イメージで変化する五感・身体反応、これを利用した催眠の無限の有用性

催眠療法士は、いや催眠療法士だけではなく恐らく身体の専門家もそうだろう、人間の五感というものが全て主観によって成立することを知っている。
つまり、人間は外界の刺激を知覚(認知)するために、五感を通すが、これは外界の刺激を直接身体の内部に取り入れる(外側の世界をそのまま知る)わけではなく、あくまで「外界からの刺激を受けた自分自身の身体の反応」を知るに過ぎないのである。

つまり、しばしば、ひとは、実際(実際というのを何を以てして実際と言えるかという問題にも突き詰まってしまうのだが、これを論じているといつまで経っても言いたいことを話すことができないので今回は言葉のあやとして捉えて欲しい)に外界から刺激を受けていないものでも、五感や身体内が反応することがある。

…と、こういうところまで説明すると実は催眠療法士も多くがメカニズムまでは知っていない・別知識として知ってはいても繋がっていないことが多いのだが(催眠療法士としては普通は「現象」だけを習うので)、しかし催眠療法というのは、まさにこの仕組みをとことん利用する療法である。

催眠療法士が恐らく大抵どこのスクールでもやるもので、こんな例えがある。(ちなみに私は催眠療法の基礎~中級辺りまでを3か所のスクールで習ったが、どこでも全く同じことをした)

<レモンのイメージ>
実際何もないところで、催眠療法士がクライアントを目の前にしながら(もちろん対面でもオンラインでも構わない)、おもむろに、まことしやかに、掌を広げ、「この掌の上に、もぎたて新鮮なレモンがあります」とパフォーマンスをする。
そして掌の上でレモンを転がしてみたり同じく空想のナイフでレモンを切ってみたり、クライアントに(相手がオンラインの画面の向こうであっても)「ちょっと口を開けて下さい」とやって口の中にレモンを放り込むパフォーマンスをしたりする。
すると、クライアントは(セラピスト本人も)、そこにレモンはないとわかっているのに、瑞々しいレモンの香りを感じたり、唾液が出て来たり舌や口が酸っぱいものを入れたかのように引き締まったり、まっ黄色のレモンがセラピストの掌の上に見えたりする。

これは催眠とはどんなものかというクライアントへの説明・デモンストレーションのために催眠療法士が王道で使う例なのだが、当然ながら、これは「催眠らしい」催眠誘導など一切行わなくとも、日常でどこにいてもどんな時でも突然やっても、このような現象は起こる。
そもそも「催眠状態」というもの自体、日常と実は全く変わらない、催眠のさの字とも縁がない人であっても通常の日常生活で1日10回以上出入りしている状態であるから。

最近は、コロナウイルスのPCR検査(唾液検査)の時などにも、目の前に梅干しの写真を貼っておいて唾液を出しやすくする、という方法をとっている場所があるらしい。これも全く同じ手法である。


ただ、私が言いたいのは実はここからなのだが、この時、レモンや梅干しを見て唾液が出るという現象。
これは、ある意味では少し考えれば自明の理だとわかることだが、実際にレモンや梅干しを食べなくとも(つまり舌の受容体に当てなくとも)、唾液を分泌するシステムが体内で発動し、その一連の化学連鎖の反応が終わりまで(つまり唾液が出るまで)起こる、ということである。
レモンはイメージだが、唾液や唾液を生じさせる体内の化学変化や体内バランスの変化は本物であるのだから。

唾液分泌のメカニズムについては、その種類によって幾通りか存在する上、現在あまり時間の余裕もないことと、この記事を読まれる方もそこまでの説明は必要とされないと思うので割愛するが、当然ながら舌の内部だけで起こる反応ではない。味覚に関係する神経はもちろん、自律神経系、脳の処理、複数の分泌腺、血管内部の変化、身体中のあらゆるところが関係してくる、いわば大連携作業である(身体反応全てがそうであるが)。

これが、外部の刺激が実際にはないのに、起こるのである。

では……その化学反応、どこで、あるいはどこから、起こるのだろうか?

