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人生の転機を感じながら、歩く

3月に入った。朝晩はまだ寒いが日中は暖かく、天気が良い。花も咲き始め、春の接近を肌で感じる。いや、花粉の飛来を鼻で感じるというべきか。(近年私は花粉症を発症した)
そんな春の日差しが注ぐ小道を歩きながら、私は天気ではなく「転機」について考え始めた。鼻がムズムズするのを紛らわしながら。

…というのも、先日「卒業ソング」に関するコラムを某メディアに書くなかで、卒業は人生の「転機」の一つであると再認識したからだ。例えば中学を卒業して高校に入学するのは、単に学校が変わるだけではない。交友関係が入れ替わり、部活が変わり、子供扱いが取れるといった出来事が混ざり合い、自分の心境や生活様式に大きな変化をもたらす。特に、地方の高校を卒業して都会の大学に進学する時なんかは一大転機だ。私の経験からも、慣れない都会で一人暮らしを始めつつ、友人がオールリセットされた大学に通い始めた時は、自分が変わると感じた。そうした感情が味わえるのも、転機を迎えていたからである。(実際には、希望した大学に合格した高揚感が大きかったのだが)

そんな卒業以外で、私は「転機」と呼べる経験をどれだけしてきたか?これまでを振り返ってみた。

まず思い出されるのが「転職&田舎暮らし」を始めた時である。私は6年半前に、28年間勤めた東京の会社を退職し、山村に移住してフリーライターの道を歩み始めた。それまで転職経験がなかったどころか転勤すらなかったので、自分にとって一大転機どころか、人生の転換点となった。

次に転機と言えるのは、その会社に就職した34年前までさかのぼる。会社では転勤がなかったとはいえ、部署異動や担当業務替えは何度もあった。しかし会社員にとって、同僚、上司、部下、業務の変化は「普通にあること」だ。特に私は管理部門しか経験せず、職場環境の変化も少なかった。もし営業や設計(エンジニア)に異動していたら、転機と呼べたかもしれない。

次は大学入学、そして高校入学だ。中学と小学校は、残念ながら転機と言えるほどの記憶はない。人によっては家庭の変化(結婚や子育てなど)が転機に加わるはずだが、残念ながら私は経験できていない。

こうして振り返ってみると、一つ気づくことがある。それは、私の人生における4回の転機のうち3回は「与えられた転機」だということだ。大学入学は自分の意志というより、大学は進学するものと思っていた。しかも東京に出るものだと根拠なく決めていた。高校は偏差値で自動的に決まった。
さすがに大学を卒業する時は、大学院への進学も考えた。しかし当時はバブル期で売り手市場。周囲の活発な就職活動の動きに流され、人気企業の一つを選んだ。会社員生活に後悔はないが、この時に進路を吟味しなかったことは今も後悔している。(もしかしたら学者になっていたかもしれなかった)

このなかで、私の人生における一度限りの能動的な転機、つまり会社を退職すると宣言した時は、周囲から驚かれた。その理由は、今となってはよくわかる。人間は環境の変化を好まないからだ。
環境を変えると色々と面倒だし、お金もかかるし、精神面で落ち着かない。楽しく充実した人生をおくるには、精神面での安定が不可欠だ。私が退職を決意したのは、仕事に多少のストレスを抱えていたことが一因だった。もしストレスが全くなければ、退職せずに定年まで勤め上げたと思う。
ただ、会社員にとって多少のストレスは付き物だ。不満があっても退職せずに仕事を続ける(会社に居座る)人は多い。下手な転職をするより今の会社で多少のストレスを我慢したほうが給料も減らないし、合理的だからだ。だから、若いうちの転職ならともかく50歳になって転職して新たな道にチャレンジするという私の選択は、周囲から驚かれたのである。

しかし今回、卒業ソングを聴きながら、転機はもっと自分で作り出したほうがいい気がしてきた。今でもよく覚えているが、学校(中学、高校、大学)を卒業した直後は、心がフワフワして落ち着かない反面、新しいことが始まる高揚感があった。いわゆる期待と不安である。そして全てにおいて、不安より期待が勝った。

それはおそらく、期待という感情が人間にとって必要だからだ。期待があれば、つらい日々もなんとか生きていけるし、嫌なことがあっても立ち直れる。逆に期待がなければ、何のために生きているかわからなくなる。期待を求めるのが人間。期待を救いと言い換えれば、宗教が生まれた理由も納得できる。

そんなことをつらつら考えながら私は、6年半ぶりの転機の訪れを感じていた。4月から、自分が住む環境を少しだけ変えるのだ(つまり転居)。もちろん色々と面倒だし、お金もかかる。しかし、それらを期待が上回っていることは確かだ。心は落ち着かないが、フワフワした高揚感は確かに感じる。学校を卒業した直後のように。

(映画『天気の子』のように)天気を変えることはできないが、転機を作ることはできる。ちょっとでも生活環境を変えれば小さな転機になり、卒業直後のような高揚感をちょっぴり味わえる。そんな転機が、残りの人生でもっとあっていい。これからは自分から転機を作り出すべきなのだ。

こうして人生の転機に思いを巡らし、はるか昔に学校を卒業した直後の心境を思い返しながら、たまには回想も悪くないと歩きながら思った。

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