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『チーズと文明』を読む−第2章「文明のゆりかご チーズと宗教」捧げられるチーズ

「文化の読書会」での対象本は、チーズから文明を読み解いていく「チーズと文明」。今回はその2回目。

【概要】
「文明とゆりかご」と呼ばれた南部メソポタミアの地の中心都市ウルは、BC3000年頃の最盛期には65,000人(おそらく当時世界一)で、粘土板の楔形文字に刻まれた会計記録によるとチーズやバター生産の中心地でもあった。
創世記ではアブラハムはヘブロン(ヨルダン川西岸近く)で神と天使をパン・子牛の肉・カード・ミルクで歓迎したとあり、成人のラクトース耐性の広がりと神聖な飲食物としての乳製品の位置づけがわかる。
この時期までにチーズは1000年以上宗教儀式で不可欠の存在となり、日常的な供え物として組み込まれていた。宗教体系を通じて儀式が周辺に伝播し、ほとんど全ての文明成立に寄与した。

■メソポタミアの繁栄の流れ(整理)
●BC5000年
新石器時代人はチグリス・ユーフラテス川沿岸を南に移動
 北部ハラフ:降雨量多で灌漑不要→小規模農業コミュニティ
 南部ウバイド:灌漑用水必須の砂漠地帯、小さな村々

●BC3000年
ウバイドで突如都市革命。ウルクに代表される世界最初の巨大複合都市出現
→中央集権的管理統治システム・建築・宗教儀式・書記言語などが発達したシュメール文明の誕生
→二次産品革命
・羊毛・ミルク以外に農作業・輸送の担い手としての家畜の新たな活用法が実用化し各地に拡大し、さらに羊の飼育が盛んになり羊毛・織物・ミルク生産が増加し、チーズ・バターなどの生産が拡大
 −鋤の発明による牛を用いた耕作地の拡大→農産物生産量拡大
 −休耕地は羊やヤギの牧草地→施肥効果
 →遊牧民による季節移動の仕組みが構築

・宗教イデオロギーの中心地として各村に神殿の建築が開始
 −神殿は余剰穀物や織物の貯蔵庫や監督所として活用
→鋳造品を活用した荷車による織物貿易により遠隔地の貴重な資源を獲得
 
−宗教建造物や儀式が支配の強力な土台として活用

■神に捧げられたチーズ
宵と明けの明星の形をした女神イナンナは豊穣と性愛、季節と収穫の女神であり穀物蔵の守り神であり、支配層はイナンナとの親密な関係を神話と儀式によって制度化し、利用した。

●イナンナの聖婚エピソードでの兄の太陽神ウトゥと争い
 ウトゥ:羊飼いドゥムジとの結婚を希望
 イナンナ:穀物をくれる農夫エンキムドゥを希望
ドゥムジはミルクとクリーム、チーズ等の魅力を主張し、イナンナも同意し、穀物の繁栄を約束。
→この神話が元になって王位の者がイナンナ(の役の女性神官)と聖婚する儀式が実施され、民衆は国王と女神の特別な関係性を理解し服従することで心理的快感も得た。ウルクのこの支配構造と都市国家組織は他都市にも伝播した。

イナンナはアッカド人の間でイシュタールとなり、レバントではアスタルテとなり、フェニキアではアフロディーテとなり、時空と地域を超えて愛と豊穣の女神だった。
イナンナがチーズとバターを常に要求したことで神殿が羊の乳製品および羊毛品の生産管理も担当した。
捧げられる品々の管理の必要から書記言語が発達した。コインでの刻印から始まり、物量の増加と複雑化のため粘土板に刻む会計制度へと発達し、楔形文字が生まれた。

神殿では契約した羊飼いが家畜の世話とチーズ製造にあたったが、一部では神官自ら製造と加工に関わったことがフリーズに描かれており、乳製品の重要さと技術の高さがわかる。陶製の壺を用いた製造・管理が行われていた。

このようなチーズの伝播はエジプトにも広がり、よみがえりが信じられていたことから王の副葬品の食料としても埋葬されていたと考えられる。

インダス文明(ハラッパ文明)では、メソポタミアほど政治や社会的組織等は確立されず、神殿もない。インド亜大陸ではハラッパ文明崩壊後のBC1900年頃のヒンドゥー・ヴェーダの聖典に乳製品製造の記述が出てくる。牛の飼育に力を入れていた遊牧民のヴェーダ・アーリア人が進出し、宗教儀式で神々への重要な捧げ物として強調されている。カードやフレッシュチーズが主だったと考えられる。
世界有数のミルク生産地であり古くからチーズ生産が行われているのに熟成チーズが作られなかったのは、試行錯誤実験を好まない文化的環境や、牛を殺すことへの反感から菜食が進み動物性のレンネットが抑制されたのかもしれない。また、熟成は腐敗でもあるので、食物の清浄を重視するインド文化の衛生観念に反したからかもしれない。また、気候も高温多湿や雨季の関係で熟成チーズが作りにくかったこともあるだろう。

中国では古くから農業が発達していたため、乳製品技術がヒンドゥー教や仏教の伝播と共に伝わって来た頃には、食文化が確立していたため、異国の習慣は異様で魅力がないとする文化的保守主義があった。

【わかったこと】
チーズの影響力のデカさがハンパではないということを思い知った章だった。チーズつまり乳製品をもたらす牛や羊が主たる農作物の生産を拡大させてくれた存在であり、主たる農作物の副産物だからこその社会の支配構造を生み出し、複雑さを増し、文明に結びついていったという流れは興味深いものだった。
このように豊かな栄養と富をもたらしてくれる理解を超越した存在(概念?)を神として崇め、恵みを捧げるというのは世界中で行われてきている。中国より東の文化圏では、先に米を軸とした文明が出来上がっていたということがチーズが普及しなかった要因として大きいということであったが、個人的には製造工程の複雑な発酵などを要するものであるからこそ、捧げ物になるのではないかと思う。米文化のところでは、米をベースとしたお酒が捧げ物として活用されていることが多い。ワインを作るよりもはるかに手間暇がかかる米ベースのお酒は、ある意味牛・羊文化圏におけるチーズの役割だったのかもしれない。
また、日本でも蘇や醍醐と呼ばれたチーズが作られたということは前回にも触れたが、インドで熟成チーズが作られなかったように環境要因によって作るためのハードルが高すぎると普及せず文化として定着しないということもあるだろう。
・生活の中で不可欠な存在がもたらすものであること
・余剰生産品を原料としており、保存が一定程度効くもの
・技術的にハードルが高すぎず、民衆にも普及しているものであること
・とはいえ一定の技術が必要とされ、ありがたがられるものであること
・美味しいもので儀式のあとにいただきたくなるもの(欲の対象)
というものが捧げものとなり、人間の知恵を育み、社会構造を階層化・複雑化し、文明が作られていったとも言える。

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