見出し画像

光の一滴(ひとしずく)37『高次の愛って何ですか?⑨』

少し長いのですが、メッセージのエネルギーが人に入ることについて説明した言葉を受け取りましたので、ご紹介させていただきますね。


『——人にはそれぞれアンテナのような、いわば選択する機能があり、様々なエネルギーに触れても、自分のアンテナに引っかからないものは通り抜けていく。
自分のアンテナに引っかかったものを胸の内に広げて感じ取っていく。
それでも、その言葉だけでどうこうなるものでもない。
なぜなら、その他にも様々な要因があるからだ。

それらが重なって塔となり、アンテナともなる。
そうして本来のアンテナと、後からできたアンテナとで受信するため、場合によっては幾種類ものメッセージを受け取る場合がある。
その場合はとても混乱し、周りにもとても分かりにくいだろう。

だが、アンテナは修復しなければ朽ちていく。
だから関わらないようになってきた現象は朽ちていく。
より鋭敏に受信するものは、今まさに多くかかわっている現象や事柄である。それが堆積してアンテナをさらに鋭敏にしているのだから。』

『本来、どの道にいようと、今現在起きている現象の方が強く、鮮やかである。したがって、本来の道に戻るという軌道修正は非常に難しいものと思われる。
何故そうなのか、気が付く者はまだましで、たいていは気づく間もなく繰り返し不本意な現象に巻き込まれていく。それは、その方が慣れているからだ。反射的になれたものを選んでしまうのだ。

そこを遮るには、何か特別な、いつもと違う何かが起こることが好ましい。必ずともいいこととは限らないが、その者が本来の道へと戻る、今現在道を外れていると気づく何か衝撃的なこと。
それを示すのだ。ありのまま伝えよ。』

――――何のために?

『人々の意識の目覚めを促すためである。
まずは己の位置を知ること。そして己を見ること。
己が本当に行きたいのはどちらなのか。
行くはずの方へ果たして行けているのか。

本来の道は、必ず己の中にある。だから、必ずわかるのだ。
そのためには、いったん今のループを外れなければならない。
反射的な行動をいったん止めることだ。
些細でもいい。一瞬でも立ち止まることが出来れば、次第に立ち止まる瞬間が増えていく。そこで違う道を歩んでいる者は、違和感に気づく。
そうしてようやく自分の位置を知る。

本来の道にいると感じる者は邁進するといい。
違うと感じる者はどちらかを見極めて軌道修正するがよい。
そのほんのきっかけになるのだ。非日常である。』


きっといろんな方々があちこちでささやかなサプライズを起こしていらっしゃるのでしょう。どうやら私も、ご縁のある方に差し上げる、どなたでもどうぞという『景品』は一瞬のささやかなサプライズのために作っていたようです。
意味がわかってなんだか嬉しいです。

何かに巻き込まれていても、ハッとした瞬間に気づくことがある。
それが本来の自分かもしれません。