脳が反応していることは恐らく可能性は濃厚である。
そして、イメージトレーニングなどと言われるが、楽器やスポーツの練習など、例えば自転車を乗っているイメージをした時、(ここも話を端折るが)頭に電極をつけて脳内の活性度合いを調べると、実際に自転車に乗っている時と同じ部位が活性化するのだという。
これに従っても、恐らく脳は反応している。

それでいて、これは人によるのだが、イメージでレモンを食べたとき、本当にレモンを食べた時の「酸っぱい味」は感じない(つまり脳で味記憶の再現処理をしない、少なくとも意識しない)まま、唾液や筋肉などの身体反応だけ起こるという場合もある。

では、脳ではどのような処理が行われているのか。そして、この時、舌の受容体は反応しているのか、それとも味覚神経からか。


もうひとつ、以下に同じくレモンを使った別の例を挙げる。

<レモンの味が変わる>
今度は本物のレモンを使う。
レモンを輪切りにしてそれを更に半分に切る。つまり、全く同じ味(同じレモンのしかも輪切り範囲ひとつの中でそこまで成分は変わらないだろうと仮定する)のレモンを2つ準備するわけだ。

そして、今度はそれなりに深い催眠には誘導するのだが、被験者にこれをレモンだと知らせず、どちらが先でも良いがまず片方を「これはとても甘い、爽やかで優しい心地になるフルーツだ」とまことしやかに言って食べてもらう。
そうすると、被験者は実際にレモンを食べながら、その”果物”を実際に甘く感じる。外側から見ていても、酸っぱそうな反応(唾液分泌や筋肉収縮など)は見られない。
しかし、次に、残ったもう片方を、「実はこれは神経が逆立つような、物凄く酸っぱい若いレモンです。」とまことしやかに言って、食べてもらう。すると、同じレモンの切れ端を食べているにも拘わらず、被験者は大変な酸味を感じる。

…ちなみに、現象としてこれに良く似たことは、別に催眠誘導をしていなくとも起こる。
クロスモダリティ効果である。
有名な実験では、被験者にトロの写真を見せながらまぐろの赤身を食べてもらい、味を報告してもらうと、トロの味の特徴が多く出される、というもの。
他には、これは外国の実験だが(説明を端折って簡易化するが)、高いワインと安いワインをそれぞれコップに注いで、ワインの銘柄や値段を逆に伝えると、実際に安いワインを本当に高級ワインのような味に感じる。
日常でも有名な話では、屋台などで売られているかき氷に使われているシロップは、実は成分はまったく同じで、色だけ変えているのだと言う(もちろん、実際味をつけているところもあるだろう)。しかし、緑色のシロップのかかったかき氷を食べれば(そしてメニューにメロン味があったことを知っていれば)、メロン味と感じるし、赤を食べればイチゴ味に感じる。

ちなみに私は、大分前にここの記事に面白い体験として書いたことがあるが、食器を変えるのが面倒で味噌汁椀に麦茶を入れて飲んだら、まるで味噌汁を飲んでいるかのような味に感じたことがあったという笑い話がある。
私は視覚機能を働かせることができる時間帯が非常に少ないため、この時は味噌汁椀を「見て」はいなかった。「味噌汁椀」という知識と、味噌汁椀を触っている感触、もうひとつは恐らく、味噌汁椀で味噌汁を飲んでいる記憶である。
つまり、視覚と味覚だけでなく、他の五感同士でもクロスモダリティ効果は起こるということである。
(ついでに味噌汁椀の中の麦茶の色も見えていなかったわけなので、尚更クロスモダリティ効果は起こりやすかったのかもしれない)

ちなみに別の角度から言い方を変えれば、催眠は、クロスモダリティ効果を引き起こすことができる…クロスモダリティ効果を利用する、とも言えるわけだ。

クロスモダリティ効果や、クロスモダリティ効果と催眠の関係性についてもあれこれと話題が出てくるが、今はひとまず話を戻す。

明らかに味を知っているものを食べていても、(他の五感情報や思い込みに引っ張られて)その味が変わるのである。
そして全く同じレモンの切れ端を食べても、1口目と2口目で甘かったり酸っぱかったりするのである。

では、例えばこのレモンは、そもそもどんな味であったのか?

