種は、大抵の場合、撒いた方が良い
人生、大抵のもの、ことは、やらずにおくより、やってみた方が得策。
意味がある、狙いに向くと思ってやってみたものであれば、それがどうやらあまり意味がなかった、効率がよろしくないなどと思えば、その時すぐに今度は「やめる」ということをしてみれば良い。
すると、その時にまた、新しい発見があったり、ひとまず動いてみたことにより気付き培われたものや別の方向への種や原動力が実りそうになっていることもある。
動いてみなければ、私がどこに動きたいのか、自分にもわからないし周りにもわからない。
何にせよ、「今」、人生の今という時間、ただ頭の中で考えて悩んでいる方が好みかそれとも今できることをとにかく動いてみる方が好みか、という話である。
我々が生きているのは、「今」であるから。
もちろん、大きなリスクのあるようなものは、勝算や本当に望むことであるのかなど、感じ取ることは必要であるし、リスクのあるなしに拘わらず、何をやるにもまずは自分の足元、地面。
豊かな土壌がまず準備されていなければ、植える種も育たない。
ぐちゃぐちゃな地面の上に手あたり次第種を撒いても、その種も腐ってどんどんその土壌も使えなくなってしまうし、良き種を撒いても育ちも悪いかもしれない。今ここの土壌をしっかりと豊かに耕し在ることができなければ、例え芽が出た種も育てることはできない。が…
自分の地面、「今ここ」の足元、日常の在り方、この上で、種を撒けば、多少芽が出ないものに関しても次の発見になったり肥やしになったり、次を撒くだけで良かったり、成長に繋がることができる。
ところであなたは、根拠はないが己の人生に何やら絶大な信頼感と安心と自信を持って生きるのと、
「自信をもてないんだよ」という自分とその自分へのレッテルを後生大事に抱えて離さない人生と、
どちらを選びたいですか?
自分の人生の選択は、自分の自由。
そして、「根拠」など、そもそもあるわけがない。
自分の存在なのだから。
目の前にパソコンがある、タオルがあるという、その根拠を示せ、と言われたって、根拠がありますか。
しかも、パソコンやタオルならまだ所有者がいるかもしれませんが、自分の人生で自信を持つのは自分の責任、自分の勝手なのです。
ならば、折角なら好きに生きた方が得策じゃありませんか。
私と一緒に、成長してみませんか。
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