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光の一滴(ひとしずく)60『真っ逆さまに落っこちました⑥』

2022年2月8日
人助けをする時、以前は自分も助けられたから助けるという考え方でした。それなら理解できました。それはただお返しをするという意味です。
でも実はそれ以上の意味があることがようやくわかりました。


それは、人を愛し、慈しんでいるから。

なるほど・・・


『慈悲(慈愛)の無い者は、がらんどうである。
神はその御魂のかけらを入れた。人は皆この御魂のかけらを抱く。
神の慈悲に触れ、己を愛し、また人を慈しむことこそ、神の御心を体現するものである。これが人が人である証ぞ。
人はあやまつ。また迷う。
されど人は神の光を見出し、神の御業を体現する。
それこそこの地上に光を下ろし、神を世に現わすことである。』


私はついつい形を作ることに囚われ、光を下ろすとは高い波動を誰の目にも見える形にすることだと思っていました。
でもそれは単におまけのような物でした。

本当に光を下ろすとは、自分も含め、人を愛し、慈しむことだったのです。
私は今ようやく自分に欠けていた部分を満たすことができました。


2022年2月17日 夜中


『天の目と地の目を持ったの。天地を統べるとはそういうことぞ。
その目を持ってこの世を歩んで行け。
さすれば、ここかしこに我が理を見出すだろう。』


2021年12月後半から約二か月、地に足をつけて日常を過ごすことで、気づかなかった自分の欠けを満たすことができました。
これでようやく二つの視点で物事を捉えることができるということです。
真理にそって考え、日常を生きることです。


私は本当に遠回りをしましたが、スピリチュアルを学ばなくても、こうした生き方を日々実践している方々はたくさんいらっしゃると思います。
本当の知恵で何が起きても軽やかに乗り越えて、明るく穏やかに健やかに過ごしていらっしゃる方々です。

私もそういう方々を目指して、今ここから、また歩き始めます!


明るく、力強く!