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風の記憶、時の雫

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note をはじめてみようと思う。 秋晴れの空を眺めていたら、風がやってきて、 そのときにふと思ったわけです。
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2019年9月の記事一覧

不安との付き合い方

不安なときは情報がありすぎることが多い。 だから入る情報を遮断して思い切って1つにする。 その一つを自分の好きな音楽とか落語とか お気に入りにすることで不安でゆれる心は落ち着いてくる。 アスリートが試合前によくやっていることですね。 不安を感じない人はいないから、 その不安との付き合い方を身につけると コントロールしやすくなります。 歌うことや笑うことは不安という心理的要素を 運動要素に変えて放出するからもっといい方法ですよね。 不安はいろいろなところから生じるので なく

ぼっち

ひとりぼっちなぼくは がっこうにも おうちにも どこにも いばしょはなくて いつもどこかを ふらついている ひとりぼっちのぼくは ひとりぼっちを さとられないように わらったかおで  ふさいでいるかおを かくしている ひとりでいるわけではないのに こどくをかんじるのは どうして? ともだち100にん つくってみたけど こどくはどこにもいかないのは どうして? でもね ひとりでいることが  さみしいとか かなしいとか こわいとか そういうのとはちがって ひとりぼっちは こ

前へ

後ろを向いては進展はない。 横を向いては危険すぎる。 前を向いて進むのが一番安全で 一番進展が期待できるというもの。 そもそも人間は前を向いて 行動するようにできている。 そうしないのは、 生きることに背を向けたり、 斜に構えるだけで 真剣とは言えないのだろう。 生きることに真摯に向き合うのは 前を向いて行動するからできること。 人生には幾つもの潮目と言われる 変わりどきがある。 その変わりどきに自らの行動を 見直すことが重要である。 前を向いて行動していたつもりが

人として咲くということ

人というものは、ある年齢を過ぎたら、 自分が咲くことよりも自分を肥やしにして 人を咲かせることが幸せと感じることが できるようになるのではないかと思います。 その時は人それぞれに違うと思いますが、 概ね人生の後半になればそのように思う気がします。 そうは思えず、幾つになっても、 私が私が、俺が俺がという人は、 それまでの人生で徳を積んでこなかった人 ではないかと思えるのです。 立場にしがみつく人も同じ。 次代の肥やしになることも容易くはない でしょうが、そこに生きがいを

言葉の力

言葉の力。 それはどういうことなのでしょう。 言葉は、意志をつくり、心を育み、思いや考え、 感情や意思を伝えるという役割があるというのは とてもわかりやすい解釈です。 だけど、気づいてほしいのはその後です。 「言葉は行動を促す」ということ。 その力がある。伝えるだけではない。 言葉によって行動が変わる。 このことがとても大事なことなのです。 言葉はすっと体を通して心の中に入ってきます。 言葉によってその入り方も入る深さも違う。 だから言葉によって響き方が違ってくるわけです。

星空を見よ

星空を見よ 天の意思が見えるだろう 目を逸らせてはならぬ 耳を閉ざしてもむだだ 天は心に語りかける 人間の良心に直接問うのだ 星空を見よ 正視するのだ あまたの星に嘘はつけぬ

頭の上の器

頭の上の器。 何も河童の話ではなく、人間の話である。 人には聞き上手と聞き下手がいる。 その違いは何だろうか。 その器に水が張っているところを 想像するとよくわかる。 聞き上手な人は頭の上の器が大きい。 器の大きな人は、その器に聞いた話が 水のように溜まるのだが、こぼれ落ちない。 つまり、聴く姿勢が相手に向かいぶれない。 姿勢がいい。 反対に聞き下手な人は姿勢が定まらないから 頭の上の器も揺れて、どんどんこぼれ落ちる。 姿勢が定まらないから聞き急ぐ。 急げば急ぐほど器

