ユーティライゼーション(利用的アプローチ)の真髄的な意味

本当のユーティライゼーション(利用的アプローチ)とは、
”クライアントの 命の輝き を、セラピストのその 眼 で、しっかりと 見る ことである。”
と、思う。

クライアントは、確かに表面的・一時的(つまり言語)では、確かにいろいろなことを言う。

しかしその出てくる言葉は「言葉」であって、一面的なものしか表すことのできないものであって、
それはすべて、「That's right(その通り)」なのである。

…と書いてしまうと、話が終わってしまうが…。

例えば、クライアントが、何か表面的にはクライアントの真の願いではないような(本人にとっては苦しみであったり不利ではないか、セラピストや常識のある大人としては逆の方向へ仕向けていった方が良いのではないだろうか、というような)言葉を発してきたとする。

もちろん、適当(中途半端という意味の)にすべて「That's right」と答えておけば良いわけではない。
だがしかし、「That's right」なのだ。その理由とは、つまり、そこでそれが肯定され、更に応援され、背中を押された時、
クライアントの反応とエネルギーというのは、
「クライアントの真のwant」の方向へと背中を押され働くのである。
これは、いくつかの心の法則を持ち出すことにおいても説明できる。そして本日は敢えてその角度から書き綴ってみようかと思う。

さて、もしクライアントが本当にそう在りたい方向に動いているのなら、これは言わずもがな、「That's right」である。これは肯定し応援することで、言わずもがなそのエネルギーが強まる。
敢えて心理学的に言うなら、生理的覚醒による優勢反応の強化が起こるわけだ。
(生理的覚醒による優勢反応の強化とは、簡単に言えば、ヒトは応援されたり「よし、やろう、やろう、やろう!」と思えば思う程、自分の中にある「~したい」が強い方が強化される。例えば、試験前に勉強しなきゃ(=したくない)時に、しようしようと思えば、どんどんしたくなくなる…つまり自分の「Want」が素直に応援され強くなる。)

前述の、クライアントにとってよろしくない(つまり人生に不利であったりセラピストにとって「ん、これは言葉とは逆方向へ向かせた方が良いのでは…」と感じるような)「言葉」が出た時も、実は同じで、
クライアントがそういう「言葉」を発してきた時は、私にとって非常にまだ言語化したことがなく説明が難しい部分なのだが(だから言語化できるようにしておきたくて記事にしてみているのだが)、例えばだが交流分析的には、大抵その下には「~ねばならない」信条(ビリーフ)、そして本当の自分の価値観ではない受け継いだCP、プログラム(禁止令)が隠れている。
この禁止令自体は、掘り出すのはすぐにできることではないが、しかしながら、「クライアント本人の潜在意識」は、実はこれをちゃんと知っている。
(ちなみに私はこの辺りのことをわかりやすくするために、人生脚本プログラムが埋め込まれる潜在意識を浅い部分でどちらかと言えば顕在意識に近い「意識下」で、本当のあるがままの自分を潜在意識の深い部分という言い方で表現してみる時もある)。

ひとの心は、「~ねばならない」(ちなみに今回の記事の場合、それはクライアントの口からは「~したい」と出て来たりもするわけなのだが)を全面的に「That's right」と言われて応援されると、反応(行動)としては反発する法則を持っている。心理学的に言えば、これが心理的リアクタンスだろうか。
(もう一度言っておく。心理的リアクタンス=ひとは「~ねばならない」を応援されると、反応としては反発する。)
これは、先程の生理的覚醒による優勢反応の強化と同じであるとも私は思っているのだが。「~ねばならない」は、「~したくない」であるから。(念のため語弊を払拭するために言うと、十把一絡げに「~ねばならない」と口から出てくるもの全てが「~したくない」という意味だと言っているわけではない。)

