#11 ラスベガス バイオレンス
木の葉のように舞うセスナに乗った後、私はザイオンキャニオンを経由してラスベガスへ向かいました。この時私は、腹出しタンクトップに”Wild Cat”と書かれた短パンというファッションでした。何を目指していたのでしょう?
Zion(ザイオン)に近づくにつれて、景色は刻々と変化していった。
ザイオン付近は、赤土の渓谷を下から見上げるような形で道が続いていく。遠くに見える巨大な絶壁は、あまりの大きさに遠近感が失われる。盛り上がり、時には大きく抉られた絶壁とこのちっぽけな私との関係は、まるで1000年の老木とその足元にいる蟻と同じようなものだ。
赤い渓谷の間を続く道を行く。その途中にぽつんと小さなカフェがあった。他には何も見当たらない。私はそこで昼食を取ることにした。車から降りる。千切れたような白い雲から覗く、蒼い空が近い。日差しは強く、私の肌をじりじりと焼いた。
カフェに入る。ぎょっ!こんな辺鄙な場所にあるにも関わらず、カフェはほぼ満席に近かった。そして、客たちのほとんどがアジア人であった。こんなところで、こんなに大勢のアジア人に会うとは! 彼らは、私の知らない言葉を交わしている。私はなんとか空いているテーブルに着席し、日替わりスープを注文した。少し会話を聞いていると、彼らは全員韓国人であることがわかった。団体ツアー客というところだろうか。
そのうち、リーダーらしき壮齢の男性がスピーチをし始めた。韓国語なのでわからないが、恐らく今回の参加者に対するお礼などが述べられていたのではないかと思う。そして、次に少し齢のいった男性が立ちあがった。皆が拍手をする。どうやらこのツアーの特別ゲストのようだった。彼は英語でスピーチを始めた。私は胸がどきどきし始めた。もしかして、私が日本人であるということを察して、私にもわかるようにと、英語でスピーチをしているんだろうか。私は彼の話に耳を傾けた。彼の話を要約すると、10代の頃に日本の青森に渡り、その後プサンに戻ったものの、今はアメリカに移民してロサンジェルスで生活してる。こうして皆さんのツアーに参加できたことは、光栄なことであり、皆さんには深く感謝している、ということであった。しばらくの沈黙のあと、大きな拍手が沸き起こった。リーダーらしき男性も、英語で彼にお礼を述べている。リーダーも移民の一人なのであろう。私は少し、居心地が悪かった。
スープを頂いていると、先ほどスピーチをした年上の方の男性が私の肩を叩いた。
「日本からの方ですか?」
日本語であった。私は、はい、そうです、と丁寧に答えた。すると彼は、自分が日本にいたこと、そのときはまだ10代であったことを話し出した。さきほどのスピーチでも言っていたことだった。
「私は青森にいたんです。…わかりますか?」
その言葉は、私にはこう聞こえた。「私は青森にいたんです。その意味がわかりますか?」と。第二次世界大戦を経験した韓国の人を目の前にすると、私は緊張してしまう。更に、韓国は儒教のしきたりが根付いているので、高齢の人に対して無礼があってはならない、と更に緊張してしまう。
はい、と答えた後、私は言葉に詰まってしまった。男性は私の顔をじっと見た後、微笑んだ。「じゃ、旅行を楽しんでくださいね」と言って、他の人達と一緒に去って行った。その表情に、彼が特別日本を憎いと思っているとは感じなかった。何か一歩抜けたような飄々さを感じた。それは、それなりのプロセスを踏んで至った飄々さであるように感じた。
私は考えた。なぜ、今私はあの人達と出会ったのだろう、と。
答えはわからなかった。
ようやくZionに到着した時、私は木漏れ日の下を通過しながら、その瑞々しさに驚いた。Zionは新緑が美しく、川の流れる心安らぐ場所であった。川辺に近づくと、大きな絶壁を背景にして水面を輝かせながら、さらさらと水が流れている様が見えた。グランドキャニオンやブライスキャニオンよりもずっと小さなキャニオンであるが、水や緑が豊かで、何かしらほっとさせた。皆も似たようなことを感じるようで、辺りは人と車でいっぱいだった。もうちょっとZionでゆっくりしたかったが、あまりに人が多いので私は早々にそこを後にした。
