もしや、”配慮”の尽くされた場所?~どちらが”バリアフリー”なのだろうか?

数日前、親戚関係の用事のため、山梨県、都留市へ。

都留市駅のすぐ近くの宿、寄り道の湯という場所へ1晩宿泊をしたのですが、驚いたことが。

ここは、外からは都留市駅から100Mほど、建物の前についてから、自動ドアを潜り抜け、一旦、一段小上がりとなっており履物を下足箱に入れ、そこから改札のようなものを通って中に受付カウンターがあるという流れ。
これが、

写真でわかるものだろうか…、扉を入って下足箱、そしてそこから、改札のうち一つを通って受付カウンターまで、誘導ブロックが繋がっている。

ちなみに、建物の外は、駐車場からほんの少しの通路があり、その数メートル分だけ、誘導ブロックが敷かれている。何せ田舎に当たり前の形で、開けた駐車場で旅館の建物が囲まれているのだから、さすがに道路から駐車場の真ん中を通って誘導ブロックを敷くことはできない。

しかしながら、東京の都心から訪れながら、驚いたのがこれ。
何に驚いたのか、恐らくおわかりにならないのではないだろうか…

東京は確かに、歩道や建物の前にはどんどん誘導ブロックが敷かれるようになっている。
しかし、ホテルであれ、このような入浴施設(ここ最近、認知度急上昇中の日帰り温泉施設でもあるようだ)であれ、
「建物の前」までしか大抵、敷かれていない。

最近、用があって訪れた地区の保健所でさえ、敷地に入って~建物の前~エレベーターの前までは誘導ブロックが敷かれているが、エレベーターに乗って目的階まで行き、そこから出るとそこは基本的に人がいない静かな場所で、そこから別の部屋に入ることでいろいろな受付が並んでいるが、このエレベーターを降りてからは、誘導ブロックなどの案内がない。
しかも、建物に入る前、保健所の敷地内に入って少し歩けば誘導ブロックがあるのだが、歩道からその敷地内のブロックが繋がっていない(駅やバス停などによくあるように保健所前のブロックだけ点のブロックになっているなどということもなく、ただ歩道に沿って真っ直ぐ続いているだけで、敷地の位置まで来たかどうかもわからない)ため、保健所の敷地自体を見つけることが非常に難しい(数度訪れた日が炎天下でもあり、行く度に保健所のすぐ近くやほぼ真ん前でひたすら迷って通行人に助けていただいた)。

都心のホテルは怖い。
敷地内や建物の前だけには確かに誘導ブロックがあったりする。あるから尚更ある意味怖いもので…。
そのブロックは、悪ければ建物の自動ドアの前まで繋がっておらず、その前で折れ曲がり、どうしていいかわからないところで停止ブロック(点のみのブロック)になっていたりする。その先の壁にインターホンがあったりするような場合もあるが、この場合ですら、そこにあらゆる装飾品が置いてあって杖で目の前の壁を探ったりすることができないようになっていたりする。このインターホンが使用可能なものなのかすら怪しいものである…。私の経験値がこういうところばかりであるだけなのかもわからないが、こういうところがいくつもあることは確かだ。

そして、良くあるホテルでも、確かに建物の入り口は誘導ブロックがある。寧ろ敷地内のどこか(敷地内に入ってそのブロックが見つかればだが)から、入り口まで数メートルは設置されている場所が非常に多い。
が、入り口の自動ドアを入ってから、特にホテルというものは内装が複雑で場所により全く違う。そして受付カウンターまでが遠い。その自動ドアを入ってからカウンターまで、誘導ブロックが敷いてあるところはまず経験したことがない。
ちなみに人もいない。入り口に人がいるようなホテルは今の時代よほどグレードの違うホテルだろうし、今では観光客がひしめいていてカウンターの中でも従業員はいっぱいいっぱいだ。
その上、入り口から受付カウンターに行くまでは一度は90度折れ曲がり、ある程度カウンターに近づくことができなければ従業員も気付いてくれることができない位置関係のホテルが非常に多い。
外側に形ばかりブロックがあるだけに、逆にまるで、ホテルの位置は教えてもいいが受付には来るなと言われている気さえしてくる。
どんな場所でも、その場所までは行ってもいざ入るのが怖いと私がいつも感じてしまう理由でもある。

