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ジャズ・アルバムのライナーノーツ(4)『マイケル・ブレッカー&クラウス・オガーマン/シティスケイプ』

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前回に引き続き、クラウス・オガーマンのライナーノーツです。マイケル・ブレッカーをフィーチュアした名作『シティスケイプ』を。

マイケル・ブレッカー&クラウス・オガーマン/シティスケイプ 

 2007年1月13日に、白血病のために57歳で亡くなったマイケル・ブレッカーは、クレジットされているだけでも700枚以上のアルバムに参加していた。彼のプロとしてのキャリアは、69年録音の『スコア/ランディ・ブレッカー』に始まり、72年ぐらいからスタジオ・ミュージシャンとしての活動が盛んになってくるのだが、驚くべきことに、マイケル・ブレッカー個人名義のリーダー作が初めて制作されたのは、彼が現代ジャズ・シーンの中心人物として認知されてから10年ほど後の、87年のことだったのだ。マイケルはその理由について「自信がなかったから」という、これまた驚くべき発言を遺している。
 というわけで、兄ランディとのユニットである「ブレッカー・ブラザーズ」名義の諸作を除けば、マイケルのリーダー作は87年の『マイケル・ブレッカー』だということになるのだが、実はそれ以前に、実質的なリーダー・アルバムというべき作品が一つある。そう、もちろんそれはあなたが今ライナーを読んでいる『シティスケイプ』なのである。

 81年夏、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティヴァル会場で、マイケル・ブレッカーはプロデューサーのトミー・リピューマに声をかけられた。当時ワーナーに所属して、ジョージ・ベンソンの『ブリージン』を筆頭とするフュージョン系のヒット作品を数多くプロデュースしていたリピューマは、アレンジャーのクラウス・オガーマンのスコアの上でマイケルがサックスをたっぷりと吹くアルバムを作らないか、という提案を持ちかけたのだった。
 そのときリピューマの念頭にあったのは、76年に制作されたオガーマンのリーダー作『夢の窓辺に(ゲート・オブ・ドリームス)』のことだった。この作品は、オガーマンの作編曲・指揮によるオーケストラの上で、ジョージ・ベンソン、デヴィッド・サンボーン、ジョー・サンプルなどがソロをとる、という趣向のものだが、マイケルも「カプリース」という曲でソロを演奏していたのだ。今『夢の窓辺に』を改めて聴いてみると、名だたるソロイストたちの中で、マイケルの演奏が最もオガーマンのスコアとの相性がいいように思える。オガーマンの音楽に内包されている陰影を、マイケルのテナーが最も繊細にすくい上げているような感じがするのだ。

 オガーマンもこのプロジェクトに並々ならぬ意欲を燃やしたのだろう。その話から一ヶ月半ほどした9月初旬には、すべてのスコアがマイケルの元に届けられたという。そしてマイケルはそのスコアを常に持ち歩き、暇さえあれば読んでいたらしい。
 ニューヨークでレコーディングが行われたのは、翌82年1月4日から8日にかけてのことだ。マイケルはその直前まで、フロリダの病院に入院して体調を整えていた。もう少し詳しく説明しよう。81年12月1日、マイケルはフロリダのフォートデイルで、ジャコ・パストリアスの「バースデイ・コンサート」に出演した。『バースデイ・コンサート』というタイトルで世に出ているCDを聴けば分かるように、これはジャコのビッグバンドの旗揚げコンサートであり、マイケルはフィーチャード・ソロイストとしてそこに招かれていたのだ。そしてコンサートの後、彼はドラッグ中毒を治療するために入院する。酔っぱらったジャコが病院の壁をよじ登ってお見舞いに来る(!)というエピソードもあったようだが、マイケルとしては、翌年早々に予定されている重要なレコーディングに備えて、心身ともに「クリーン」になる必要を感じたのだろう。

 実はこの時期、マイケルはもう一つの大きな問題を抱えていた。長年の激しい演奏のせいか、気管支が伸びてしまうという症状が起こったのだ。このまま放置するとサックスが吹けなくなるかもしれない、と医師に言われて手術をしたのだが、この時点での経過は良好とは言えなかったらしい。結局彼は82年からの数年間仕事を減らし、奏法を改善することによってその危機を克服するのだが、このレコーディングの時期には、マイケルは「サックスが思うように吹ける機会はこれが最後かもしれない」という緊迫した思いを抱いていた。ここでの彼の演奏が、いつにも増して気迫に満ち、すさまじい集中力を感じさせる理由の多くは、そのことに起因していたのだろう。

 『シティスケイプ』のもう一人の主役であるクラウス・オガーマンは、1930年にドイツ(現ポーランド領)のラティボーという町に生まれた作編曲家だ。59年にアメリカに渡り、60年代はクリード・テイラーがプロデュースしたヴァーヴやCTIのアルバムで、美しいアレンジを数多く提供した。70年代半ばになると、トミー・リピューマ制作の『ブリージン/ジョージ・ベンソン』『スリーピング・ジプシー/マイケル・フランクス』などのヒット・アルバムでストリングス・アレンジを担当し、この時期最も売れっ子のアレンジャーとして活躍していた。

 『シティスケイプ』を聴いていただければお分かりのように、オガーマンはクラシック、特に近現代音楽の素養をたっぷり持った作編曲家だ。分厚いストリングス・セクションが奏でるハーモニーは、まるでスクリャービンやショスタコーヴィチのような不安感と緊張感を湛えたものであり、前面に展開する弦楽器群の後ろで、くぐもった音色の木管楽器群やフレンチ・ホルンが点滅する、という書法も、近現代音楽の典型的なパターンに類似している。ここで重要なのは、近現代音楽で多用されるスケールやハーモニーは、60年代以降の先進的なジャズにおいても普通に使用されている、という事実だ。
 コルトレーンやショーターたちによって開発されたメソッドを完璧に咀嚼し、そこファンキーなこぶし回しやロック・ギター的な鋭さ、といった新たな要素を付け加えて自分のスタイルを確立したマイケル・ブレッカーは、この『シティスケイプ』でフィーチュアされるのに最もふさわしいミュージシャンだった。近現代音楽と現代ジャズの両方に共通するハーモニーとスケールを、名うてのフュージョン系リズム・セクションが支える、というハイブリッドなこの音楽は、まさに「マイケル・ブレッカーというミュージシャン」のための音楽なのだ。

 それにしても、このアルバムにおけるマイケルの演奏のすばらしさは筆舌に尽くしがたい。今となっては、マイケル本人がどう思っていたかを確かめるすべがないのが残念だが、もしかしたらこれは、「テナー・サックス奏者としてのマイケル・ブレッカー」の最高傑作なのではないか、とさえ思ってしまう。とにかく、これだけ徹底的に「テナーを吹くマイケル」のみがクローズアップされている作品は、彼のリーダー作を含めても他にないのだ。
 主役であるオーケストラとテナー・サックスをセンスよくバックアップするリズム・セクションでは、スティーヴ・ガッドが全編ブラッシュのみを使用していることに注目してほしい。きわめて繊細で陰影に富んだガッドのブラッシュ・ワークが、このアルバムの完成度をさらに高めている。

 なお、6曲が収録されているこのアルバム、アナログではA面に「シティスケイプ」「ハバネラ」「ナイトウィングス」が、B面に「神々の出現そして不在(パート1,2,3)」が収録されていた。
 ちなみにカバーを飾るすばらしい版画は、ウクライナ出身でアメリカに渡った画家、ルイス・ロゾウィックの「ニューヨーク」(1923年)というリトグラフ。これはトミー・リピューマが所蔵しているものである。
(June 2007 村井康司)


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