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『チーズと文明』を読む−第8章「伝統製法の消滅 ピューリタンとチーズ工場」

「文化の読書会」での対象本は、チーズから文明を読み解いていく「チーズと文明」。今回はその8回目。

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【概要】
アメリカのチーズの源流はチーズ製法の知識があったピューリタンたちであり、イギリスの酪農地域(サフォーク、エセックス、ノーフォークや南西部)出身者や商人階級が多いという人口構造のため、奴隷労働も含めた大西洋経済をベースに莫大な富を生み出す商業的製造が開始できた。

植民地増加の背景には、イングランドにおけるカルヴィニストによる国教改革があった。国王からの迫害を受けた分離派が北アメリカに勅許を得て植民地を建設した。また荘園制の崩壊で都市貧民街に農民が大量に流入し社会不安が増大したこともあり、さらにピューリタンが勢いを増したことで迫害は増加し、新天地を臨む人たちは増加した。1630年−40年の10年で20数万人が酪農等の家畜と共にニューイングランドへ渡った。農業はインディアンとの戦いでもあったが、初めて触れるアルコールであるラム(西インド諸島産サトウキビが原料)で中毒化し、植民地経済の支配下に入ってしまった。

1640年のイギリス国内改革によって移民は減ったことで植民地経済は停滞したため輸出依存に転じ、チーズやバターも輸出されるようになった。農民は過剰生産物を商人に売り、商品は大西洋貿易網への参入にそれらを必要としていた。西インド諸島がオランダ・フランス・イングランドに植民地化されていき、大プランテーションとしてアフリカ奴隷を連れてきてサトウキビ生産に注力すると食料が必要なため、チーズを含む農産物輸出が増加した。そして砂糖精製の副産物モラセスを安く仕入れてラムにして高く売るといういわゆる三角貿易ができていった。
奴隷はチーズづくりでも必要とされ、”乳搾り女”奴隷が作っていた。他の農場は男性が多かったがチーズ生産地域のロードアイランド等では女性奴隷の比率が高かった。

アメリカはイギリスに比べて夏の気温が高いことなどもあり、技術革新が進んだ。ひび割れ防止のために仕上げ塗がされるようになり、最初はホェイバター、次に木綿布で包んだ上からホェイバター、後にはラードを塗るようになった。これは綿花プランテーションの増加によって木綿が安価に手に入るようになったということも影響している。19世紀後半には石油系のパラフィン、そして積層プラスチックフィルムとなっていった。この外装方法によって熟成工程が単純化でき、19世紀には工場生産・大量生産が拡大する。

奴隷貿易は19世紀初頭に禁止され、西インド諸島への食料供給も停止したが、産業革命で都市人口が増加したイングランドがアメリカからチーズを輸入するようになった。また国内都市も産業革命の進行により市場として拡大した。原料である綿花は南部で大量生産されていたので奴隷労働は長く続いていった。
産業革命の結果、家庭で衣服を作ることがなくなった女性が、時間を他に使えたので酪農地域の女性はチーズ製造に、男性は家畜増に注力した。そして農地が不足したことで西部への進出が続いた。農業が西部に移ったことで、都市近郊は果実等が中心となり、農業の工業化・都市との分断が進んだ。

チーズの生産における革新も進んだ。イギリスで発明されたチェダーチーズの安定・大量生産が持ち込まれた。また、イングランドではチェダーが最上としてチェシャーの価格を上回った。そこでチェダーが大量に生産輸出された。南北戦争の勃発が拍車をかけた。南部の男性が戦争に行ったため女性に家畜の世話・チーズ生産などの負担がのしかかったが、チーズ工場がその負担を手放させた。
これらのことで農村でのチーズ生産は激減し、工場生産が中心となった。

だが結果として生産が需要を上回り、価格の低下と品質の低下に繋がった。またフランスで発明されたマーガリンを用いてフィルドチーズが作られイングランドへ本物のチーズとして輸出されたことで、アメリカのチーズは評判をさらに落とし、ニュージーランドやオーストラリアに取って代わられた。

工場生産によって品質は安定しコスト減になったが、伝統的で最も優れたチェダーチーズが持っていた独自の風味・特徴は工場生産では一層難しくなった。工場生産の効率化を進めれば進めるほど、味気が落ちるという悪循環になった。その後も移民が持ってくるチーズの工業化・品質低下は繰り返されたが、消費量自体は伸び続けた。

20世紀になって伝統的な職人が作った風味のある特徴的なチーズを求める人も増えてきているが、課題は価格である。ほとんどの人々は高くて購入できないものを今後、どのように続けていくのか。

【わかったこと】
たまたまこの週末は日本各地のテキスタイル関係者が集まって交流・議論する「テキスタイル産地ネットワーク」の年に1回の会で、東京の八王子と山梨の富士吉田を訪れた。
そこでも異口同音に交わされていた言葉が「(高度成長期を経験している)親父達は、『大量で・同じものを・安く・早く作る』ことがものづくりで稼ぐことであると信じ切っている」というものだった。
今はこの逆で「少量で・異なるものを・高く・必要な時間をかけて作る」ということが大事であり、その価値をいかに「売る」のではなく「伝える」ということに仕事の中心が移ってきており、それができたところが生き残れる、と。そして品質は上げながら、企画・マーケティング・コミュニケーションといった部分の人材の育成が必要ということが議論で交わされていた。
この構図はまさにアメリカにおけるチーズの話と共通する。
一方で増加する人口の需要・必要な水準の暮らしをしていくためには、大量・安定品質の製品も欠かせない。資源循環の範囲内で、いかにこのバランスポイントを見いだすか。技術革新によって、大量・安定供給も満たしながら、情緒や意味といった心的部分の満足度を満たすものを「たまに」使用・消費することといったバランスも大事だろう。
また一方で都市部への偏り・職業の専業化が進んだことも原因と考えられることから、居住地・活動地の分散、農作も含めた複業化など、現代に合った形での人間らしい暮らしへの回帰といったバランスの取り方も大事とも言える。

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