私自身と私の人生の考察―エリクソン催眠

良くも悪くも、本日の、驚きの気付き。

私には数々の「癖」があるようだ。
そして、しかし、その「癖」たちが、実はある意味、「これで良いのだ」と、いうことに気付くことができた。少なくとも………セラピストとしては。

さて、その癖とは。
私は、本当に良くも悪くも、とにかくメタファー(隠喩・暗喩や例え話)をひたすら組み込み、しかもメタファーのストーリーを複数いっぺんに、そして…なぜだかどうしても途中で脇道にそれて(要するに平行線で3個も4個もの話を同じ作業台に持ってきて)別の話を入れてまた戻したり、その複数のストーリーを「さっきの話にも繋がるが…」と関連性を持たせる(すると2重3重4重の、しかも別の角度からの暗示が深く深く入る)という、ことをしてしまう。
しかも、私の場合は特に、セッション内容(クライアントの今のゴール)を見据えたメタファーストーリーとして、まさにその数日に起こった私自身の体験を本当に自然な雑談のように悉く使う(これは、私自身の体験経験がまるで宇宙に守られているかのようにクライアントの現状やカウンセリングで気付きを得るのに悉くネタになる体験を丁度良いタイミングでするともいえるかもしれないし、そもそも例えどんな話であれあらゆる目的角度に向ける話し方もできるということでもあるかもしれないのだが)。
更には、「会話」においての癖なのだが(書く文章ではまるで論文構築のように極力語弊がないようにと明確にさせるという真逆の癖もあるのだが)、何かにつけてなぜかぼやっと抽象的にしか相手(顕在意識)に伝わらないように、曖昧にする。

そして極めつけに、これは幼い頃の癖だが(近年は随分と表面的にはなくなったはずなのだが)、会話をしている時、相手からすると「どうして突然?!」という程、突飛で、表面的にはまるで脈絡のないかのような返事をしてしまっていた(ようだ)。
自分(この頃は自覚は私ではないが)では、明らかにちゃんと繋がったキャッチボールを(相手の潜在意識とは)していたのだが。


これらの癖、表面的に見るとまあ厄介なもので、相手からすると話がまるで噛み合わない上、こちらの話を聞いていても何を話されているのかわけがわからないのだ。
そしてわけがわからないまま、しかしなぜだかひきこまれる(潜在意識は恐らく食い入るようにがっちりと通じているのだろう)から、相手はぼーっと、ぽかーんとしていき、物凄く暗示が入りやすい状態になってしまったり、下手をすれば相手の潜在意識がまるで助けを求めるかのようにその人のトラウマやらを浮上させてきてしまう。

同時に、相手の顕在意識や周囲からは、まるで宇宙人のように見えてしまうわけだ。

そして、私は私で(これは今の私が、かもしれないが)、相手の顕在意識の声、潜在意識の声、身体の声、魂の声とでも分類できるような声が、まるで4か国語一遍に聞こえてくるかのように聞こえてきてしまっていた(いる)。私も私で、それらそれぞれを顕在意識で聞いて返事をするか、潜在意識の耳で聞くか、身体の感覚で聞くか、魂の耳で聞くか、とどの組み合わせが今適切かを逐一判断する必要に迫られていた。


そしてこれら全ての現象(まだたくさんあるが)、自分で説明をして助けの求めようもなかった。
例え説明しようとしても、おかしな現象だ、あり得ないものだとされ、これを説明して外に助けを求めること自体、まずいことなのだとも学んできてしまっていた。

後年、初めて、まだまだ抽象的で具体的なところはわからなかったが、これらがどうやら全て「エリクソン催眠」というものと同じようなことをしているらしい、と知った。
…しかし、ここまでわかったからと言って、現代催眠の天才とも言われるエリクソンと同じような手法をどうやら行っているらしいなどと、悩み相談できるわけがない。かといって、エリクソン催眠は書籍ではほとんど学べない(それでも、書籍で研究すればするほどどうやらやはり同じ現象を起こしている…ことは判明して行った)。

エリクソン催眠に深い知識を持っている人は、どうやら日本には少なくともほとんどいない。おられたとしても、理論で学んで取り入れられるところだけ取り入れているため、深いものはやっていない。私の現象を説明しようとしても、自覚できる範囲の説明では現象自体を理解してくれない。


