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エキサイティングTakaka

この旅日記を通して読み直して見ると、今の私よりも遥かに食べる量が少ないことがわかります。だから痩せてたんだなー。なんでこうなっちゃったんだろうなー。あの頃もけっこう食べてたと思ってたけど、今のほうがいっぱい食べちゃってるもんなー。
巨乳一家に生まれたはずなのに、この頃の私は微乳でした。でも、いつの間にか巨乳人として成長し、やはり私も家族のDNAを背負っていたのだなと思うのです。これも、たくさん食べるようになったからだと思います。あれ、私はなんの話をしているんですか?


いつも目覚めの悪いこの私が、ぐずぐずすることもなくぱっちりと目を覚ました。時間は5時5分。静まり返った部屋をごそごそと物音を立てながら、支度にかかる。5時半にはフェリー乗り場に着いていたい。チケットには「出発1時間前に集合」って手書きのポストイットが貼ってあった。チケット売り場のおばさんが、「忘れないように」ってわざわざ書いてくれたものだった。いつもそうなんだけど、どうも私は子供扱いされることが多い。別に見た目が子供っぽいわけではない。かつて、郵便局で「**円の収入印紙ください」って言ったら、「**の収入印紙ってないのよー。*円分の収入印紙を2枚あげるわねー。はい。これね。落とさないようにね」といわれたことがあった。…バカに見えるんだろうか。

15分で支度を済ませた。
ロビーでは、やはりフェリーに乗る予定であろう泊り客達がチェックアウトをしていた。早朝の静けさって、なんだかラジオ体操に出かけるときの家に似てるなぁ。辺りは真っ暗だけれどね。外に出る。うわー。外は寒いなー。キンキンに冷えた空気が妙にテンションの高い私の頭を冴えさせる。私の愛してもいないくせに愛車になってしまっているハニー二世が、窓を曇らせて私を待っていた。ああ、凍えるねー。

エンジンをかけてしばらく暖気する。ああ、ハンドルがこんなに冷たくなっちゃって。かわいそうに。

さて、昨日あらかじめフェリー乗り場の場所は確認しておいたけれど、いかせんまだ暗いからなぁ。場所、わかるかなぁ。

方向音痴の私はやはりウェリントンの街をぐるぐるぐるぐるすることになってしまった。いいや、ここで右折、更にもう一度右折で一回り...あれ?標識が裏を向いているよ。地面の標識も逆になってるよ。はっ!ここ、一方通行じゃん!!!しまった!前から車が来ちまった!

かろうじて脇に車を寄せ、Uターンだ。ふぅ…早朝で車が少なくって良かった…。

フェリー乗り場に着くと、既に車の行列が出来ていた。まだみんなが寝静まっている早朝でも、フェリー乗り場はにぎやかだ。フェリーといえば、ポンポン船のようなものしか、ここニュージーランドでは乗っていなかった。しかし今、目の前であんぐりと大きく扉を開いて私達を迎えているこのフェリーは、私にとってダビデの塔にも近いほど大きな船に見えた。

いよいよ入船だ。前に車でフェリーに乗ったときはみんな車から降りなかったけど、今度はどうなのかな。3時間も車の中にいたら、寒いだろうなぁ。

ところが、船に乗ってからいつまでも車に居座っていたのは私くらいなものだった。私も皆の行く方向へ行ってみよう。あれ、あれれれれ。この船、なんか豪華じゃん!!タイタニックみたいだよ。(だいぶ劣るけど)Cafeもあるし、テーブルとかソファもあるし、テレビルームもあるし、ビジネスマン向けのワークデスクまで準備されてる。すごい!!

私は船をグルグル探検して、お腹までグルグルしてきてしまった。ああ、お腹が空いたよ。今日はTakakaまでドライブだから、なんか食べておかなくちゃ。カフェで野菜スープとコーヒーを注文する。知らないうちに、景色が動いていた。船が出港していたのだ。静かな船なんだなぁ。

メモを書きながらスープを飲んでいると、太ったクルーのお兄さんがやってきて、「コンニチワ オゲンキデスカ」と言ってきた。ほう、このフェリー会社では、クルーに日本語を勉強させているのか。感心だ。ここで英語で「Yes」とか答えてしまう人がいるけれど、相手が日本語で話しかけてきたときは、日本語で返事をするのが礼儀というものである。私は答えた。「はい」

すると彼は、早口の英語で「後でオフィスまで来て」とささやいて去っていった。

なんだろう?日本語の勉強でもしたいのかな。そしたら、どんな言葉を教えてあげようかなぁ。まじとか、超とか、おいどんとか、~ですたいとか教えてあげよう。そのほうが喜ばれるよ。

食事を終えてから、ぶらぶらと歩きながらオフィスを探した。すると、お土産屋のそばにあるカウンターから「こっちこっち!」という声が聞こえてきた。ああ、お兄さん、ここにいたんですか。見た目、33歳の彼の名前はポール。実は32歳、独身、バツ2回という情報がたった10分の会話でわかった。初めての妻が日本人、2度目の妻が中国人。…ふーん、どうして離婚したの?

「Because after we married, she's become a ケチババァ

結婚してから、バレンタインもクリスマスもなかったらしい。それは寂しいねぇ。一緒に住んでるんだから、さぞかしイベント事は楽しいだろうにねぇ。餃子大会とか、カレー大会とか、大掃除大会とか...いっぱいやることはあると思うよ。で、離婚して学んだことって何?