私には目指すところがあった。私は今夜、キチ●イになる予定だった。
そう、私はラスベガスを目指していた。
ラスベガスは、自然派思考の私とはまるで正反対の街である。ギャンブルに対して、なんのセンスもないこの私は、それでもラスベガスの楽しみ方を知っていた。ここは、気が狂うことが許されている街なのだ。子供はご容赦願いたい。ここは狂った大人の街なのだ。
この街は馬鹿げている。空港は街のまん前にあるし、空港からしてビカビカとして派手で、そしてその空港にもスロットマシンが置いてある。ホテルもタクシーもリムジンもビカビカに派手で、夜のネオンは眠ることを知らない。ホテルといえば、ニュージーランド人が卒倒してしまいそうな数、数千という部屋の数だし、巨大な敷地には煌びやかなカジノと、迷ったら二度と外に出られなさそうな馬鹿でかいショッピングセンターがある。そして、贅を凝らした食べ放題の食べ物。聖書が禁じている全部のことを、この街が担っている。ここは特別な区域。賭博して、金使って、酒飲んで、女抱いて、腹がはちきれるほどのご馳走を食って、自堕落さを満喫するところなのだ。ここに世間の常識はない。別に正装してかしこまったっていいし、少しくらい露出度の高い服を着たって目立たないし、それを気にする人もいない。
今回、私は人々に混ざって、スロットマシンなどでコツコツと端金を浪費するのではなく、格好良くルーレットやカードゲームに参加しようとと目論んでいた。足を組んで隣の人と談笑し、正面の人へ目配せなどをして、ディーラーには茶目っ気たっぷりの笑顔をプレゼント。ウィットに飛んだ会話とギャンブルの駆け引きを楽しむのだ!
数分後、私はくるくる回る巨大なルーレットの前に立っていた。それも、一人で。
それは、1ドル紙幣、2ドル紙幣、5ドル紙幣、10ドル紙幣、20ドル紙幣、50ドル紙幣、100ドル紙幣で構成されたルーレットゲームである。次に来る紙幣を予想し、紙幣の並んだプレートの上に自分のお金を置くだけのゲームである。ゲームはこのように進行する。1ドル紙幣を二枚、2ドル紙幣に賭けたとして、ルーレットが2ドル紙幣で止まった時、掛け金2ドル×2ドル紙幣で、4ドルの儲けが手に入る、という具合だ。実に単純明快なゲームじゃないか。ルーレットを回すおばさんディーラーは退屈だったのか、私に2ドル紙幣は既に生産されていないこと、学校の卒業式には先生にりんごをあげたものだが、今はそういう風習を行っていたとしても、もうたぶん幼稚園だけじゃないかとか、そんな話を聞かせてくれた。
うむ。何かが違う。ここはラスベガス。腐敗を陶酔する狂った街なのだ。ほのぼのとしている場合じゃないんだ。私も悪い女になって、札束で男の頬をパンパンと叩き、
「ついてらっしゃい」
などと言ってのけることが出来る街なのだ。イメージトレーニングはばっちりだった。しかし、私はここで札束を手にすることもなく、ルーレットやブラックジャックに大いに盛り上がる人々を尻目に、私は食べ放題バッフェへ向かった。バッフェは各ホテルの目玉ともなっていて、それぞれの金額はやや高めになりつつあるが、手ごろな金額でロブスターやローストビーフ、種類の豊富な魚料理、肉料理、野菜料理などを好きなだけ食べることが出来る。
私はよく食べる女である。しかし、皿にてんこもりに料理を乗せて、嬉々としてテーブルに向かう姿は見苦しい。女性ホルモンが足りなくても、私は女性を捨てたわけじゃない。私はお皿に品良くオードブルを乗せて、テーブルに着いた。ベーグルとクロワッサンも持ってきた。次に私はロブスターを食べた。そして、次はローストビーフ、魚料理、えび料理、その他の肉料理、と淡々とバッフェとテーブルを何度も往復した。そのうち、満腹中枢が刺激されてくる感覚を覚えた。満腹感だ。これは私の敵である。満腹感が襲う頃、私は苦しみにのた打ち回り、天に助けを乞うのである。私には学習機能は付いていない。満腹感に苛まれながら、私はテーブルを見た。ややや!ベーグル君とクロワッサン君、キミ達なんでそこにいるのかな?私はついうっかりパンという立場を蔑ろにして、その存在を忘れきっていた。ああ、もう食べられない。どうしたらいいんだ。一口、一口でも食べれば、この私は許されるというのか。私はクロワッサンを一口分、ちぎった。口に持って行く。