だからこそ、都留のこの宿には驚いた。
ちなみに、下足箱のところには車いすが畳まれておいてあったような気がする。
しかも…、カウンター横まで真っ直ぐ敷かれていて、すぐ右手にカウンターがあるために一旦停止ブロックがある。通常ならば、この停止ブロックと即座に隣接させて右側に点だけの停止ブロックを並べるところだろうが、ここ、なんと、一旦折れ曲がってすぐカウンターだよということを細やかに合図しようとしてくれているのか、折れ曲がりの停止ブロックの右側に僅か非常に短い線(進め)のブロックがある。停止ブロックというのは、弱視などある程度周囲を見渡すことのできる人ならともかく、全盲や極度の視野狭窄で空間把握ができない場合、何のための停止ブロックだろうかと考えさせてしまう。右側に僅かに進めのブロックがあって即座にまた停止ブロックがあれば、言葉では表現しにくいが、「ここだよ、ここだよ」と表現しているような…「(止まれというよりも)目の前に何かがある」という指示だと判断しやすい。

しかも、これは笑い話だが、この施設、上記したように、一番最初に下足を脱がせる。
下足を脱がせ、裸足に近い状態で歩かせる床に、これが敷かれているのだ。
誘導ブロックというのは、踏むとなかなか痛い。
ホテルの内装などで敷かないのは恐らく見た目の問題もあるのではなかろうかと思うし、歩道の誘導ブロックですら見た目を気にして非常に薄いブロックにしたり色を同系色(判別しづらい)にしたりするのに、ここは、見た目どころか、歩きながら踏むと痛いのだから、本来あまり敷きたがらない系統の場所ではないだろうか。

それが、ここは、中に入ってから、入浴所に移動するために階段があるのだが(エレベーターもある)、この階段にまで、階段の始まりと踊り場、終わりにブロックが。…これは、踏む他ないので、ある意味、なかなか、痛い。
だからある意味、歩行バランスなどに危うい高齢者などには不便ではないかと思わなくもない。しかし、一説に、このような温浴施設に来るような高齢者の多くは、寧ろこのブロックは足裏のマッサージほどにしか感じないか、そこまで足取りの危ういほどの高齢者は恐らく付き添いがなければ階段は登らずエレベーターを使うのではないか。


しかし、何が言いたいのかというと…。
誘導ブロックがたくさん敷かれているから、ひとりでも移動できるようにしている、ひとりでも移動できるだろうという配慮ではない。
視覚障害の場合、よほど何度も訪れていて慣れていれば別かもしれないが、位置関係がわかっていなければやはりいくらブロックがあっても単独で移動は難しい。

しかし、ひとつは、「目印になるもの」にできるものが設置されているということ。
ひとつは、「階段など要所(必要な場所)で教えてくれている配慮」
そして、何より私が感じたのは、これはもしかしたら(場所自体や考案者・支配人と現場従業員は違うので)私の勝手な想像でもあるのだが、
「理解を示していますよ、中に入ってからもご案内する用意がありますよ」と言われているような、受容されているような感覚。他のホテルや役所などでは正面だけで「入ってから」ぷっつり闇の世界になる(ブロックだけでなく、実際”人”にも受け入れ準備がない場合が多い)だけに、なおさら。

もしかしたら、中で困ることがあっても、入っても構わないのだろうか、という気にさせられる。
もしかしたらもちろん、発案者・支配人と現場の従業員にはギャップがあるかもしれないから私が勝手に思ってしまっただけかもしれないが、それにしても、通常の接客にしても、とても良かった。更にはフロントの脇を通ったり入浴所のエレベーターに向かったりするだけでもフロントの中から「行ってらっしゃいませ」と声をかけてくれるなど(受付接客中である時もあったのに…)、やはり気遣いが細やかなのだろうなとも。

ついでに、もうひとつ面白い気付きを書いておくと…。
入浴所の中に、その中でも炭酸泉についての説明書きがあったのだが、(通常は気付かれないだろうが)これが面白かった。
これも説明しにくいのだが、他の温浴施設などでは、大抵、「これはこうだからこういう効果とこういう効果とこういう効果があります!」とこれ見よがしに効能を羅列する場合が多い。
それがここは、そんなに長い文章ではないのに、順を追って
「まず炭酸泉というのはこういう理由でこのような注目をされこのような場所で利用されている」「様々な効能があるといわれる、それは簡単に言うと湯に溶けた二酸化炭素」「二酸化炭素は”『血管を拡張させる働きを持つ物質である』ため、血管を拡張させて外側のお湯の熱で短時間で温まる”、”それにより”様々な効果がある」(←大抵ここで、「二酸化炭素により様々な効果が!」と二酸化炭素自体に効能があるかのように直通させてしまう説明が多い)「というのは例えばこのような効果やこのような効果」「そのために更にこのような効果も期待される」「そのため、このような人やこのような方に推奨される」

