徹底的に自分のために書くつもりでいる(=他人への浅ましい媚をできるだけ捨てる)。いきおい内容は偏るがしかたがない。  したがって、重要な前提として、ここでは、自己肯定感という感覚ではなく、自己肯定という行為を問題にする。自己肯定感をもつための方法ではなく、自己を肯定するための方法を考える。  the HI

          Twisted Maple Trees(自己肯定について・1)

          存在の密度

           豊田市美術館でやっていたゲルハルト・リヒター展を見てまざまざと感じたのは絵が存在であるということだった。「アブストラクト・ペインティング」では、色が、具体物の要素としての従属性から解放されて、具体的な何ものをも指示しない色そのものになって現れる位置にいる。赤とか緑とかの名前による認識がはねとばされていくスピード感と同時にその使い慣れた回路が使えず遠回りしなくちゃならないようなじれったさもあって、速いんだか遅いんだかわかんない、絵を見てるのに時間の感覚が襲ってくるのは不思議な

          存在の密度