…しかしここに論点を持って行くと、この議論は不毛であることがわかる。
というのも、そもそも「味」とは別に成分構成そのものを表すものではなく、あくまで人間、各々個人の主観によって、更には各々個人の脳のみによって、感じることができるものであるからだ。その上、それを言語化したところで、脳で感じたものをそのまま言語化したわけでもないし、できるわけもない。
「味」に絶対値はそもそもないわけだ。感じ方はそれぞれであり、そしてその下にはそれぞれの身体の感じ方の特徴もあるだろうし、更にはこれまで見てきてわかった通り、多分のビリーフ(思い込みや信念)もあるのだろう。

例えば、そもそも全く初めてのものを初めて食べたら、味が何だかわけがわからなかったりする。
また、例えばコーヒーなど、初めて飲んだら苦いが、その内に(色々なイメージや意味づけで認識が変わり)いつの間にか嗜好品として好むようになったりする。
このようなことも、そういう要素が多分にあるからではないだろうか。

そして、またまた話を戻すが、では、身体的(生理学的・解剖学的)に見て、これはどのようなメカニズムが起こっているのだろうか!
脳だけの錯覚なのか。
それとも、(舌の)受容体の働き方からして変化が起こるのか。
神経か。

これは大いに研究のし甲斐のある課題であると考えている。
というのも、もちろん研究者としての個人的な興味も大いにあるのであるが、もし、これらの生理学的な仕組みがわかればだ、
催眠のやり方や後催眠暗示の使い方によっては、ピンポイントでの微調整の可能性が大幅に広がり、催眠療法の効果、活用の場面が計り知れず深まり、広がっていく可能性がある。
あらゆるクライアントの症状緩和や、例えば外側から投入される西洋薬物を生理的、過剰な副反応などで受け付けないクライアント(私のクライアントさんにもおられるが)などに対して、そして薬物療法ができないがために併用する治療法を行うことができないような場合に対し、薬物療法の代わりとして似たような反応を促進したり、分泌物の促進や抑制を補助するようなことなど。
そして、例えばアーユルヴェーダのような、未病へのアプローチ…健康促進やサプリメントのような体内バランス調整、維持などに、大きな活用の可能性が広がってゆくのではないだろうか。

…などと、まだ読者の少ないうちに、好き勝手な野望を語っておく。

少なくとも、私は、催眠療法…潜在意識というどうしても外側から目に見えない領域を扱う限り(それだけに、催眠というものはそれだけで危険が伴う)、可能な限り常に現象だけではなく、ありとあらゆる角度からメカニズムとも繋げ、考察・研究をし続けたいと同時に、(あくまで野望・発展という意味ではなく)その必要性を強く感じている。このような分野を発展させるためには、それまでの穴埋めも抜け目なく必要である。


ちなみに、私は催眠療法士であるが、
ひとの五感や身体の仕組み、今回記事にしたような感覚における錯覚やら面白い現象なども、自作の資料と共にセミナーやワークショップなど開き受講生と共有させていただいている。
私は生理学者や解剖学者ではないので、基礎から学びたい方や心理臨床方面の方(心と身体は繋がっているので、身体の理解は必須、しかも心理アプローチにも大きな影響を齎すため)を対象とするが、大学で一通り学んだような方にも恐らくは(少し別の、心理療法家の立場から展開をしているため)面白がっていただける内容であるとは思う。
寧ろこれらを専門をしておられる方にもぜひお声がけいただき、見識を共有させて頂きたい。

身体だけではなく、対人支援を目指す(特に自他の心や身体を扱う)者であればどのようなセラピストであれ、一度は身につける体験をしておいた方が良いと私自身が臨床家として感じてきた心の理論や手法に関するセミナーやワークショップも、同時に展開している。

ご興味をお持ち下さった方は、ぜひお気軽にお話かけ下さい。


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