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【取材録】「外食業の経験を地域で活かしたい」 50歳を前に新たなステージへの第一歩を踏み出した大野直樹さん

レストランや居酒屋などの外食産業は、出店や閉店サイクルが速く、変化が著しい業界の一つ。コロナによる消費行動の変化もあり、飲食店の生存競争は激しさを増したように見える。
そんな外食業の第一線で、20数年にわたり現場を指揮してきた大野直樹(おおのなおき)さん。複数の会社で店長やマネージャーを長く務め、新規出店の経験も豊富。現在は外食をプロデュースする会社に所属し、店舗開発のマーケティングやアドバイザーを務める外食業のスペシャリストである。
その大野さんが、この10月に東京から長野に居を移し、大学の研究員をしながら地域企業で働くという。新天地の長野で何をやろうとしているのか?その真意を確かめに、私は長野に向かった。

取材のきっかけ

話を聞いたのは、長野県千曲市にある戸倉上山田温泉。大野さんの新居は長野市内だが、秋晴れの休日にノルディックウォークと日帰り温泉を楽しもうとお誘いし、少し遠出をしていただいた。歩いた後に一風呂浴び、リラックスしている最中に話を聞くという魂胆である。

昭和レトロな戸倉上山田温泉の繁華街

大野さんと私は某オンラインサロンで知り合い、オンラインやリアルで何度も顔を合わせてきた。しかし、彼が外食業界に身を置くことは知りつつも、業務内容を聞く機会が持てず(身上を聞くのも野暮なので)、プロフィールは謎だった。特定の飲食店に勤務しているわけでもなければ、シェフでもなさそうだ。アドバイザーやコンサルをしているらしいが、本業は何なのか興味があったのだ。
折しも、私の実家は同じ長野県の上田市。実家から近いこともあり、大野さんの転居報告に添えられた「近くにお寄りの際は、ぜひご一緒させてください」との定型句に、早速甘えることにした。

現場仕事や出店に追われる日々

大野さんは学校卒業後、全国チェーンを展開するとんかつ専門店の会社に就職。店長やマネージャーを10年以上務め、全国を転々としながら現場経験を積んだ。
外食業の店長は、経理や採用といった管理業務に加えて調理や接客などもこなす、多忙な業務。その店長を統括するマネージャーになると、特定エリアの店舗を巡回しながら頻出する課題を解決し、新規出店が決まれば店員となる人材を集めなければならない。現場仕事に交渉、調整に追われ、休日はほぼなかったそうだ。
「誰かが休めば自分が埋め合わせをしたり、新規出店の際には店員を確保するため近隣店舗から人を動かしたりと、当時は現場仕事に忙殺されていました。一日休めば積み残しが増えるので、休もうにも休めません。働き方改革が進み今はマシになりましたが、当時は店舗を円滑に運営することに必死でしたね」
外食業なので食品を扱うことが多いと思いきや、人とのやり取りが仕事の中心だったと話す大野さん。しかし、その経験がその後のキャリア形成に結びついてゆく。(以下は、当時の大野さんの仕事ぶりがわかるエピソード)

大手外食企業から横丁プロデュースへ転身

就職して15年目、40歳到達を目前に、大野さんは最初の転職を果たす。転職前は東日本を束ねるゼネラルマネージャーの一歩前だったが、多忙な仕事に行き詰まりを感じたのと、とんかつ以外の業態にも経験の幅を広げたかった。
転職したのは、関西に本拠を置き、複数の店舗ブランドを展開する大手外食企業。そこで大野さんは、串カツチェーンを関東に広めるミッションを与えられる。前職で新規出店を担当した実績が買われたのだ。そして、出店目標を見事に達成。その後も外食業の店舗作りの経験を買われ、大野さんは大手外食企業を渡り歩くことになる。
転機が訪れたのは、5社目に転職した今の会社である。市街地で「横丁」をプロデュースする仕事を知り、街づくりに興味が湧いたのだ。そこでしばらく働いた時に、コロナ禍に見舞われた。
「横丁のプロデュースが止まったのは痛手でしたが、コンサルや空き店舗の物件探しといった小さな仕事を幾つもやったり、社員を削減したりして、細々とですが仕事は継続できたんです。個人的にも、不動産業に近い仕事を経験したり、副業でコンサルを請け負ったりして、仕事の幅が広がりました。時間にも余裕ができて、就職してから初めてお盆や正月に長期休暇を取り、日本中を自由に旅することも可能になりました。この時に、自由に動く楽しさを知った気がします」
豊かな時間を過ごすなかで大野さんは、自分の知見とノウハウで人を喜ばせる仕事がしたいと、次第に思い始めた。折しも来年には50歳に到達することもあり、「一社会人として、今後の社会や飲食業界に何を残せるのかを考えた」という。
そうした時に、信州大学が客員研究員を募集しているという情報を得た。

