個人的な内的気付きのつぶやき―エリクソン催眠より

最近の記事にもにじみ出ているように、私はもう催眠療法の歴史や基礎的なことを改めて体系化し直しテキストを作成したり、大きなセッションをするようになってきているため自分の基礎を固めたり個々のクライアントに最適な準備をしたり、そんなところに向いているのだが(他、楽器の修練であったり日常の諸々のこともある、そして私自身、身体的にも一日に作業できる時間も限られているわけで)、いろいろなことが重なって、この子(器)の実家が、エリクソン関係のPDF化された英語の文献やら、図書館(実家の隣にあり、彼らも毎日いろいろな読書をしているため、なかなか通っているようなのだが)から10秒程度の判断でがっと掴んで借りてきた、と、エリクソン関係の書籍を見せてくれた。

私の意識としては、もはやそんな暇や余裕はない気もするのだが、せっかくなのでふと1冊手にとって、少し読んでみた(私は解離を駆使して視覚的情報を何とか受け入れられるようにしても、読むことは非常に遅いので、本当に序盤の数ページばかりなのだが)。

私は、(最初の、現段階では一番長く教わった)師から「それはエリクソン催眠だね」と言われるような手法を、催眠と言うもの自体を知る前から行っていた。いや、寧ろそのことが己の人生の中での深い葛藤、苦しみ、悩みとなって自己否定の楔を己の奥底に打ち込むことに繋がっており、己の存在の中で行われてしまっていること(潜在意識の計算式)を読み解くため、そして少なくとも「自然に相手をその状態にしてしまう催眠様のこと」を間違って使ってしまわないために、催眠と言うものの存在を後年知ってから、催眠を学び出した、というような経緯がある。

そして、それからも7年程経ったか。満を持して、初めてはっきりと理論として(最初の師からはまさに本能的に体感的には教えられ、どうにも私は更に受け継いでしまっているような状態であったが)、エリクソン催眠を「エリクソン催眠」として学ぶことのできる機会ができた。
このたった数日間の学びや、受講生仲間たちとのワークにおいて、私は私の奥底に深くぶち込み食い込ませていた楔をどんどん解消させる道を選び、辿った。
更に同時に、このタイミングも”私自身のセラピーとして”必然であったのだろう、エリクソン催眠をテキストで学び、この内容があまりに私の今までやってきてしまっていた(私はいわば、相手の”潜在意識の声”を聴き、ただその指示に従っているようなだけの状態であった)、そしてクライアントによりあまりに個々それぞれに多岐にわたってしまっており、更には「表面的には全くセラピストらしからぬやり方(セラピストとしては社会的に認められないやり方なのではないか)をする」自分の本能的な方法が、驚くほどどんどん裏付けられていく体験をした。
それによって、私は、私自身望んでいた以上、予想していた以上に安心し、地に足がついた。

そのため、私は、ただ私自身の潜在意識の計算式をしっかりと意識上(言語化できる次元でも)自覚をし、社会的にも納得し得る形にしたかっただけ(少なくともそれ以上の高望みをするほどの余裕がなかった)であり、エリクソン催眠をもっともっと学びたい、とまでは、どんなに少なくとも表層的には思っていなかった。
学びたい気持ちはなかったわけではないが、自分自身をコントロールするのでまずはいっぱいいっぱいであった。

しかも、エリクソン関係の書籍は、弟子たちが間接的に書いたものがほとんどであり、更にはエリクソンの手法は言語(英語)のニュアンスをとてつもなく利用し尽くしたものであるので、日本語訳されたものは、はっきり言って何を書いているのかわからないほど違和感に満ちている(私の日本語読解力の問題もあるかもしれないが)。
その上、私自身が文字を読み書きすることがどんどん困難となっている、そして反面、事務処理や執筆作業が膨大に増えている中、読書をしようという方向にはならなかったのだ。


しかし、何という潜在意識の(少々無理やりというほどの)計らいか…
私の研究と何の関係もなく、しかもほとんど知りもしない、興味もない実家の人が借りて来てくれた本を、まあせっかくなのでとちらりと手に取り、序盤の数ページを開いてみると、
何と、今の私を更に更にと、もはや気付きもしなかったがまだあったらしい心のしこりをどかんと流すような、安心する文章が飛び込んで来た。

「エリクソンは形式に沿った催眠を単独ではあまり用いず、むしろ自然な方法を開発した。すなわち、催眠から技術を抽出し、その技術を心理療法にうまく応用して誘導の儀式を不要にしたのである。彼は、扱った1/5の症例だけに、形式に沿った催眠を使用したが、『催眠をしなかった』ときにも一貫して催眠の技術を用いていた。」(引用※)

