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タレントスカウトとしてのスタン・ゲッツ(3)〜Talkin' about Stan Getz #4〜

天才テナー・サックス奏者、スタン・ゲッツ(1927〜1991)は、若い世代のミュージシャンをサイドメンとして積極的に起用し、彼らを鍛えつつ自己の音楽の幅を確実に拡げていった「タレントスカウト」でした。今回は、2021年2月9日に惜しくも亡くなったピアニスト、チック・コリアをフィーチュアします。

なお、第一回はスコット・ラファロとスティーヴ・キューンを、第二回ではゲイリー・バートンを採りあげました。


3.チック・コリア(1941〜2021)

アーマンド・”チック“・コリアはマサチューセッツ州チェルシーの生まれ。父のアーマンド・シニアはミュージシャンで、ダンス・バンドのリーダーでした。

コロンビア大学とジュリアードをドロップアウトしてミュージシャンの道に入ったチックは、モンゴ・サンタマリアやウィリー・ボボなど、ラテン・ジャズの世界でピアニストとして働き始めます。

初レコーディングは1962年、人気パーカッショニスト、モンゴ・サンタマリアのバンドで。この”Skins" の11 曲目”Tumba Le Le"から後のトラックにチックが参加しています。

"Skins"  Mongo Santamaria(1962)


コンガ奏者、モンテゴ・ジョーの1964年の録音です。ちなみにドラムスとティンバーレスは、2021年2月12日に亡くなったフリー・ジャズの巨匠ミルフォード・グレイヴス、ベースはエディ・ゴメスです。

"Too Much Saki" Montego Joe (1964)


"Fat Man" Montego Joe (1964)


チックはトランペッター、ブルー・ミッチェルのバンドに加入し、ブルーノートでの録音に参加します。5曲目はチックのオリジナル。

"The Things To Do"  Blue Mitchell (1964)


フルート奏者のヒューバート・ロウズとの付き合いも60年代前半から。チックの代表曲のひとつ、”Windows"の初演はロウズのレコーディングでした。

"Windows"  Hubert Laws (1966)


余談ですが、2018年秋に私がチックにインタビューしたとき、彼はこんなことを言っています。「「ウィンドウズ」という曲のメロディ、「たらららーー、たららーー」というのはね、TVショーの「アイ・メリード・ジョーン」のメロディから思いついたんだよ。「あーい・めりー・じょーん、あーい・めりー・じょーん」ってね(笑)。誰も気づいてない、これはインサイドストーリーだ(笑)」

"I Married Joan"は、1950年代に人気があったアメリカのTVショーなのですが、さて、どう思われますか?


さて、チックの初リーダー作"Tones For Joan's Bones"は66年11月30日、12月1日の録音。メンバーは、ウディ・ショウ(tp)、ジョー・ファレル(ts,fl)、チック・コリア(p)、スティーヴ・スワロウ(b)、ジョー・チェンバース(ds)です。

 "Tones For Joan's Bones"  Chick Corea (1966)

タイトル曲 "Tones For Joan's Bones"はブルー・ミッチェルの"Boss Horn"でも採りあげられています。

"Tones For Joan's Bones" Blue Mitchell (1966)


そして66年いっぱいで、ゲイリー・バートンがゲッツのバンドを脱退することになり、チックはその後任としてゲッツに招かれたのでした。

チックを大きくフィーチュアしたゲッツのアルバム"Sweet Rain"は67年3月21日・30日録音。ここでチックは"Tones For Joan's Bones"に収録されていた"Litha”そして"Windows"を提供しています。ビル・エヴァンスをよりモダンにしたようなチックの楽曲や演奏に、ゲッツは実にスムーズに溶け込み、素晴らしいプレイを聴かせています。

"Sweet Rain" Stan Getz (1967)


リチャード・エヴァンス編曲のオーケストラに乗せてゲッツがバート・バカラックの曲を吹くアルバム"What The World Needs Now"でも、チックはピアノを弾いています。これは67年8月録音。

"What The World Needs Now" Stan Getz (1967)


67年から68年前半にかけて、チックはゲッツ・バンドのレギュラー・ピアニストとしてツアーに参加し、68年5月には来日もしています。

そのかたわら、チックは彼の代表作のひとつとなるアルバム"Now He Sings,Now He Sobs"を68年3月に録音しました。ベースはミロスラフ・ヴィトウス、ドラムスはロイ・ヘインズ。LPが最初にリリースされたときにはベースとドラムスのクレジットがなかったので、このすごい二人は誰なんだ、と話題になったそうです。なお、オリジナルLPの収録曲はこのプレイリストの1〜5曲目まで。6曲目以降はCDになってから収録されたトラックです。

"Now He Sings,Now He Sobs" Chick Corea (1968)


ゲッツの伝記『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(ドナルド・L・マギン著 村上春樹訳 新潮社)によると、67〜68年頃のゲッツの私生活はアルコール依存症のために大荒れで、酔って暴れて強制入院、ということが繰り返されていたそうです。

