見出し画像

歌の発表会

ニュージーランド旅行記 第六回
私はとにかく昔から歌うことが好きだったのです。私史上最古の歌は二歳。歌謡曲を歌っている録音がおぬき家の記録として残っています。

そんな私がニュージーランドに行ってもまだ歌おうとしていたことに我ながら驚きます。きっかけは新聞の募集欄にあった「歌の生徒募集」という記事を目にしたところから。イギリスの古い民謡や唱歌を習えるとあって私はすぐにそのレッスンを申し込んだのです。一ヶ月半ほどのカリキュラムを終え、いよいよ発表会の日を迎えました。


7週間の成果を今夜精一杯出さなくちゃいけなかった。でも、車を買ったり、盗難に遭ったりなどで歌の練習どころではなかった私。ステージは今夜だというのに、未だに自分のソロを覚えていない。私のソロソングは『My Hero』 結婚直前の乙女がどれほど彼を恋焦がれているか、人生を楽しみにしているか、という内容の古い古い歌であった。

他の曲はともかく、この歌だけは覚えないと!でも、英語の歌詞、一人きりの練習。トレイナーのアドバイスもない状態で練習するのは、初めてのことであった。しかも、今夜のステージに、学校のお友達も呼んでしまった。ホストマザーと一番ハンサムな息子もやってくる。彼らを失望させるわけにはいかない。せっかく来てくれるんだもの、ああ来てよかったって思ってもらわなくちゃ。

ステージ衣装は、イギリスのオールドファッション。白いレースのブラウスにブルーのロングドレス、それとお花がいっぱいついた、つばの広い帽子、それと白い傘。皆それぞれにドレスを借りてきて、古きよき時代の紳士と淑女に扮するわけだ。衣装に負けないよう、上手にやり遂げなければならない。今日は1日中、歌詞の暗記に専念した。こんなに何時間も練習しているのに、直前になってもまだつっかえる。よし、いよいよという出番になって、ようやく歌詞を覚えたかな、という手応えを感じた。

私の名前を呼ぶ声がする。観客席から拍手が聞こえる。さぁ、出番!緊張で体がはち切れそうだ。それと同時に、もうどうでもいいや的気分も盛り上がってくる。いざ、ステージへ!序奏が流れる、息を思いきり吸って...

「.................。」

あ、出だしを忘れた...。信じられない。ピアニストがうなづいて、もう一度序奏を弾いてくれる。しかし、またもや歌詞が出てこない。

「あ、すいません。もう一回...」

緊張のあまり日本語でピアニストに話しかけてしまう。会場がざわめく。ああ、どうしよう。ピアニストが私に先を促す。でも、歌詞が出てこない。ああ、どうしよう。どうしよう。

...................ぷちん。

もーどーでもいーやーーーーー。
切れた私は笑ってごまかし、譜面を手に取り、とりあえず声を出した。会場がホッと安心したような感じがした。私も波に乗り始めた。よしいいぞ、次の歌詞はなんだったかな。お、思いだした、そうそう、そうだよ。いいねぇ、つづけるよ...あ、また忘れた。もうとまらない。どうしよう、いいや、「ラララララ~」途中で忘れた歌詞はすべてラララで通した。最後のシメだけはきちんとしないと、と思った私は、最後のクライマックスはあらん限りの声で歌い遂げた。

一瞬の沈黙。

やべ、外したかな...と思った瞬間。
怒涛のような拍手喝さい。床を叩く音、立ちあがっている人までいる。日本人の判官びいきとは言うが、西洋にもそういう習わしがあるのねー。と感心しつつ、しかも、何度も失敗した後だったのでこれはおちゃらけて帰ろうと思い、どうもどうものポーズを取りながら幕下にさがった。後で、ちょこんとお辞儀でもして帰ればよかったと後悔した。

幕下で、一緒に練習をしてきた仲間の人達が肩を叩く、背中を叩く、抱きしめてくれる。なんだかよくわからないけど、もみくちゃにされながら成功を知った。それともちろん、仲間の人達はこのちびっこなカタコト英語の日本人を心配していたのだ。ああ、仲間っていいな。出会いっていいな、とあらためて痛感した。みんなありがとう。ありがとう。

その後、本格的に練習をするつもりはあるか、などとのオファーがあり、後で連絡をしてもらうことになった。だけど、私はしがない旅人なので、本格的に練習している団体に参加するのは遠慮したほうがよいのかな...。

ステージもようやく終わり、お家に帰ると既にホストマザーとその息子が遅い時間の夕食を取っていた。「途中で歌詞忘れちゃって、ラララで歌ったの、気がついた?」と聞いたら、二人ともぜんぜん気がつかなかったと言っていた。学校のお友達もぜんぜん気がつかなかったらしい。ホストマザーも息子も満足してくれたようだ。ああ、よかった。これで今夜はぐっすり眠れるよ。

ベッドに入って目を閉じながら、成功するのだったらもっときちんと歌い遂げて成功したかったな、と少し後悔をした。

(つづく)


文中に出てくる衣装は借り物で、中世のイギリスの娘が着るようなロングドレスと羽の付いた帽子!でした。後日、ホストファーザーのマイクが私の写真を見て、目頭に涙を浮かべて喜んでいました。なんていうんでしょう。日本でいえば、外国人のお嬢さんが舞妓さんの格好をしているのと同じ新鮮さというところでしょうか。

そういえば、私はこの国じゃ外国人だったんだな、なんて改めて思ったのを覚えています。

次回は、初めての牛の屠殺を見学した時のお話です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?