ああああー、だめだ。もう食べられない。
なんて私は罪深い人間なのだ。こんなになるまで食べてしまうなんて。
私はテーブルを去ろうと思った。う、動けない。苦しくて動けない。お腹を見せた短いタンクトップを着ていた私だが、今は人様にその腹を見せることは出来なかった。こんな腹を見た人は、目がつぶれてしまう。私はジャケットを羽織り、醜い腹を隠した。
そろそろ動けるかもしれないという頃、ゆるゆると私はバッフェを去った。ぎらぎらした夜景でも見て、ラスベガス感を楽しみながら、落ち着こうと外へ出た。生暖かい風が私の頬をくすぐる。ビカビカと光るネオン。本当に、街中が電器だらけだ。空を見上げた。街の灯りが明るすぎて、星など見えない。私は、少し場違いな気分を感じた。星の見えないところに、なんで私がいるのかな。そう考えた時だった―。
ぐるぐるぐる~。
し、しまった! ピーピー君が私を襲っているようだ!!
緊急事態発生である。お腹を出していたのが悪かったのか、それとも食べ過ぎが祟ったのか。私のお腹は今やピーピ君のピーヒャラ活動が始まっていた。トイレに行かなくちゃ! それも、今すぐ!!
私は一刻の猶予も許されていないことを知っていた。しかし、ここでホテルの公衆トイレを使うのは忍びない。なぜなら、アメリカのトイレは、膝から下は丸見えのドアで、音が丸聞こえだからである。日本のように、水を流して自分の音を掻き消すという配慮などは当然なく(私は日本でも水を流したりしないが)、私のガスの噴出す音は、人を振り向かせるほどであろうからである。そんなの、恥ずかちい。
私は人を掻き分け、自分の部屋へ一目散に向かった。しかし、ホテルは無情にも広かった。そして、その道は複雑だった。プライベートトイレへの道は、険しかった。階段を上り、階段を下り、くるりと回ってカジノホールに出る。カジノホールも馬鹿でかい。急がねば。しかし、今小走りするとキケンだ。振動で漏れてしまうかもしれない。涼しい顔をして早歩き。その実、腹の中はピーピー君の抗議活動が激しく執り行われていた。ま、待ってくれ。しばし、しばし堪えてくれ。少し立ち止まる。ピーピー君は今度はサーフィン活動を始めたようだ。ビッグウェイブがやってくる。ひーっ、た、助けてー。
予断を許さない状況に、私は走り始めた。唇を噛み締め、唇の色が褪せているのを隠しながら、私は走った。顔色が青くて、脂汗を垂らしながら走っていたら、「私は今、下痢でたいへんなことなっています」と顔に書いてあるようなものだ。私は気合で汗も止める。このぎらぎらと光る喧騒の中、人を掻き分け長い長い道のりを走り抜け、ようやく私の部屋のドアまでたどり着いた。
トイレが近いとわかると、体の緊張が緩む。ちょっ、ちょっと待ってくれ! あと少し! 私はドアのロックを解除するのももどかしく、ガチャガチャとドアを開けた。早く早くーーーっ。噴火直前のお尻の穴をキュッと閉めて、私はプライベートトイレへ直行した。パンツを下げる、便座に座る。
今だ!!
― しばし歓談 ―
数分後、私は力なく水を流した。
信じられない。消化不良を起こしている。さっき食べたブロッコリーも、色も変わらず鮮やかな緑のままで便器に浮かんでいた。いっぱい食べたのに、全部流れちゃった…。さよなら私の食べた野菜達。さよなら、私の食べたロブスター。
私はお腹をさすりながら、ベッドに横になった。
ピーピー君は、第二次活動を始めようと、ぐるぐるお腹の中で唸っていた。
(つづく)
ふふふ、ららみぃたんさんが喜びそうなネタじゃないですか。
食べたばかりのブロッコリーは鮮やかな緑色のままでした。洗ったらもう一度使えるくらい。
次回はラスベガスのちょっと悲しい一面について綴られています。
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