私は幼い頃、顕在意識との会話が成り立たなかった。潜在意識との会話、つまり、通常の会話時(催眠などしていないはずの時)に、常に自分自身の潜在意識で相手の潜在意識と会話(催眠)をしていた。
また、考えてみれば、私は幼い頃から、家族も含め、友人にも、相談をしてくるひとや、精神的に何か不穏なものを抱えているような人間関係が非常に多かったかもしれない。しかも、「潜在意識の声」ばかり聞こえてきていた(私には一番母国語に近い感覚で、聞き取りやすかった)。
しかし、顕在意識の世界(社会的な世界)においての「催眠」などという技術は知る由もなかったから、恐らく相手の潜在意識を通して顕在意識とも何とかしてうまくコミュニケートするために(それほどに顕在意識とのコミュニケーションの方法を私は知らなかった、苦手であった)、自分なりの方法で「催眠から技術を抽出」したような状態になっていたのかもしれない。

ただ、私を安心させたのはここではなかった。

「ヘイリー(1980)は、心理療法は問題であって解決ではない、と述べた。問題は、患者が心理療法を受けているということである。解決は、心理療法をやめて、できるだけはやく彼ら自身の独立した人生を送らせることである。エリクソンはこの見解に、きっと同意したであろう。彼の戦略的治療は常識的なものであり、通常はその時点の問題に焦点が向けられていた。表面的には彼の戦略的な技法は常識からはずれているかのようであったが、実際には彼は非常に常識を持ち合わせていた。
(中略)エリクソンは、さまざまな方法で心理療法を患者の心の中(そして診察室)から引っ張り出して、現実の生活の一部とした最初の治療者だった。」
「彼は、おもに成功した心理療法についての、それから彼の家族についての興味深い物語を話し、そして催眠療法を実際におこなってみせた。生徒たちをスーパーバイズするのに、生徒たちの面接のテープを聴くことも、面接を観察することも治療に指示を出すこともなかった(略)。その代わりに、エリクソンは資質(resorces)を引き出すために多水準のコミュニケーションを用いて教育した。これは彼が心理療法や催眠をおこなうのと同じやり方であった。彼は『催眠』と『教育』と『心理療法』の間の境界を曖昧にした。教えている時に、催眠がおこなわれた。催眠をおこなっていたときに、心理療法がおこなわれていた。
 エリクソンは一貫してできるだけ適切に、そして狙った最大限の効果が得られるようにコミュニケーションすることを目標としていた。(略)彼のある古い講義のテープについて、私が1つの長い催眠誘導のようだとコメントしたことがあった。それに対する返事は、そのテープを聴いていないがと前置きし、『私はいつも内容そのものを教えていたのではなくて、動機づけることを教えていた』というものだった。
(略)いずれの領域(催眠・教育・心理療法)においても無意識的な学習に信頼が寄せられているからである。根底にある哲学は、人は変化を起こすために必要な資質を既に備え持っているというものである。したがって、心理療法も催眠も―そしてかなりの部分が教育さえも―資質を引き出して発展させ、個人がより有効な新しいやり方で、さまざまな資質を繋げてゆけるようにする行為なのである。」
(※以上、『ミルトン・エリクソンの心理療法 出会いの三日間』ジェフリー・K・ザイク著/中野善行・青木省三監訳)より引用)