だから、セラピストがクライアントの話を聞いていて、クライアントの口では「~したい」という(もしくは、かとでもいうような)表現ではあるが、それはその下に「~ねばならない(~したくない)」が隠れているな、と言う場合、それをセラピストからダイレクトにクライアントに気付かせることは不可能である。クライアントは直面できないから(気付きたくないから)そう言っているのであるから。
だから、やはり「That's right」なのである。それを「やらせない(で済む)」ために。

更に、ちなみに、ひとの心には、逆効果の法則がある。
一生懸命に何かをしようとすればするほどできなくなる&してはいけない、と思うとやってしまう…私はこれを説明する時にこのような例を出すことが多い、例えば「タヌキのことを今から”絶対に”考えないで下さいね。尻尾がふさふさで何と水玉模様がついている、可愛い可愛いタヌキのことは絶対に考えないで下さいね。何があっても考えてはいけませんよ、あ、ほら、お腹に星柄の入ったお母さんタヌキだとか、ああ、ああ、その後ろからほら、あんなに可愛い何とカラフルなお洋服を着た子ダヌキさん、その後ろからぽんぽこなんとリズミカルに腹太鼓を鳴らしながらついてくるお父さんタヌキのことなんて、ほらほら、絶対に考えてはいけませんよ!」
…なんて言うと、どう頑張っても頭からタヌキが離れなくなってしまう、そんな法則である。
意識しているのにも拘わらず、それを「意識から引き離そう」とすると、まあ引き離そうとするもの自体が意識の中で意識によって行われることなのであるから、引き離されるどころかどんどん意識の中で膨らんでしまうわけだ。
ついでに加えておくと、ひとは意志と想像では必ず想像(潜在意識)が勝つから、「何かを考える」よう指示を出しておきながら上述のようなことを言えば、もう尚更タヌキだらけになって考えるべき指示内容などほんの僅かも頭で考えることなどできない。

だからもし、クライアントの中からあまり持っていると良からぬものが出てきたとしても、やはり「That's right」なのである。それでいいのである。
セラピストがそこですべきことは、「それ(出てきたもの)」を利用するか、もしくは別のものを意識させることで、もしくは上述の生理的覚醒による優勢効果の法則や心理的リアクタンス、もしくは優勢効果の法則(強い感情と結びついた暗示はより強い影響を与える)、更には注意力集中の法則(何度も何度もある考えに繰り返し注意を集中すると高確率でそれが実現していく)を組み合わせて、反らさせたり、結局「行くべき」方向へ行くようにと図っていくこと。それだけなのだ。
ついつい、表面に言語で出てくるものにとらわれ踊らされて(それが例えば「死にたい」「今すぐ自殺しようと思う」「この症状があまりにひどい、今すぐ僅かでも何とかしてくれ」など重かったり人間的に衝撃を与えるものであったりする場合もあるから)、表面(顕在意識の言葉)に反応し対応しようとしてしまったりするのだが、それよりは、上記のやり方(ユーティライゼーション)を行った方が、表面的には一見、ひどく遠回りなように見えるかもしれないが、実際は断然効果が早く、それが例え表面的に(深層的にも)危機であったとしても断然早く抜け出すのである。

また催眠療法の場合でも同じである。催眠下であっても当然ながら上記の法則は働く(寧ろもっとはっきり強力に働くかもしれない)ので、クライアントの表面的言語を主訴として(つまりクライアントさんの本当の主訴を事前カウンセリングで見極めきれずに)「では暗示療法をしましょう」と深い催眠に入れただただダイレクトにそれを植え込んでも、効くのは遅く遠回りになるか、下手をすれば逆効果になる。