今までただひとり、本当にエリクソン催眠を深く理解し、かなり究極までにセッションやら講座やら全てに、全ての瞬間と言って良いほどに組み込み使いこなしている師がおられた。
いや、確かこの人が、私の現象を拙い私の自覚説明で聞いた時「エリクソン催眠みたいなことをやってしまっていたんだね」というようなことを教えてくれたのではなかっただろうか。

そして、紆余曲折ありながらも、この師についていこうと強く思い、この師の講座を受けた。この方の催眠療法をベースにした心理療法はとてつもなく複雑で底抜けに深く、ワークも物凄かった。そしてクライアント役の時(いやセラピスト役の時もオブザーバーの時も)、とてつもない勢いで自己分析が深まっていった。
そして、この師の開発した数々のやり方は、顕在意識ではとてもではないが理解できるようなものではなかった。まさに天才としか言いようのない師であった。
ただ、私はこの師のやり方がとてつもなく心地良かった。理論(言語化)では理解できなかったし説明できないが、「私」の潜在意識領域の存在の視点から、とんでもなく共感し、体感的に理論が腑に落ちどんどん入ってきたのだ。

そして、この師は、カウンセリングも(恐らく、師自身自覚をしながらだったのか本能的なものだったのか)、何重にも何重にもエリクソン催眠が仕組まれていることを感じた。その上に、確実に理論のある交流分析の人生脚本分析の達人でもあったのだから、計り知れないものがある。恐らく理論と本能両面から究極攻めができる人なのだろう。

しかし……これは実は更に後年自覚したことなのだが…
理論で理解できない(ある意味できるわけがない)だけに、この師のカウンセリングを見たり聞いたり受けたりしている内に、どうやら知らず知らずのうちに、私自身もクライアントさんにカウンセリングをする時、このやり方を(もちろん足元にも及ばないだろうが)受け継いでしまったようだ。
私の潜在意識が師の潜在意識から学び受け継ぎ、更に本能的に更に更に深いセッションをするようになってしまった。

この師は、エリクソン催眠(これだけで確か数日かけるようなものではなかっただろうか…)やエリクソン催眠を組み込んで体系化されたNLP(これを更にエリクソン催眠を深く入り組ませて使うので超発展版のようなもののようだが)の講座も開いている。
が、経済的にとてもではないが、これ以上ついていくことが叶わなかった。

この間に、まあ理論もついてきたため、セッション直後に考察をすると本当にどこまでも裏の裏の裏、先の先の先まで読んだ上で今敢えてこうした、というような潜在意識の戦略・計算が読めるようにはなってきたが、今もどんなセッションの時にも潜在意識のこれが発動してしまう。
そしていつしか、(まあそれ自体が”自覚されるようになってきたから”ということなのかもしれないが)…私は、セッション中自分が何をやっているのかわかっていないわけでは決してないし、セッション直後に考察すると(もしくはその瞬間でもそれを喋り”ながら”・反応をし”ながら”)、潜在意識が明確に意図して緻密な計算をしているとわかるわけだが、しかしながら、どこかで意識領域(エゴ)が、「この倫理というものもある社会でセラピストとして行うには、やりすぎではないか、まずいのではないか」という思いが出てきていたのかもしれない、要するに潜在意識で確信しながら行っているにも拘わらず、潜在意識が確信してそれを勝手にどんどん行ってしまうことが、恐くなってきていたのだ。

まさに本日、自分の状態をもう少し言語化して説明できるような発見をしたため、もう少し私の無自覚のセッションベーススタイルについて書き残してみたい。
ちなみにこれは、上述した師の元ではない。現在、別の催眠療法士の講義を受講しており、ただしこの師も、話ができる時間がないということもあるかもしれないが、初級の受講時から感じていることは、例え話しても、内的事象はわかってくれそうにない。そのため何かしら独力で悟ろうと覚悟して受けていたのだが、何と、ワークにおいて、それこそ内情はほとんどお互い話していないのだが、それでも傾向に類似点があり、現象事象に寄り添って私の主訴としてこれを取り扱って下さった受講生仲間が。初級の時にも一緒にペアを組んでワークをしたことがあり、今回も不思議なことに、ランダムで組まれた中で再びペアに。更にその次の日、機械のランダム選定でまたバラバラに組まれるはずだったのだが、本日またペアになったため、継続して、私(達)の人生のある意味軸となってきたこの「無自覚エリクソン催眠」とその2次的に起こってきた複合問題に取り組むことを手伝って下さり、おかげで突如急速な気付きとなって現れてきたのだった。