信大の客員研究員として

信州大学(以下「信大」)では2018年度から、中小企業庁のモデル事業として『信州100年企業創出プログラム』をスタートした。これは、特定業務のスキルを有する都会の人材と、長野県内の中小企業とを信大がマッチングさせ、地域の活性化をめざす産学連携プログラム。都会で培ったスキルを地域企業で活かしながら大学のリソースを活用できるので、スキルアップしながら仕事ができる。企業からは活動資金が支給されるので週に4日は勤務する必要があるが、残りの1日は信大でゼミに参加し、大学教授らの知見を無料で学べる。もちろん誰でも採用されるわけではなく、地域企業の課題解決に役立つ知識や経験があることが条件だ。信大にとっても、都会の企業人の経験やノウハウを学術に活かせるし、何より地域貢献になる。「三方良し」ではないが、地域、大学、企業人のそれぞれにメリットがあるプログラムなのだ。https://shinshu-100y.shinshu-u.ac.jp/

これに応募した大野さんは、道の駅を運営する企業とのマッチングが成立。10月1日付けで信大の客員研究員に委嘱され、長野に居を移した。新たな住まいは、長野駅から徒歩圏内の格安賃貸物件だ。勤務していた横丁プロデュースの会社とは業務委託契約に切り替え、リモートによる時短勤務で仕事も続けることにした。
「大学で研究しながら地域課題の解決に貢献できて、お金ももらえる。このプログラムを聞いた時は『これだ!』と思い、挑戦を決めました。マッチングした会社は観光業で、私にとっては未知の分野です。幸い経営は順調ですが、個人の裁量に頼る部分が大きく、業務ルールが定まっていません。今後事業を拡大するには、ちゃんとルールを定めることが重要なので、私の業務経験が活かせると思います。今は課題をヒアリングして整理し、具体的な提案書を作っている最中ですが、自由に動ける喜びを感じています。私の挑戦を許してくれた今の会社には、感謝しかないですね」

これまでの経験と学びを地域企業で活かしたい

そうしたルール作りの他に大野さんは、地域で企業が持続するための要素を日々考えている。
「今は、道の駅で働く職員からアイデアが出されて新商品が生まれるスキームを検討しています。一過性のアイデアではなく、『100年企業創出プログラム』の名にふさわしい施策を、この半年で形にしていきたいですね」
そのため大野さんは、大学教員や他の研究員とのディスカッションに期待している。ゼミは週に一回だが、専門家や異業種の研究員の意見は刺激になり、新たな知見が得られる。文献や専門家の探しかたといった大学ならではの研究方法を学べるのも楽しみだという。
「大学で学んだ知識は地域企業だけでなく、横丁のプロデュースにも活かせると思っています。横丁の夢は、まだあきらめてはいません。信州での任務が終わった後に、自分がどこまでスキルアップできるのかが楽しみです」
地域企業との契約は半年間だが、終了後も客員研究員の委嘱期間は一年残されるので、その間は信大のリソースが使えるのも、このプログラムのメリット。信州との絆を結んだ大野さんは、今後、地域の現場をどのように変革させていくのか。そして、信州での経験は横丁プロデュースにどう活かされるのだろう。

取材を終えて

「50歳を前に、一社会人として今後の社会や飲食業界に何を残せるのかを考えた」
取材のなかで大野さんが語ったこの言葉は、私の心に響いた。というのも、私も50歳で長年勤めた会社を退職して田舎に移住し、自分が地域にどうやって貢献できるかを考えたからだ。貢献どころか未だ試行錯誤を引きずって生きている私の胸に大野さんの言葉は刺さり、初心に帰って自分を見つめ直す動機づけになったのである。
それはともかく、大野さんのようなチャレンジャーが今後増えれば、硬直化した地域社会が少しずつ溶解し、さまざまな物事が動き始める予感がする。ベタではあるが、大野さんの挑戦に最大限のエールを送りたい。(以上)







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