例えば、眠れない、という多くのクライアントに対して、「では眠れるために~をしてみましょうか」などなどと表面的なダイレクトなやり方で眠れるよう図っていくのは、逆効果でしかない。
眠れない→眠ろうとすればするほど眠れなくなるんです(心理的リアクタンス←と言うのかはわからないが、この記事では同じところで説明している現象)
これは当たり前の現象であるし、
眠らねば(今眠れていない、眠れない)、眠らねば(今眠れていない、眠れない)、…を本人の中で繰り返せば、「眠れない今の状態(イメージ・想像)」がもはや定着してしまい、それを実現するのも当たり前なのである。
その上で、毎回毎回、セラピストやドクターの元に来るたびに「眠れないんです」を繰り返すことになるから、いやそれどころか日常でもはやいつもいつも「私は眠れない人間」ラベルを貼り続けているだろうから、注意力集中の法則で自己暗示となりそれが実現していくのも当たり前だ。

自殺願望や希死念慮の場合はもっと深刻である。セラピストが下手に動揺し表面的な対応をしてしまえば、どうなったものかわからない。「That's right」をするのは怖いかもしれないが、それよりも顕在意識対応をする方がよほど危険なのだと知れば、どうしてもユーティライゼーションに行く。

ただし、あくまで、だからといって何も考えず「That's right」と言い続ければ良いわけでない。
ひとの心の法則は当然ながらこれだけではない。例えばだが、交流分析的に言えば自我状態の出方の強さに不自然なパターンや強い偏りがある場合やまた別のプログラム(禁止令やドライバー)があるなどで、考えなしにこれをやってしまえば(それはそもそもその時点で表面的にやっていることは同じに見えてもユーティライゼーションになっていないことになるわけだが)、上記の法則による反発の上に更に重ねて二重の反発を起こしてしまう(例えば挑発を受けたかのような形になる、など)ような場合もある。
ちなみにセラピスト”側”からの「That's right」も、言葉の表面上は「That's right」そうだね、その通りだ、などという文字列表現でそう聞こえるはずなのだが、クライアント(の顕在意識)にとっては必ずしも「That's right」と聞こえていない場合もあるわけだ。
(ちなみに私のクライアントさんの中では、私はカウンセリングの度に肯定したりうん、うんと頷いているけれど、しばらく経って何回もセッションを重ねても「セッションの中ですらも私は共感も肯定もしてもらったことない」と思っていた人もいる)
セラピストは常に、その裏の信念(ビリーフ)・プログラムがあるか、あるならどのようなそれか、常に必ず見極めている必要はある。見極めた上で、潜在意識に応える方法をとるわけである。

これはあくまで表現であって、本当に表面的にそう見えるクライアントに考えなしにそうすればいいと言っているわけではない。
が、あくまで表現として、眠れないと訴えるなら(それで困っているのにそれを「やらない」選択をしているなら)、眠ることを強力に禁止した方が、クライアントはあっという間に自分から眠るようになるのである。

更には、その眠れない時の状況を”観察し聞き取りをしていることだろうから”、そこで出てくる情報を利用し、注意力集中の法則や逆効果の法則、既に「眠れない」反応で出てしまっている心理的リアクタンスや生理的覚醒による優勢反応の強化の法則を逆利用したり他の角度から使ったり、更には巧みに優勢効果の法則(要するに感情を見つけたり引き出したりしてそれを利用し暗示を入れる。ここまで組み込むのはなかなか難しいが)・他 時に挑発や混乱法などを利用し組み込み織り込んで、本当に行きたい方向に寄り添って(導いて、ではなく、ただ単に寄り添っているのである)いく。
例えばもはや薬漬けになって危険なほどの薬を毎晩煽っても眠れなくなっているようなクライアントであっても、言葉の使い方ひとつで、薬なしで眠ることができるようになる道も一気に拓けるわけである。

抵抗するクライアントはいない。セラピストがそれを「抵抗」という概念枠で見ているだけか、セラピストが抵抗を起こさせるような手法をとっているか(敢えてそれを使ってその外側からユーティライゼーションになっているようにする場合もある)、というだけで。

セラピストがいちいち勝手に心配したり介入したりせずとも、正しい寄り添いさえあればクライアントは勝手に、しかも誰よりも(今までエネルギーを止められ滞り溜まってきた分)推進力をもって行くべき(行きたい)方向へ行くのである。