…私は、…本日(9月24日)さきほどこの文章を読んだばかりなので、まだ己の中で言語化がうまくいかない部分があるが…、心理療法(セラピーセッション)が、クライアントにとって日常と「別の」側面となってしまっては、うまく行くはずがないと考えていた(クライアントからの自覚ではなく、セラピスト側から見て)。そのため、クライアントの日常の中、成長の一側面に溶け込ませるようなセッションのやり方をしていた。(具体的にどういうことか、書き連ねることもできるが、記事も長くなるし言語化に時間がかかりそうな上に表現もしきれそうにないので、ここでは割愛したい)
しかし、これは一歩やり方を間違えば、クライアントの転移(依存)を引き起こしやすい。その上、私は、そもそも起こりやすさがどうであれセッション中に転移はつきものでもあるから、寧ろその転移もセラピーに利用してしまっていた(転移はエリクソン催眠的には利用的アプローチを用いれば非常にクライアントのセラピーに有効・効率的な場合がある)。
しかも、大抵の日本の専門機関や教えでは、転移はなるべく起こさない対策を、とか、またセッション以外の事務的な部分でも、「事務」「セッション」という枠、敷居をかっちりと設けている場合が多い。
この境界を曖昧にすればするほど当然ながらセラピストとしては非常に難しいことにも直面するのだが、そして私自身確かに、格闘もしてきたが、しかしながら、結局のところこれを乗り越えて行った方がクライアントのセラピー効率は上がると私は感じていた。
そして、心理療法を例え行うにしても、彼らの日常の中で心理療法がいつの間にか行われていなければ、「セッションのその時だけ」別世界のようになっても意味がない。その上、「自分は心理療法に通っていて自分は病気なのだ」というような、そんな暗示を同時に自分にかけてしまうことにもなる。そうすると、「その間は自分は病気」のレッテル(自己暗示)に捉われることは自明である。にも拘わらず、「心理療法を行う」のは、矛盾でしかない。と感じていた。…まさにこの矛盾を、ザイク先生は一文で表現されていた。

そして、私は、実は、葛藤や悩みや罪悪感、不安を抱いてきたのは自分の心理療法セッションだけではなかった、ということに気付いた。
セミナーなど、情報共有をしたり、テキストを通して何かの内容を教え伝えたりするセッションにおいても、同じようなものを抱いていた。
というのは、まさにここに書かれていたそのもので、私の中では、「カウンセリング」「セラピー(心理療法)」「認知療法(認知行動療法など)」「テキストを用いたセミナー」の区別が、非常に曖昧だった。
己の中で極力区別はつけていたのだが、しかしながら、「やっていることの何が違うのか」自分で理解できていなかった面があった。
同時に、完全に区別して行ってしまうと、それらそれぞれにおいてできることが、大幅に縮小され、大幅に効率が落ちるとしか感じられなかった。
なぜなら、私はカウンセリングでは会話において必然的に催眠を行っていたし(これはまず、表面的にはカウンセリングを受けたいクライアントなのに心理療法を行ってしまっていることになるのでは、という罪悪感と社会的な恐れがあった)、心理療法では認知療法やカウンセリングも一緒に行っていたし、認知療法はそれこそすべてが食い込んでいたし(私の認知療法は、しばしば私がセミナーで使っているテキストを使用することもある)、テキストを用いたセミナーは、表面的なテキストの内容はまあ勿論なのだが、何よりそれを通して受講生たちが個々自分自身の真髄への道筋を見つけること・個々が自分の内面のものを整理し表に出したり解決方法自体を編み出す力を身につけることが重要であるし、それにはセミナー中はカウンセリングであり心理療法そのものでもあった。
寧ろ、クライアントさんたちの顕在意識はテキストなどに集中して「学んでいる時間のつもり」でいることによって、その方がセラピーが彼ら個々の中にぐんぐん入っていって彼らの中のリソースと結合し化学反応を起こし、彼らのレジリエンスや生きる力、自己治癒力、可能性を一気に開花させることができることも非常に多い。
今になってこそ、つまりはそれら全てを含めて全部がその外側から行われているエリクソン催眠の中に入っている、ということなのだと、やっと自分の中でも説明ができるようになってきたが。
そして、私は言語化はできていなかったが、それらが全て繋がった状態で日常生活に当たり前に彼らの中に(彼らそれぞれの力において)働いており、=それらが組み合わさって最大効率として、そしていつのまにか心理療法が卒業されている、というような状態になることが目指されるべきだと、言葉にならずしかし強烈に突き動かされるように、感じていたのだ(これ自体がエリクソン催眠ということなのだろうか?)。
類似した理念を掲げていてそれに突き進んでいれば、類似した方法がそれはいつのまにか行われているかもしれないわけだ。
(それだけではなく、どうやら成り行き的に類似した方法をとろうとすることとなった理由は、エリクソンの生涯を見る限りどうやら類似した理念のためだけではなく、元々の成り行き的な必然でその方法となっていったという面もあるように思われる節もあるのだが。)

それでいながら、こういう考え方ではそれが成り行き的に当たり前にそうなるのだ、ということが、私には繋がっておらず、わかっていなかった…いや、社会的には、「分けなければならない」に囚われていたのだった。


PDFの英語文献は、3冊ほど送られてきたのだが、日本語の書籍も、結局3冊…持って帰ってきた。(実をいえばついでに更にもう1冊、読むことができないまま何年も前から蔵書となっている専門書が1冊ある)

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