私は、ある意味エリクソン催眠とロール・プレイング療法を無意識的に組み合わせて使っていたような形であったのか(実際、私自身が解離者ということもあるのか、セラピストは1人では絶対に不足である、サクラが必要であると感じていたことも確かだと今気付いたのだが)、どうやらいつも「北風と太陽」の両役をこなしており、北風をしっかりと演じることによって太陽の効果を(しかもこちらがエリクソン催眠であるためクライアント本人に気付かせずに)倍増させようとしていたのかもしれない、と気付いた。
私は、経験年数も出会ったクライアントさんの数も少ないが、それでも、漏れなくとてつもなく深い複雑な問題を抱えているクライアントさん(更には半数以上が他のドクターやセラピストの元でどうにも悪化したり見放されたりうまくいかない人)が来られている。念のため書いておくが、決してこのような人を対象として看板を出しているわけではない(つもりだ)。

このような系統のクライアントさんは、顕在意識同士のカウンセリングでは大抵うまくいかない。抵抗、混乱、転移…。
そして、私のたった一言で、一気に頭がフル回転して「こういうことだろうかああいうことだろうか、こういう意味だろうか」と(ある意味、本人の深いところに持っているパターンやプログラムに翻弄されて)邪推し出してしまう。
こうなれば、本人が本人の言葉で自分にどんどんおかしな自己暗示を入れていってしまうため、表面的な言葉(顕在意識の言語)で例えセラピストが何を言っても、全て本人の歪んだ認知・色眼鏡を通した解釈で自分の中に通し、おかしな暗示へと変えてしまう(外から入ってくる光も自分の中で好きな、しかし自分に不利な方向に屈折させてしまう、とでも表現しようか)。
そして表面的に一番困ることは、セッション時間全部、クライアントさんの一遍にバラバラの方向へ駆け出すかのような言葉で埋め尽くされて進まなくなってしまう。

…ただ…もしかしたら、私(達)の幼い頃から、そういう関係ばかりだったのかもしれない、と客観的にふと思った(記憶としては全くない)。そうででもなければ、こんな言語パターンでの交流は、私達は編み出して身につけてなど来なかったのではないか、と。

ともかく、そんなわけで、この系統のクライアントさんには、顕在意識には少し休んでいてもらうか顕在意識用のいわば玩具で遊んでいてもらって、潜在意識と会話する必要がある。
そのため、私は敢えて顕在意識に、いわばパンチを仕掛ける。そして相手の顕在意識がそれを掌で受け止めたところで、相手が必死に受け止められるくらいのぎりぎりを保ちながらパンチに力を籠め続け、セッション終わり頃にふっとそのパンチを一気に引っ込め、相手が勢い余って胸に飛び込んで来たところを受け止める、というようなことをする。
…と、こういうところでも例え話で表現してしまうほどに隠喩癖がついているわけだが、つまりは、混乱法をふんだんに用いたような暗喩話(相手の顕在意識が思いっきり抵抗してくるので、その隙に潜在意識にどかんどかんとふんだんにセラピーを入れやすい)や、時には挑発(これをすると、後でパンチを引っ込めやすいという利点がある…)、また、相手が転移を起こしてきた時などは、本来カウンセラー・セラピストは転移を起こさないよう、起こしてもなるべく収束させるようというような常識があるが、転移というのは顕在意識が思いっきり気を取られて抵抗を起こしたり”おもちゃで遊んでいる”時であるので、ついつい思いっきり利用してしまう。
他、良くやるのは、表面的にはダイレクトな暗示(顕在意識にも理解できる言語での直球メッセージ)を入れる。深く複雑な問題を抱えているクライアントさんというのは、大抵ダイレクト暗示には抵抗を示す。しかし、もし、もし少しずつでも刷り込まれ入っていけば、セラピーとしては御の字、一石二鳥三鳥と相乗効果になっていくわけだ。そしてこの抵抗は同時に、ダイレクト暗示やわけのわからない混乱誘発だらけの暗喩話の裏でひたすら仕込んでいるメッセージや潜在意識同士の会話をすんなり通すため(顕在意識という門番の検問をすり抜けてクライアントさんの本心に触れていくため)に有益となるわけだから。
また、普通に話をしている時でも、基本的に相手の言うことに(相手の段階に合わせて、それが真実であろうがなかろうが)「そう、その通り、わかってるじゃないか、だから~なんだ」という言い方で、自分でも自分は屁理屈の達人になってきているのではないだろうかと思う程に、相手のどんな言葉も目的意識の方向へすり替える。