今年の秋分の日は野分晴れ

今日23日は二十四節気の「秋分の日」 奇しくも野分晴れとなった。 野分は秋の風台風を言う言葉だけど、 大雨に見舞われた場所も多いし、 広範囲に及ぶ影響はまだ続いている。 幸いうどん県は大きな被害はなく、 雨もたいしたことはなかった。 風だけは結構吹いていて、野分と言っても 野を分けるほどの風ではなかった。 刈り入れ間近な稲穂も折れずに済んだ。 台風一過の空もまだ風は強く、 雲を押し流している。これが秋分の日に 重なることに何か意味めいたサインを 感じるのは勘繰りすぎか。そ

雨の音、風の声

窓を開けると吹き込むほどの雨でない限り、 雨の日に部屋の窓を開けることが多い。 雨の音、風の声を聞きたいと思うから。 BGMは自然の音が一番落ち着くのです。 その波長が体の中で音叉のように響きあうから。 行き交うクルマの音や街の喧騒がない 田舎の家だからできることではあるのだけれど 心地よさは別次元のように違います。 そういえば、都会暮らしのときでも 懐かしむように雨の日に窓を開けていたな。 その雨も季節によって違います。 台風や嵐のような天候でも違います。 雨が近くなる

言の葉の木

言葉は無力だと思った瞬間から 言葉は力をなくしていく 言葉に言霊が宿らなくなるから 言語としてのカタチしか残らないから 言葉とは「言の葉」と書き 「こころの言葉」という意味を持つ では「こころの言葉」とはなんだろう ひとの内には言霊の木があるという こころの種として発芽して成長する木だ 言霊の木には「言の葉」がたくさん繁っている さまざまな思いや感情が宿った「言の葉」 それを無力だと言ってしまえば 言の葉は枯れてやがて落ちてしまう 心の栄養が行き渡らないから 葉が

日本人の美意識

日本人は四季の移ろいを、視て感じ、 秋の声のように聴いて感じ、 風が運ぶ匂いで感じ、 旬の味で感じ、 空気や水の変化を肌に触れて感じ、と 五感すべてを使い 自然と対話してきました。 それが日本人のメンタリティーを 作り上げてきたのでしょう。 それだけに自然に対する畏敬の念を 持つことができたと言えると思います。 日本の家屋が壁を作らなかったのは、 内と外を連続するものとして 捉えていたから他なりません。 壁ができても、戸があっても、 容易に取り外せる仕組みを考案し、 風の道

評価というもの

評価というものは周りの評価が先行して、 自分が後を追いかけるのではなくて、 自己評価を世間が後追いするものだと思った方がいい。 その自己評価も何度かの挫折を経て本物になると思う。 だからやり続けることが意味を持つ。 最初は根拠のない自信からくる自己評価であっても、 やり続けていれば次第に周りは評価してくれるものだ。 少なくとも、 その姿勢を見守り、応援してくれる人は必ずいる。 それは信じてもいいと思う。

道程

人相は付き合っている人で変わる。 人生はこれまで付き合ってきた人の 積み重ねで彩りを変える。 影響し合わない人はいない。 少なからず付き合う人からは 影響を受けるもの。 自分の人相がどうなのか、 これまでの人生の彩りがどうなのか 振り返ってみるといい。 もし、落ち込むような結果なら 今日から変えていけばいい。 自分から変えていけばいい。 自分が望む人になろうとすることで 付き合う人も変わってくる。 生きていれば、いかようにも 人生を変えることができる。 まだまだ生きる時間も

秋思

「秋思(しゅうし)」という言葉がある。 秋の深まりのなかで感じるわびしさや ものの哀れなどの心情が感じられることをいう。 秋は物思いの季節でもあるから。 もののあわれの情緒感は日本独特のものと言われる。 平安時代の自然観や文芸の本質を表わしたもの として、後の日本文学の一つの流れを作った。 その原初の最たるものが源氏物語とも言われる。 このような話を持ち出すまでもなく、 秋に入り、夏疲れが少しずつ癒されてくると、 次第に頬なでる風も、体を包む空気も ひんやりとしてくる。