「もう3度と結婚しないこと。なーんちゃって」

どうやら会話が進むにつれて、日本語に興味あるわけではないということがわかってくる。でも、なんでか知らないけど会話のテーマが"結婚とは"ってことになっちゃって、白熱してしまった。仕事の合間にそのような話で盛りあがり、そろそろ到着時間も迫ってきたが、彼はまだ話足りない様子だ。彼は私に彼の住所を手渡した。

「僕の家にはまだ2つほど使っていない部屋があるんだ。この次ウェリントンに来る時は、絶対僕の家に泊まって。フリーアコモデーションだよ。ウェリントンではバックパッカーにとって、ロクな宿泊施設がないからね。少なくとも3泊はしてくれ。僕にたっぷりウェリントンの良さを案内させてよ」

別に悪い人には見えないけれど、タダより高いものを要求されそうだなぁ。でも、なんか平気な感じがするから、いいや。うん、この次戻る時には、泊まらせてね。

「やった!約束だよ。Norikoが戻ってくるときには、僕も非番だからさ。」

彼の仕事はシフト制になっていて、私が到着するその日の午後から非番になるとのことだった。彼と再会するのは、8月の初旬だ。それまでの間、私は一体どんな人達と出会って、どんな体験をするんだろう。

Pictonのフェリー乗り場に到着するときには、既にあたりはすっかり明るくなっていた。車で船から港へ渡るとき、思わず「うおー」と叫んでしまった。ついに南島に着陸だ!!

南島は、本当に北島と景色が違っていた。おおーーーーきな山がずーーーーーぅっと横に棚引いていて、山の向こうにも、いくつもの山が連なっていた。ああ、すごいなぁ。広いんだなぁ。大きいんだなぁ。視界の180度めいっぱいのところまで、山が続いている。ここは南島だ。

車を降りて、トイレを済ませる。地図で大雑把な道順を確認してから、いよいよ出発だ。

私はTakakaを目指していた。Takakaには、私の親友のだんなの従兄弟の息子のカズくんが、老夫婦の家にホームステイしているのだ。親友の紹介で、彼とは一度だけ面識があった。滞在中、彼はCafeのバイトを休んで、私にお付き合いしてくれるとのことだった。ありがたいことである。

Takakaまでの道のりは、約4時間~5時間。途中、かなりトリッキーな道を通らねばならないという。快適だった道が、勾配の急な坂道に変化してきた。イロハ坂のようにうねった坂が延々と続く。ずいぶん高くまで来たな、と思ったときのことだった。目の前に、『風の谷のナウシカ』の集落が現れた。壮大な山間に広がる平らな部分に、点々と見える家屋。目を凝らすと、小さな家屋の煙突から、煙が出ているのが見える。実にのどかで美しい景色だ。そして、その集落を取り巻く、いくつも重なり合った山々は、"地球"を感じずにはおれない。私は美しい星に生きているんだなぁ、と地球に感謝したくなった。

この丘を越えてしばらくするとTakakaに到着だ。

「小さな町だから、見落とさないようにね」

と彼から注意されていた。一体どれくらい小さな町なんだろう。迷子にならないといいな。

…そんな心配は無用だった。Takakaは本当に小さな町で、100mくらいの道路の両脇に商店が立ち並ぶだけの本当に小さな町だった。もちろん、ここに住む人達はお互いの小さい頃から今に至るまで知っているし、この時期は旅行者も少ないので、一週間も滞在すれば、私の顔もすぐに覚えてしまうことだろう。

久しぶりに再会したカズくんは、髪の毛が短くなっていた。でも、別に顔は変わっていなかった。お家まで案内されて、老夫婦に会う頃には、既に日が傾き始めていた。

もうすぐ夕飯だから、ゆっくりしていらっしゃい、と温かいコーヒーを渡される。リビングルームには、薪ストーブがあって、部屋はかなり暖かかった。金色の光りが窓から差し込んでくる。私はコーヒーを飲みながら、高くて乾いた空を窓から眺めていた。その瞬間のことだった。

シュッ!

空で、球体が銀色にギラッと光って見えた。その直後、その銀色の球体から火が吹いた。そして、消えてしまった。

う、うわーーーー。なんだあれーーー?思いっきり、私は"What's that !?"と叫んで指差して立ち上がった。

「飛行機だよ」

おじいさんがニコニコ笑ってる。そ、そーかなー…。絶対に違うと思うんだけどなー…。

その謎は、夜のニュースで解明された。
小さな隕石がニュージーランドに落ちてきたのだった。このニュースは、何度も何度も繰り返し報道され、実にレアな事件であることがわかる。ということは、私はすごくラッキーなんだな。うん、そうだよ。今まで隕石が落ちてくるところなんか、見たことなかったもの。そんなのなかなか見れるものじゃないよ。

一瞬、『1999年7の月』って言葉が頭を過ったけれど、まぁ、それはそれで別のことなんだろう。

エキサイティングな幕開けで始まったTakakaの生活。
明日は早起きするぞ!!

(つづく)


Takakaでは、親友の夫の従兄弟の息子っていう赤の他人にお世話になりました。文中に出てくるポールという船員さんはその後の旅日記に再登場してきます。ちなみに、ポールとは未だにFacebookで繋がっています。彼は数年前にめでたく日本人の女性と三度目の結婚をしたそうです。

さて、次回はついにヤギ乳の雪辱を果たすの巻です。

#何者でもない私 #ということは何にでもなれる #これからいろんな人と出会います

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