なかなか、売り文句というよりもなるべく「事実」に基づいて誤解をなるべくさせないように説明しようという姿勢がひしひしと伝わってくる書き方をする。
これには笑った。とはいえ別に書き方自体は教科書的なわけでもないし、わかりやすく、自然に書かれていたので、通常は気付かれもしないだろうが、なまじ私は物事を説明する時どうしても気にするところ、資料を作っている時にどうしても最初から最後まで気を遣うところを感じさせられ、これは笑った。
そして同時に、それだけ、これを書かせた人もしくは書いた人が、きっちりとした理知的な思考回路の持ち主なのだろう、そして客や自分たち自身に対してやはり誠実な態度を尽くそうとしている人物なのだろうなと、伝わってきたわけだった。

…とはいえ、館内での安心感は感じさせて頂くことができても、慣れない広い場所で単独で入浴することは怖いから、流石に単独で訪れようとは思わないけれども。

しかし、単独時の無理が利かなくなってきてから、このような系統の場所には近づかなくなっていた中で(今回も単独ではない上、成り行きだったので自分の積極的意志ですらなかったけれども)、ふと温かさを味わった。


ちなみに、都留市駅の周りも、なかなか筆舌に尽くしがたい配慮を感じた。
駅周りは田舎道と大きな車道で、駅自隊も昔ながらの、まるでバスの停留所が少し大きくなったかのような、突然電車が走っているような場所のため、誘導ブロックをしっかりと敷けるような場所ではないので、本当に言葉では説明がしにくいのだが、歩道には非常に細いが誘導ブロックが駅直ぐそばまで繋がっており、ただ駅前で車も行き来できるよう歩道が切れるため、停止ブロックになっており(その先にすぐ歩道の切れ目の段差がある)、駅に入る時は車道なのでブロックを繋げることはできないが、駅から改札横の窓口、そして改札までもブロックがあり、改札を通ってホームでも、やはり言いにくいが何となく何のための停止ブロックかが僅かなりと判別しやすいような微妙な位置のズラしがあるなど、もしや当事者に聞きながらレイアウトしたのだろうかと思うような、使いづらいが、「ここにはこう欲しい」というところに手が届いたような配慮を感じた。単独歩行はやはり余程覚え慣れなければ危険が大きいとは感じた。が、逆に”一度教えてもらえれば”、必要なところに目印があって何とかなる、仕組みになっているなと、感じた場所だった。
単独歩行は危険が大きいと感じたとは言え、それを言えばやはり車道や駐車場が大きかったり歩道自体が駅と直結できない田舎道は、高齢者や子供でも危険だろうから。

ただ、何というのだろうか。
慣れてもわからないものはわからない、”わかる方法がない”のが、私の今いる場所(都心)。
それでいて表面的(当事者でない人たちの目)には、バリアフリー化が進んでいるかのようにパフォーマンスにはなっている。
(ATMや券売機などにしても、なまじボタンに点字表記がたくさんついているように見えて、使えるかと思って試し始めて、結局画面操作が必要で独りでは断念せざるを得なかったりする当事者は多いだろうと思う。その前に点字識字率自体が当事者の中では低いので、どの道”見た目”が大きいのだが…)

ただ、今回の場所で感じたことは、表面的には確かに不便だ。しかしこれは恐らく”誰にとっても”の不便かもしれない(もしかしたらだが、車を運転できる人以外)。
しかし、いざとなった時、覚えておけば、という、細やかな行き届いた、…もしくは、一度付き添って教えてもらえば”ああなるほど、こうなっているわけか!”と解ることができるような、当事者に寄り添おうとする心根を感じた、とでもいうのだろうか…。

”物”で解決しようとするというより、”人の支援”の温かさ、大切さというのか…。
”必要な人の支援”に繋げることができる方法を垣間見たというのか…。
健常者と呼ばれる人たちであれ、子供たち、高齢者、障碍者と呼ばれる人たちであれ、他者の支援の輪の中で生きている、それなくしては生きることができないことは、変わらないのだから。

不思議な感覚を味わってきた。

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