しかし、顕在意識にとって(両者)、抵抗というのは、疲れるものがある。エネルギーを使う。それを使わせている罪悪感(のようなもの)。
そして、利用的アプローチ・許容的アプローチにも限度があるのではないかと思ってしまい、罪悪感も感じてしまっているような面もあるわけだ。
更にはクライアントさんの顕在意識から私の顕在意識へ来る抵抗は、純粋に率直に、私の顕在意識も私の潜在意識に騙されてしまいつい相手の顕在意識の抵抗にダメージを食らってしまう(これは私の顕在意識がその瞬間に自分の潜在意識の戦略ー顕在意識がおとりにならねばならないということを理解しきれていないところなのかもしれないが)。潜在意識は本領発揮でセラピスト根性をただただ突き進むので揺るがないのだが、顕在意識はなぜか疲れるという現象が。そして顕在意識としては「(ダイレクト)暗示は恐らく全て弾かれた。このセッション、本当に意味があったろうか」となぜだかつい思ってしまう。

さて、そして、水上(顕在意識同士)で攻防戦をやっている中で、潜在意識(と顕在意識)で相手の潜在意識に暗示(ある意味強烈な攻撃)を入れ続ける。
しかも私は基本的に一石二鳥三鳥四鳥でなければ気が済まない、もったいないと思う性質が災いして…いや効を奏してか?二重も三重も四重も仕掛けた暗示を(つまり必然的に相手の物凄く深い領域に)入れ続ける。
そのため、クライアントさんはなかなか良く、セッションが終わった頃には水上での攻防戦や混乱、つまり顕在意識に仕掛けたパフォーマンスしか覚えていないことも多い。
目の見えていない人が何か危険な目に遭いそうになって、誰かの腕の中に突如ふわりと助けられた時、拍子抜けしすぎて状況把握が追い付かず、「何が起こったんだ?!?!」となるようなもので(深い問題を持ったクライアントさんというのはそもそもが過去の危険な状態に今もまだいると錯覚しているため、セラピーセッションに来ている時点で「今は安全」の拍子抜けの落差にそれだけでもそもそもパニックになっているものである)。その上に、顕在意識でも「今日のセッションは何か意味があったのか?本当に何かセラピーだったのか?」と、わけがわからないままの場合も多い(無論、私のパターンをまだ信じ切れていないクライアントさんには、最後に顕在意識も納得させるという工程はするのだが)。

(そしてもちろん、潜在意識ではその分深く”本当のセッションの方”を沈殿して覚えており、必ずどこか必要なタイミングで芽を出すはずなのだが。実際、私のクライアントさんたちは、大抵1か月2か月後に、「ああ、あの時言っていたのはこれのことだったのか!」と、その代わり深いダイナミックな気付きを得る)。
※ちなみに、顕在意識であまり攻防戦をしなくて済むクライアントさんももちろんおり、これらのクライアントさん(いや、攻防戦をするクライアントさんもそうなのかもしれないが)は、その1回の中のカウンセリングでの気付きが早く、大量に出てくる。これは、私の師のカウンセリングは当然ながらその何倍もであったかもしれない。
※更にちなんでおくと、他の催眠療法(退行催眠やパーツセラピー)でも、深いものになると潜在意識を更に深くカウンセリングするため、物凄く大きな気付きが大量にあるが目覚めた時「顕在意識は」何をやられたのだかわからない、まるで狐か狸にでも化かされたかのような気分になっている場合も多い。赤ん坊が自分が今立った、歩いたという成長の認識がないように、ひとは自分自身の「底上げ」の感覚は自覚できないものである。的確な分析力の高い人は、後年になって「あれはこういうことだったのか」と急激に大量に顕在意識でも気付いていく。

ただし、私の角度から見ると、顕在意識が思いっきり攻防戦をやっているくらいに目覚めている(顕在意識優位の)状態で、普通のカウンセリングだと思われている状態で、とてつもなく深い「催眠セッション」を行ってしまっていることになる。
これにも実は罪悪感があった。
なので、最近は少しでもこの自分の罪悪感を緩和するためにも、クライアントさん本人に何となくでも、「常に潜在意識レベルでセラピーをしている」ような旨、先に伝えている。