そうしたゲッツのふるまいにうんざりしたチックは、68年秋ごろにゲッツのバンドを脱退し、前任者だったゲイリー・バートンのグループに参加します。バートン、スワロウ、ロイ・ヘインズという、全員が元ゲッツ・バンド出身のバンドでした。残念なことに、68年のこの4人による録音は公式には残っていません。

チックが去ったのち、ゲッツは新しいバンドを組織します。ピアノがジェーン・ゲッツ(のちにスタンリー・カウエル)、ベースがミロスラフ・ヴィトウス、ドラムスはジャック・ディジョネットというメンバー。"Now He Sings,Now He Sobs"に参加したヴィトウス、この後マイルスのバンドで同僚になるディジョネットと、チックに関わりの深い人たちが後任になったわけです。

この動画は69年、カウエル〜ヴィトウス〜ディジョネットによるゲッツのバンドが、ブラジル人歌手フローラ・プリムと共演したフランスのTVショーです。チックがのちに結成する“リターン・トゥ・フォーエヴァー”に参加するフローラがここに出てくる、というのもなかなかに興味深い暗合ですね。

"Deixa a Nega Gingar" Stan Getz Quartet with Flora Purim (1969)


さて、チックは68年の9月にマイルス・バンドに急遽加入することになりました。マイルスのアルバム”Filles De Killimanjaro"の5曲中、"Mademoiselle Mabry (Miss Mabry) "と"Frelon Brun (Brown Hornet)"のエレクトリック・ピアノがチック(ベースはデイヴ・ホランド)で、残り3曲が前任者のハービー・ハンコック(elp)とロン・カーター(b)によるものです。

”Filles De Killimanjaro"  Miles Davis (1968)

チックはマイルスのバンドに70年8月まで在籍し、歪んだ音のエレクトリック・ピアノをアグレッシヴに弾きまくって存在感を発揮します。一時期はキース・ジャレットとのツイン・キーボードで、マイルスを煽りまくっていました。

ここでは69年、70年のライヴ音源を紹介します。全部聴くとやたらに時間がかかりますが、聴く価値は絶対にありますので、時間のあるときにぜひ!

"Live In Rome & Copenhagen 1969" Miles Davis (1969)


"Miles at The Fillmore: Miles Davis 1970" (1970)


これはマイルス・バンド加入中の70年4月にリーダーとして録音した、デイヴ・ホランド(b)、バリー・アルトシュル(ds)とのトリオ・セッションです。

"The Song Of Singing" Chick Corea (1970)


マイルス・バンドを脱退したチックは、ホランド、アルトシュルとのトリオにサックスのアンソニー・ブラクストンを加えて「サークル」というバンドを結成します。アヴァンギャルドなサウンドを追求したサークルは70年8月から71年5月ぐらいまで活動していました。これは71年2月、パリでのライヴです。

"Paris Concert"  Circle (1971)


こちらはサークルとは別に71年1月に録音された、ブラクストン抜きのトリオによるスタジオ盤です。69年に設立されたドイツのレーベル、ECMとチックの付き合いはこの作品から始まります。

"A.R.C." Chick Corea (1971)


71年4月、チックは初めてのソロ・ピアノ集をECMに録音します。さわやかで澄み切ったサウンドは、彼の音楽が新しい局面が到来したことを聴き手に告げるものでした。

"Piano Improvisations Vol.1"  Chick Corea (1971)


サークルを解散したチックは、それとはまったく違う、南国の香りをたたえた新しい音楽を構想し、72年2月、ジョー・ファレル(ts,ss,fl)、スタンリー・クラーク(b)、マイルス・バンドの同僚だったアイアート(per)、アイアートの妻でヴォーカリストのフローラ・プリムと共にレコーディングを行いました。それが”Return To Forever”です。

”Return To Forever” Chick Corea (1972)


ここでゲッツとチックが再び相見まえます。71年の年末に、ロンドンで二人が偶然出会ったのです。このとき、ゲッツは72年1月3日から開始されることになっていたニューヨークでの仕事のサイドマンをチックにやってくれないかと依頼し、チックはゲッツに新しい仲間であるスタンリー・クラークとアイアートのことを熱っぽく語りました。

リハーサルの段階で、ゲッツはアイアートはパーカッションに専念した方がいいと判断し、ドラマーにトニー・ウィリアムスを呼んだのです。こうして「リターン・トゥ・フォーエヴァー+トニー」という、おそろしく豪華なサイドメンを従えて、ゲッツはライヴとレコーディングを行ったのでした。チックの”Return To Forever”録音のちょうど一ヶ月後、72年3月に行われたスタジオ録音盤は、6曲中5曲がチックの楽曲で占められ、「スタン・ゲッツ・プレイズ・チック・コリア」というべき作品になりました。以下、そのアルバム"Captain Marvel"から5曲を紹介しましょう。

"La Fiesta" Stan Getz (from "Captain Marvel"  1972)


"500 Miles High" Stan Getz (from "Captain Marvel" 1972)


"Captain Marvel"  Stan Getz (from "Captain Marvel"  1972)


