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光の一滴(ひとしずく)38『高次の愛って何ですか?⑩』

2019年11月20日  

『無明の道を行くならば、明かり照らして行きやんせ。
明かりがどこにも無いならば、自明灯して行きやんせ。
自明灯して行かずんば、果ては地獄のどんづまり。  いやさっさー』

(意味  先の見えない世の中では真理に照らして、あるいは良心に従って行動しなさい。そうでなければ大変なことになりますよ。)


この言葉が来た時にいろいろ調べておりますと、「自灯明法灯明」という言葉が出てきました。お釈迦様の遺言だそうで、意味は「他を頼りにすることなく、自分を灯明の明かりとして進み、正しい法を灯明の明かりとして進みなさい」という事だそうです。

昔の旅人が道に迷った時、北極星を目印にしたように、私にも目印が必要だと思いました。それが光至の光ではないかとぼんやりと思いました。


12月7日  17:50~  
高次のエネルギーがあちこちに降りて、とどまりやすい形、よい依り代にたくさんの光の糸がつながっている。神社などをはじめとした高次の形、いい波動の場所、ご機嫌な人、などいろいろ。

一方、荒々しかったり乱れていると切れるし、降りず、つながらない。
乱れたままの人、場所はつながれない。
この違いが二極化と言える。

光の糸がたくさん集まれば、束になって光の柱となる。それがあちこちで起きて、個人、家族、グループ、地域、地方、国、やがて日本を溢れて外へと波及する。

『人にも泥にもまみれようぞ。それでも愛しいのだ。』

神様はあきらめていない。子供のまま大きくなった大人達が変われなくても、どこかで連鎖を止めなくては。
だから子供達自身に問い、考えさせる。先の未来へと行かせるために。

それはある意味では、「変われない大人たち」はもう見限るということ。
子供達自身が考え、先に進めということ。


でも神様だけは、どんな人をも見捨てないのです。
凝り固まってそこから動けない人の前にも一筋の光の糸がぶら下がっているのが見えました。その方が光の糸に気づき、それをつかみさえすれば一気に引き上げてくれるのです。


だから、そうした方に寄り添っている方々に『心配ないから、先へ行ける人はもうお行きなさい』ということらしいのです。


すごい・・・神様は誰のことをも見捨てはしないんだと思いました。

神様を私なりに現わしたものです。神様はとても強い光の意識体だと感じました。