見出し画像

働き方2

シングルマザーで大黒柱にならなきゃと奮闘しすぎたせいで、育児に手間をかけてあげられず、案の定不登校の状態が続き、とてもバランスは悪く、私自身も非に思っていたため私の心のバランスも崩れてしまった。
後ろめたく働き、でも働かないと養えない、でも娘の不登校もなんとかしてあげたい、それをループでエンドレスに悩んでいた。

そんなときに起きたのがコロナだった。私たちの生活が一変した。

今まで『頼ると負けだ』と連絡をとりたくもなかった元夫と連絡をとるようになり
娘は学校に行かなくていい大義名分ができ、私も娘と過ごせて向き合う時間が作れるようになった。

娘も父と母と久々に過ごせたからか笑顔が戻ったようだった。

コロナが続いて何ヶ月か3人で過ごしていくことや、会社の経営がガラリと変わったことで私の考え方も変わった。

会社に娘を連れてきてもいい、なんなら社員や社長もかわいがってくれていたそんな寛大な会社(ベンチャー)だったが、続けて行く気がなかくなってしまい(抑うつ)離職。

今思い出しても、どうやって家賃やその他諸々の支払いをしていけていたのか、貯金もないのによくそんな決定をできたかなど覚えていない。。覚えているのはコロナがいいきっかけと考え方を変えてくれたとポジティブに考えていたことだ。

それから2年間ほどフリーランスでSNSなどの広告収入を得たり、友人関係を増やしていった。

そんな金欠で定職なしの状態でも、引っ越しが必要だった、なんにせよ娘はティーンエイジャーになったので、さすがに1DKの狭い部屋では申し訳ないと思ったのと、母娘でぶつかることも増えたのでとにかく部屋が必要だった。

ご縁があり、友人の紹介で保育園の手伝いをする仕事に就いた。私の中では引越し手続きの信用になるため、新しいことになにかチャレンジしてみたいくらいの気持ちで始めた。当時紹介してくれた友達や、応援してくれた彼氏に本当に申し訳ない、でも私が仕事に就いて安定することが周りの幸せでもあると思っていたからだ。

その頃ちょうど、学校(区立)の先生より紹介していただいていた、区で運営されているフリースクールに入学することを考え始めていた。娘もどこか毎朝おきて、着替えて、どこかに行くということを少しでも増やさないと、ずっと家にこもってしまうのではないかという、心配と親としての恐怖感からだった。

そしてそのフリースクールと私の転職をまた同じタイミングで始めたのでした。学校から勧められたので行けばいいだけなのかと思いきや、面談1回と説明1回、学校との書類のやりとりなどを経てやっと通学しはじめることができた、要は最低でも平日の三日間がとられます。
(次の転職は絶対に平日にフレキシブルに休める場所でないとと心底思う)

半年ほど通った頃、私も新しい仕事にも職場の人間関係(一番大事)にも慣れてやりやすく感じてきたころだった。大きな事件が起き(これについては後程他の記事で書きたいと思います)仕事どころではなくなってしまった。

まずはフリースクールも休まなければならず、冬休みを含め一カ月間休ませた。幸い元夫はテレワーク可で、さらに年末年始は両親と兄弟が彼の家に集まるとのことで孫の顔も見たいだろうと思い娘を元夫に一カ月間預けた。
ちょうどそのころ、引っ越しが重なっていたので冬休みを使い引っ越しを済ませた。引っ越し後は私、娘、彼の三人で住みはじめる挑戦だった。

ちなみに彼も元夫もとても理解があり、一緒に合うこともあれば友達のように話すこともあり、二人とも大人で私や娘のことを手助けしてくれて本当に感謝している。(私の男選びの才能だけはピカイチだなと思う)

フリースクールを休ませなければならなかったが、その後復帰を促すこともしなくてはならない。我ながら休めって言ったり、行けと言ったり私が子供でも混乱し理解に苦しむ状況だ。

はっきりした診断はいままでなかったが、今回の事件で娘は発達障害であることがわかった。今まで自分で学校まで通学していたが、朝と帰りの送迎が必須の状況になり、私はますます仕事に制限がかかっていった。
9:30に送り、15:00にお迎え。なんとも幼稚園児の送迎なみに手間がかかる。。間の正味5時間で現職場の仕事はカバーすることはできないが、本当に私は人に恵まれており社長は「パートタイムに切り替えて働き続ける手もあるよ」と提案してくれた。(毎度の転職の度にどの会社でも引き留めて下さり、いつもやめるタイミングで役に立ててたんだなと実感する。が、いつもそれを押し切ってスッパリ辞めるのが私だ。もったいない。)

送迎してくれるスタッフを雇うのはどうかとも考えた。保育園のときに利用していたファミリーサポート(近所の人たちが登録して企業よりも割安な利用料で助け合うお国でやっている事業)はどうか?残念ながらファミリーサポートの対象は0歳~小学6年生なのでうちの中2は対象外だった。。。
どうにか例外をつくってくれ、、と思ったがどちらにせよ送迎だけでは足らず家に一人にしておくことができないためそうなると最低でも毎日5000円は飛んでいきます。知らない人に送迎と見守りを頼むために毎日これだけの出費があるくらいなら、習い事のひとつでもさせたりもできるのになと思い、また、今彼女の世話を全力でやらなかったら後悔すると思い、娘ファースト、金(職)セカンドで離職を決意。

そしてまたこうしてフリーランスに戻ってきてこのnoteにつづっていこうと思った。

うちの場合はシングルマザー、発達障害という課題のなか四苦八苦しながら生活していますが、ほかにもいろんなご事情や困難なかで生活している人がたくさんいると思います。生活していく上で困り事、悩み事、大小あり、またそれは本人しかわからないので大小を決められないとも思います。
それを解決したり緩和したり助け合う仕組みを作るのが行政だと思いますが、欲しい人にそれが届いているのだろうかととても疑問に思います。

発達支援センター、家庭支援センター、福祉課、児童相談所、民生委員、、いろんな役所の方や地域の方々とお会いして話をしてきましたが、言い方がアレで申し訳ないのですが
「ある一定の程度ヒドイ状態にならないと使えるサービスがない」と感じます。今までも困っていましたが冬休み前に起きた事件を機にやっと手を差し伸べてくれるようになりました。必殺手のひら返し!って感じです。
でもまだまだ、療育手帳がないと、精神障害手帳がないと、、などそれらがないと利用できないサービスや施設が多くうちの場合は発達障害ですが勉強ができてしまうため周りの理解もなかなか得られない、「●●ちゃんは普通だよ~」と元気づけようとしてくれる言葉も私たちにとってはつらいのです。

脱線してしまいましたが、シングルマザーで発達障害を育てていく、生活すること、仕事を選択することがとても困難だということを記したかったんだと思います。

さてと!!
在宅で仕事をできる基盤を作れるよう、今日から始動していきます。
日々の心の整理と、自分を励まし鼓舞するための雑記帳ですが前向きになるために記していこうと思います。
がんばりすぎないように、がんばります!

最後まで読んでくださってありがとうございます。
貴方が今日ハッピーでありますように✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?