また、私はセラピストという職業を、世界一狡猾な詐欺師であると思っている。というのは、「言葉というものはそもそも、嘘しかつくことができない」ことを深くまでわかっていながら、「言葉のやり取りだけで仕事をする」からである。
そして、上に同じことを書いたが、本人が自覚で気付くことのできない水面下、裏の裏、潜在意識同士の領域で、物凄く深いセラピーを行いながら、本人が自覚できるところでは(私にとっては、なのだがいわば)あからさまな小手先のパフォーマンスで目くらましをするからだ。
そもそも物事の真髄(クライアントさん自身の宇宙)に繋がるために、道があったとして、その道に行くため、歩くため、その補助をするために、例えばその道が白い道であったとしてもクライアントさんの現段階の色眼鏡では黒に見えてしまっている。そんな場合、”今のクライアントさんの目に映る白い道(これは本来の白いこの道ではない)”に行ってしまわないために、今のクライアントさんの段階・認識の範囲に合わせて、「そう、あなたの進む道は黒いんだよ」と言う。これは、あくまで騙しているわけではなく、クライアントさんが今後色眼鏡を外し、「本当に白い道を白い道と認識」することができるために嘘八百を並べているわけだ。
…なのだが、私はこれにも、長い間ずいぶんと罪悪感を抱いてきた。
そのためこれも、案外直にクライアントさんに「クライアントさんのその時々の段階・持っている理解できる語彙・認識できる範囲に合わせて、本当は白いもの(後でこれは白だというかもしれない)でもまことしやかに”これは黒だ”と言う。そしてその日の午後の別のクライアントさんにはもし同じ話をしても、”これは緑だ”といかにもまことしやかに言う。」とはっきりと説明してしまうことが、しばしばある。


これらは本当に、クライアントさんが将来本当に”ゴール”に到達しやすくなる、自己治癒力・成長力を潜在意識から効率よく飛び出せるようにするためならば「手段を選ばない」、クライアントさんたちに私が「心理領域のブラックジャック」と称されるまさに所以である気がする。

今回、初めてエリクソン催眠を、一通り習った、ようだが、私のベーススタンスが次々となぜか説明されていくような、私の言語化できなかった人生の悩みを、まさに代わりに言語化してくれているかのような体験だった。

エリクソン自身も、自身の開発したセラピーを体系化していない。書物を残していない。それどころか、弟子たちが彼のベースパターンを体系化して説明すると、本人が笑いながら「確かにそうやっているかもしれない」というようなことを言ったくらいだという。

ということは、私も私自身が、自身の体験経験を積み重ねることで自分の中でエビデンス(これで大丈夫なのだということ)を見つけては重ね、自身のやっていることを更に自覚に上げ、効率を上げたい時に効率を上げたり「やりたくない時にそれをやってしまわない」ことができるようになれば、もしかしたら、完全に突き抜けることができるのかもしれない。
そして……私は歩行や食事・家事のやり方が周りの人たち(晴眼者たち)と違うように、私のベーススタンスがこれなのだ。ならば、例え他にどんな心理療法をその上に組み合わせて行こうと、どんなに他の療法に切り替えようとしようと、エリクソン催眠は組み込まれている。
ならば、通常の人間関係(セラピストとしてではない時)でも、自分が何をしているかさえ自覚にあげて、あとは無理にそのスタンスを消そうなどと、する必要はないのかもしれない。私は炎天下の下では、今やもう、白杖を手放しては移動することはできないのだから。


そして、私はこれらの手法、潜在意識を開いていればぐいぐいとそれこそ制御困難な勢いで出てくるが、事前に顕在意識でセッション準備のためにクライアントさんへのアプローチを考えると、一気に落ちてしまう(少なくとも、自覚ではそんな気がしている。最近はそうでもないのかもしれないとは思うのだが)。潜在意識の勢いが大きすぎて、それに比べて意識的に扱うことができていないという感覚がしてしまっているのだ。
これも、自分のやっていることを自覚にあげていき、文法構成能力と発音発話を繋げて行くように、潜在意識と顕在意識を繋げ連携を強化していけば、きっと顕在意識でも潜在意識並みに扱うことができるようになるだろう。

