『ソフィストとは誰か?』(納富 信留)を読む−第1部第2章「誰がソフィストか」
アリストテレスの『二コマコス倫理学』と納富 信留氏の『ソフィストとは誰か?』を交互に読み進めている。今回は、後者の第1部第2章を読む。ソフィストとはそもそもどういった人を指すのか、当時の語られ方を踏まえて読んでいく。レッテル貼りの恐怖を感じた章だった。
概要
「ソフィスト」は知者と同義であったが、BC5世紀半ばにプロタゴラスが人間の教育のために授業料を取る専門職業人としての「ソフィスト」を最初に標榜した。
上流階級の独占となっていた政治や社会の仕組みが能力と才覚で機会があるという変化のタイミングとソフィストの登場は補完し合うものだった。
一方でプラトン対話篇におけるソクラテスは神と人の知を絶対的に区別し、人間の知の伝達や進歩を謳うソフィストを「知者と現れているが実際はそうではない者」と定義し批判した。
ただ、当時のソフィストについての実際認識はそうではなかった。イソクラテスはBC4世紀に弁論術を教える有料の学校を開設した「ソフィスト」だった。その際、彼は「真のソフィストとは哲学者であり、有益で尊敬に値する教育者」と主張し、他のソフィストの教育法を批判した。
このような正反対の評価を受ける「ソフィスト」という名称は、誰に適用されたかを見ていくと、特定集団に属する人を指す客観的なものではなく、相手を批判するための便宜的・恣意的に用いれられていたと思われる。つまりは知識人たちが相手を批判する際に用いるレッテルに過ぎなかったのではないか、とも。しかし、時代によって現れた実体としての面もある。そのため、レッテルとして機能した面と、その基盤となった実体の部分との間を判定しながら検討していくことが大事である。
ではどのような人々に「ソフィスト」と付されたかの規準はなにか。
・学派(school)と呼びうる集団ではなく、独立の自営業者であり、互いに強烈なライヴァル意識を持つ
・教義(doctrines)と呼びうる思想の共有がない。
という多様な存在がいる中にあって
・金銭を取得する「職業性」
・民主政社会における「徳」に関する教育、特に言論教育、徳と能力の促進、多様な学識への伝達
・文化中心地アテナイ出身ではなくギリシア各地出身者がアテナイを拠点に活動
・ソクラテス・プラトンら哲学者の流れに対抗
といった共通点が挙げられる。
ソフィスト登場以前は、知識人は自立した市民として家業や政治活動に携わるかパトロン的庇護のもとで活動していたのである。
なお、弁論や争論のみを扱う人々とは範囲が異なる。
このような流れで「誰がソフィストか」の一団が特定されてきた。
私見・わかったこと
時代背景の変化によって生み出されてきた新たな動き、それによって新たな改革を促進しようと各地から集まってきた意欲ある人々というのが、イメージとして浮かび上がってくる。職業として金銭をもらって知を教えるというのは、知を商売にしているということもあるだろうが、この当時の状況では、知の独占からの開放とでも言えたのかもしれない。しかし、だからこそ理想を高く掲げた意識の高い人々だからこそ、その「知を商売にしている」というところのことも含めて似たような他者を批判し合っていたという様子も見えてくる。
上記のような批判し合う中でソフィストという言葉が否定的なニュアンスを持って使われ方をしていた時もあったのかもしれない。しかし、少なくとも、プラトン等がソフィスト批判をしていたまさにその時代と社会においては、「ソフィスト」がペテン師だとかのようなイメージを人々が持っていたかというと、そうではなかったということである。
ただ、保守層が厳然たる力を未だ持っている社会で若い意欲に溢れた人たちによる個々の取り組みを具現化していくのか、というのはいつの時代も苦難を伴うとも言える。自分たちの活動をどう指示を得て、広げていくのか。ビジョンを共有し、それに「名付け」を行い、小異を許容した動きにし、世の中に広げていけるのかどうか。ここが大事なのかもしれないが、そもそも弁論技術を軸としている以上、その小異を包含するということができない矛盾も抱えていたとも言える。逆に言えば、それを包含する納得性の高い論理を組み立てられたのがプラトンということになるのかもしれないが。
「名付け」については、現代においても大きな意味を持っている。細かい色んなことを述べるよりも、多くの人が理解しやすいシンプルな言葉でなんとなく理解した気持ちにさせるということの方が効果が大きい。
最近でも、リクルートワークス研究所が「ワーキッシュアクト」という言葉を生み出した。
これを読んだ時に「名付け」の効果をとても感じた。内容自体は、なるほどそうだよね、というもので普段から活動している自分としては新鮮味はないが、大企業等の組織の「本業」のみの世界線で生きている人たちに、この価値観・考え方・生き方をどう伝えたら伝わるんだろう、と考えていたところに、この言葉が飛び込んできたことの効果がとても大きい。やはりキーワードを示して、多くの人の共感を得るようにしていくというのは、功罪あるにせよ、時代を超えて同様なのだ。
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