クライアントは、自分の顕在意識で気付こう、見ようとしていないだけで、実は自分の全細胞が生きている自覚に満ち溢れそれを通して幸せを叫んでいることを知っている。
それを、セラピストは、(クライアントの顕在意識の代わりに…ではないが…)その 眼 で、しっかりと 見る こと、命の輝きをしっかりと真っ向から見ることで、クライアントはそのセラピストの”眼に映った(自分の命の)輝き”を見て、自分のそれに気付くのである。

セラピストのすべきことは、それだけである。それさえすれば、寧ろその他のことをするのはお節介・邪魔でしかない。

逆に、それをしないで、セラピストに一体何ができるのだろうか。
…と…、つくづく、改めて、そしてかつてなく更に深く、感じている昨今である。


ちなみに…私は、「セラピストというものの無力」「セラピストというもの(しかも”職業”)が、一体何の役に立つのか」というような無力感のラケットを度々感じていた時期がある。
もし、似たような方がおられたなら…、私はこの時、唯一、上記のたったひとつのセラピストのやること、が、抜けていた、から、そんなディスカウントに陥ることができていたのだと思う。
また、それは同時に、自分自身の細胞ひとつひとつの命の輝きを、しっかりと放つことができている、ということでもあるのだ。


さて…この記事に別にあまり意図したオチはないのだが、私が言語化してみたかったことの言語化を試すために書き始めてみた。
私はこれらを、随分と本能的に勝手に組み込んでいた部分があったので、これはこの法則によるもの、これはこの法則によるもの、と、顕在意識言語の方向からとでもいうのか、概念で切り分けてメカニズムを言語化するということをしてみたかった、する必要も感じていたし、その上で更に潜在意識目線からも顕在意識目線からも協働して倍加に倍加を重ねることができるようになりたかった。
折角、持っているもの、最大効率で使いたかったし使えるようになることこそがあるべき姿、すべきことであったから。

そして同時に、私は来年(予定)から始動させていく催眠療法や心理療法のコースのために、テキスト制作を進めると共に何をどう教えるか、セミナーに何をどう織り込んでいくか、説明すべきことをどう説明していくか、言語化している、その一端、小出しのつもりで書いてみた記事でもある。

これらの法則の織り込み方、使い方、具体的にどうすればいいのか…などは、エリクソン催眠も折りこむような中~上級催眠や(因みにエリクソンはこれらの基本的な法則を非常に巧みに計算し尽くして徹底的に重ねて組み込んでいたようだ)、カウンセリングのやり方、心理療法のやり方など大分臨床に入ってきてから行うこととなるだろうが、
法則自体(優勢反応の強化や心理的リアクタンス、注意集中、逆効果、優勢効果の法則など)とそれぞれの簡単な使い方やそのワークなどは、催眠療法の基礎講座の段階で折り込む予定である。
(というのも、基礎講座では短期間だが暗示療法や自己催眠までできるプログラムとなるし、そもそもこれらは実は、催眠と言うものが何か、潜在意識の特徴とは何かということを説明する最初の最初の段階時点で、知らなければ進まない内容であるから)

ちなみに、催眠療法講座でなくともこれらの法則自体は対人支援や臨床系・自身と向き合い自身を癒したり自己実現を目指す方の心理学基礎、心身のメカニズムなどでも扱っていく。これらは既に開講を始めているものであるし、将来的にはカウンセリングの仕方や心理療法を多角的に学ばれる方へのセミナーでも扱っていく予定である(要するに何につけても非常に重要な法則たちでもある)。

既に対人支援や臨床関係に携わっている方にも、実は私は”いやしびと”の方々へのメンテナンス(カウンセリングや整えるためのセラピー、情報共有など含め)も行っているので、もちろんこんなところでもしょっちゅう話題に浮上することとなる。


もしご興味のある方は、ぜひ、現段階からでもお声がけください。
(お問い合わせフォームからメッセージいただいた場合、直接私へと繋がります)


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