…あとは…せっかくのこのエリクソン催眠、なぜだかセラピストとしての活動を世に知らせていくこと、必要なところに届かせていくことには、まるで使えていない。まあ、これももしかしたら意識的に使おうとすると使えなくなっている、とか、騙している(詐欺師)のような気分になってしまう、とか、エリクソン催眠自体が悩みとなっていたことによって社会と繋がることに歯止めがかかっていたからかもしれない。
であれば、エリクソン催眠がベーススタンスであることをありのままとして受け容れれば、きっとこの方面でも「自分の能力を」利用できるように、きっとなるのだろう。そもそも「そこにあるものを利用すること」が得意中の得意であるわけなのだから。


エリクソン催眠とは、短く言えば、ただ雑談をしているだけのような感覚で、いや、だからこそセラピストがクライアントの中の偉大な医師と対話をし、クライアントさんの意識では自覚がないうちに、気付かないうちにいつの間にかいつの間にか問題が解消していく、そんな手法です。
そのため、もしかしたら、クライアントさんは、「このセラピストは一体何をしてくれたんだろう、何も役に立たなかったじゃないか」と思われるかもしれません。
面白いことを付け加えると、それと同時に、顕在意識は普通に人間と雑談をするので、クライアントさんの顕在意識は顕在意識で社会性や人間交流のやり方などの学び・練習(訓練)にもなります。

エリクソン催眠を体験してみたい方、いつの間にかいつの間にかご自身の人生がベースアップしていく、そんな体験をしてみたい方は、ぜひ、Websiteにいらしてみてください。

※ちなみに、この記事の中で言っている「暗示」や「相手(クライアント)の潜在意識に入れる」「ダイレクト暗示」などと言っているものは、
・クライアントさん自身もカウンセリングで気付いてきている、本人自身を生きづらくしている認知の歪みによるパターンや信念を緩和し今の本人の人生に有益な認知・信念に角度調整すること
・クライアントさん自身も気付いていない(まだ直面できない、自分の中にそれがあるとは認めることが難しく、深ければへたをすれば何年もカウンセリングをしても向き合うことの難しい)、しかし本人を困らせ生きづらくしている認知の歪みによるパターンや信念などを緩和し今の本人の人生に有益な認知・信念に角度調整すること(これは本当に本人の中でも気付かないままいつの間にか変わっていくため、本人も気付かないのだが、いつの間にかベースアップされているかのように当たり前の感覚で生きやすくなっている)
・クライアントさんの症状などを内側から緩和し、クライアント心身を本人潜在意識(身体)に本来の状態へと調整して戻していってもらうもの(薬の注射や鍼灸・整体のようなイメージがわかりやすいだろうか)
・そのためのクライアントさんの潜在意識(身体)の中に底知れず隠れている自己治癒力、成長力をどんどん解放して底上げ(ベースアップ)を促していくもの
をクライアントさんの中に(無論本人の潜在意識の意志とは相談しながら)組み込んで行く、ということ。

エリクソン催眠だけでなく、催眠療法とは、
本人がまだ向き合うことも難しいような深い問題をも、こっそり同時に扱い、本人の顕在意識に無理なく(うまくすれば本当に気付きたくないことや人生の目的のためには気付かなくて良いことには気付かないままでそこに絡みついている問題でも)解消していくことを可能とする、
そしてセラピーセッション中だけではなく、それよりも更に更に普段の日常からいつの間にかどんどん人生が好転”して行っている・するようになっている”、そんな現象を起こさせる療法である。


追記(自身の記録):
私には、これとは関係がないと思っていたが、つい、エリクソン催眠のベーススタンスの上に様々な療法を組み合わせたり併用して、逆にセラピストの私自身の中で方向性が定まり切っていないような感覚にとらわれることも最近の悩みのひとつだった。(ある意味手法が多岐に亘り過ぎているという意味でもあるので、贅沢な悩みだったが)
ただ、これも、ふと気付けば、私自身にとってエリクソン催眠があまりに当たり前(ベース)すぎて、これだけではちゃんと内容のあるセッションをしている気になっていなかった(そもそもクライアントも拍子抜けで内容の濃密さを自覚できないことが多い手法でもあるわけで、私自身までもがそんな錯覚に陥っていた)部分もあったのかもしれない。
これも、全く同じもので解消しそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?