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電話の音がこんなに怖いと思うことがあるなんて知らなかった

手術をしない、ということを担当の先生に
伝えたところ、あと2、3日が山場かもしれない
から覚悟するよう言われて。

HCUの病室で母の手を握り
「親孝行できなくてごめん、大好きだよ」
「ありがとう」
父と弟と3人で泣きながら伝えたかったことを
言い続けました。
仕事で関東へ戻っていた旦那さんに電話で報告
すると、私と同じくらい電話口で泣いていて。
あたたかい気持ちになって、少し気持ちが
落ち着きました。

何かあれば、すぐ電話しますと先生に
言われていたので、夜はすぐ出られるよう
リビングで横になり、寝付けないまま朝を
迎えた2日間。
電話がなる度、心臓がとびだすくらいに驚いて
怖くて怖くて泣き出しそうな時間が
永遠に続くような気さえしていました。

お母さんの存在

家で何かが見つからない時、
冷蔵庫に作り置きされたおかずを口にする度、
ここにお母さんがいないことを思い知って
落胆する瞬間は数えきれず。
私たちが倒れている場合じゃない、となんとか
ご飯を食べて寝れる時に寝て、"普通の生活"を
心掛けていましたが、母のいない"家"は
家族にとって"非"日常でしかありませんでした。

光が見えてきた

そんな数日を過ごす間、薬の効果が出てきて
脳の腫れが治まってきました。とりあえず
"今まさに命が危ない"
という状況を脱することができたのです。
あの時、手術をする選択をしていた場合が
良かったか、悪かったかは私にはわかりません。
きっと普段から善人で、争いを好まず
本当に優しい人だった母に天が味方してくれたの
だと思っています。
まだ合併症などこれから出てくる可能性はある
けれど、少し穏やかな気持ちで眠れるようになり
家族の元気も戻り始めました。

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