"Times Lie"  Stan Getz (from "Captain Marvel"  1972)


"Lush Life"  Stan Getz (from "Captain Marvel"  1972)


ゲッツ、チック、スタンリー・クラーク、トニー・ウィリアムスのカルテットは、72年6月、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演しました。音源と映像をご紹介します。

”At Montreux 1972"  Stan Getz Quartet


"Windows"  Stan Getz Quartet


"Captain Marvel"  Stan Getz Quartet

"Lush Life"  Stan Getz Quartet


"Day Waves"   Stan Getz Quartet


チックは アルバム ”Return To Forever” の録音メンバーたちとパーマネントなグループ 「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を結成し、ゲッツとチックの2度目のコラボレーションは終わりを告げます。

「リターン・トゥ・フォーエヴァー」 のアルバム"Light As A Feather" が録音されたのは72年10 月のこと。ここでチックたちは、ゲッツに提供した"Captain Marvel" "500 Miles High"をレコーディングしています。リリースは73年です。

アルバム"Return To Forever"は72年夏にリリースされ、ジャズの世界では珍しいほどのヒット作となりました。3月に録音されていたゲッツの"Captain Marvel"が順調に(たとえば72年中に)発売されていれば、"Return To Forever"の人気に引っ張られるかたちで大きな話題となったはずです。

しかし、不運なことにゲッツはこの時期、所属レコード会社をヴァーヴからコロンビアに変更する交渉がはかどらず、せっかく録音した新作がなかなかリリースできない状況にありました。結局、"Captain Marvel"がリリースされたのは3年も後の75年。アメリカ国内ではコロンビア、他の国ではヴァーヴ、という変則的なかたちでの発売でした。

"Light As A Feather" Return To Forever


ゲッツと別れたチックですが、ゲッツ・バンドの前任者ゲイリー・バートンとの音楽的友情は終生続き、二人はすばらしいデュオ作品を多数レコーディングしています。バートンとチックの音楽的な共通点を見抜き、自らの音楽に現代的な清新さを加味しようとしたゲッツの鑑識眼の確かさを、私たちはチックとバートンの共演作を通じて再確認できる、とも言えるでしょう。

"Crystal  Silence"  Gary Burton, Chick Corea


チック・コリアとの共演は、ゲッツにとって大きな意味を持つものでした。チックが去ったのち、ゲッツが選ぶピアニストの多くが、チックに似たタイプの、「ビル・エヴァンスをよりコンテンポラリーにした、複雑なコードやポリ・モーダルな奏法を好むピアニスト」だった、ということが、それを雄弁に物語っています。リッチー・バイラーク、ジョアン・ブラッキーン、ジム・マクニーリー……。

また、意外なことに、ゲッツが選ぶサイドメンは、マイルスの人選とかなりかぶっているんですよね。チック、ジャック・ディジョネット、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス。マイルスに比べると保守的なジャズ・ミュージシャンだと思われているゲッツですが、ボサノヴァにいち早く着目したことでもわかるように、彼は常に新しい音楽、新しいサウンドに興味があったのでしょう。彼の即興演奏家としての才能があまりに素晴らしく、誰と何をやっても「ゲッツのごく自然な演奏」になってしまったことが、逆にゲッツの新しさを隠蔽することになったのでは、と私には思えます。


最後に、心温まるエピソードを。1982年12月4日、時のファーストレディだったナンシー・レーガンが主催したホワイト・ハウスでのコンサートで、ゲッツはチックと久しぶりに共演します。ディジー・ガレスピー(トランペット)、ゲッツ(テナー・サックス)、チック・コリア(ピアノ)、ミロスラフ・ヴィトウス(ベース)、ロイ・ヘインズ(ドラムス)という豪華メンバーで、曲は"Groovin'  High"。そしてイザック・パールマン(ヴァイオリン)、ダイアン・シューア(ヴォーカル)、ジョン・ファディス(トランペット)を加えてのジャム・セッションも。

「スタンがチック・コリアのことを、『ぼくがこれまでに率いたバンドから輩出した、最も素晴らしいミュージシャンです』と語って、彼を驚かせ喜ばせたあと、コリアとヘインズとヴィトウスは見事なメドレーを演奏した。」(『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(ドナルド・L・マギン著 村上春樹訳 新潮社)


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From left to right: Chick, Stan, Nancy, Dizz.

"Groovin'  High"  Dizzy Gillespie, Stan Getz, Chick Corea, Miroslav Vitous, Roy Haynes(1982)


"Improvisation" "Autumn Leaves" "Rhythm-a-ning"  Chick Corea, Miroslav Vitous, Roy Haynes(1982)


"Summertime"  Dizzy Gillespie, Jon Faddis, Itzhak Perlman, Stan Getz, Diane Schuur, Chick Corea, Miroslav Vitous, Roy Haynes(1982)


天に飛び立ったチック・コリアは、今ごろめんどくさい二人のボス、スタン・ゲッツとマイルス・デイヴィスと再会しているのでしょうか。


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