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死んでも運は遺る

今日は父の三回忌法要でした。
命日は30日なのだが、
事情で今日行うことになった。

今のご時世から家族のみで行ったのだけど
これはそれでも味わいもあった。

快晴の空、数日前のような暑さもない。
皐月の風を思わせる心地よさが
開け放ったお座敷の向こうから入ってくる。
いつもより早く咲いたツツジも
皐月の日差しを浴びてきれいだ。

父は晴れ男で、運がいい人だったと
常々、母は言う。
亡くなったのも平成最後の年、
葬儀の日も今日のような快晴で、
親戚や父の兄弟も大勢駆けつけてくれた。

新型コロナウイルス感染などなかったので
今の自粛や自制を求められる生活も
知らずに済んだ。事あるごとに、
母は「いい時に亡くなったものだ」という。

付け足すように言葉を続けた母は、
「運のいい人は亡くなってからも運の良さを
遺してくれる」という。

それを聞きながら、なるほどなと思った。
祖父が戦争から帰ってきた時は、足が不自由に
なっていて、農作業がし難い状態だったそうだ。
そこで父は高校に通いながら一家を支えてきた。
そうして、若い頃から運を鍛えていたんだと思う。

父の運の良さ(強さ)は鍛えたからこそ
身についたものだろう。

死んでしまっては運など関係ないと思うだろうが、
その運の強さは、家族や関わりのあった人たちに
遺していくものだと思う。

それを考えていると、自分の運を安っぽく消費
してはいないか、と考えることは大切に思う。
自分には運がないと思い込む人もいるが、
生きていることだけでも運はあると思っていい。

その運はもって生まれたものとするならば、
生まれる前にその運を授けてくれた人がいた。
そのように考えてもいいのではないだろうか。
今、現生で生きている運をどのように使うか、
それを僕らは試されている。
母の言葉はそうも言っているように感じた。

父の名は満芳といい、徳があることを満たすと
書く。それに合わせたわけでもないが、
今夜は満月だ。多少雲があるものの、
満ちた光が照らしている。
どこまで、運のいい男だったのだろう。


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