#18 Scottsdaleの憂鬱
私は西海岸から東に移動しています。カリフォルニア州からアリゾナ州へ。南の道路を走っているのでとても日差しが強いのです。ダッシュボードは太陽に照らされていつでも熱々です。アスファルトではメラメラと陽炎が揺れるのです。そんな中、私は走らせていました。
ただひたすら乾いた土を見ながら運転していた。干からびた土の上に生息する植物は、背が低く、まるで乾いたマリモのように丸かった。
私は今、東へ向かっている。今日の目的地はフェニックス(Pheonix)だ。道路の上では、バーストしたタイヤの残骸が飛散しているし、道路脇にはオーバーヒートした車が立ち往生しているのをよく見かけるな。やっぱりこれは、この辺りの気候が暑いからなのかなー。
私の愛車、ハニー三世の中では、只今ドリカムのニューアルバムが流れている。んー、気分いいねぇ。ドリカムは特に大好きってわけじゃないけど、車の中で歌えるからいいんだよね。相変わらず車内に注ぐ太陽の日差しは強かった。真っ青な空。果てしなく続く浮き雲。山間を走っているときでさえ、空は大きい。まっすぐな道には、大きなトラックが頭から黒い煙を出しながら数台の列をなしている。アメリカのトラックの多くは、ボンネット付きで、排気口は上を向いている。軽快に走る私のハニー三世(赤のマーキュリー)がトラックを追い越す時、なぜかトラックはクラクションを鳴らす。これは未だに理由がわからない。最初はねずみ取りのお知らせかなとか、ライトの消し忘れを教えてくれてるのかな? とも思ったが、そういったことではないようだ。それとも「あんなちっこい車が俺達を追い越して行くゼ。ナマイキなヤローだ」っていう意味なのか? とも思ったがそうでもないらしい。しかし、トラックを追い越すと決まってトラックの運ちゃんはクラクションを鳴らすのだ。
プップーッ!
よく意味がわからないので、とりあえず左手を挙げて応えることにしておいた。今のところ、それで問題はない。大体、彼らには私が見えないはずだ。なにしろ私は背が小さいので、後ろから私の姿は見えるはずがない。一見のところ無人カーようだ。むしろ、私はそう見えることをポリシーとしていて、運転席に座るときには、必ず頭がシートから飛び出ていないかどうかをチェックする癖がついている。
アリゾナ州に入ると、景色の雰囲気がなんとなく違って見えた。殺伐としていることには変わりはないのだが、何かが違う。うーん、なんだろう。あ! サボテンか! アリゾナに入ったとたんに、荒野にサボテンの姿が見え始めたのだ。赤い土とサボテン。これぞアリゾナだよー。でも、州境をきっちり越えたところでサボテンが出現し始めるとは、何か人為的な匂いがするなー。
ほどなくフェニックスに着く。フェニックスはけっこう大きな都市なので、モーテルには困らなさそうだった。今日はスコッツデイル(Scottsdale)にも足を伸ばしたいので、早々に宿を決めてしまった。実は、この街にはユースホステルがある。明日からしばらく、そこへ泊まろうと思う。今夜はちょっとデラックスな宿でのんびりしよう。
宿に荷物を置いた私は、さっそくスコッツデイルでランチを食べようと張り切ってハンドルを握った。
スコッツデイルは、フェニックスの古くからのリゾート地だ。軒を並べる店は、深い茶色で磨かれた木材で縁取られているし、所々に小さな花の咲いた鉢植えが並べられている。緑の茂る生垣にはハイビスカスが咲いていて、その蜜を頂こうと、ハチドリ達が寄ってくる。美しい街だなぁ。私は青く輝くハチドリをしばらく観察したあと、通りを隔てたレストランへ行こうと、横断歩道を渡ろうとした。その向こうから、妙な身形のオヤジがやってくる。頭には戦時中の兵隊が被るような耳当てのある帽子、瓶底メガネ、黄ばんだランニングシャツ、ボロい単パンに、中国の扇子がいくつも刺さったウェストポーチという出で立ちだ。オヤジとすれ違うとき、ほんの束の間目が合った。オヤジは私を通り過ぎて行った。しかし、オヤジは横断歩道を渡り切るか切らないかというところで踵を返し、私を追いかけてきた。私は落し物でもしたかな? くらいにしか思わなかった。
「ちょっとすみません、すみません」
振り向くと、オヤジは新聞の切り抜き記事を集めたクリアボックスを私に見せた。記事には、若かりし頃のオヤジとおぼしき人物が、たくさんの犬や猫に囲まれていた。
「私は、動物愛護の運動をしている者です。もしよろしかったら、1ドルでも、2ドルでも…」
ああ、寄付金集めか。私は、オヤジの言葉の途中で財布を取り出そうとした。
「……5ドルでも、10ドルでも、20ドルでもいいから寄付していただきたいんですが」
おいおい。人が財布を出そうとしたからって、寄付の金額を吊り上げることはないだろう。私はちょうどあった5ドル紙幣をオヤジに差し出した。なに「仕事がないから金をくれ」というのとはわけが違う。皆さんからの寄付金で、かわいそうな犬や猫を救おうって話だ。それなら私の5ドルも安いタバコに姿を変えることはなかろう。
「ありがとう。あなたに神のご加護を」
と言って中国製の扇子をくれた。人から恵んでもらうことを強く期待している人に、神という言葉を口にしてもらいたくないものだと本能的に思ってしまう。だが何も言わずそのまま立ち去ろうとすると、オヤジが先ほどのクリアホルダを突き出し、延々と彼の活動についての講義を始め出した。まいったな、この炎天下に。オヤジは言う。
「私は仕事も地位も投げ出して、今はかわいそうな動物達に人生を捧げている。家には住むところのない浮浪者がいるし、先だって産まれた乳飲み子もいる。というわけでお金を集めなくちゃいけない」
ふーん。…なんか雲行きが怪しくなってきたなー。太陽は燦々と私達を照らしているけど。
「私はこの狂った世の中を正したい。世の中みんなお金のせいで狂っている。お金なんかなければいい。このお金のせいで貧乏人ができるんだ。苦労はみんな貧乏人が背負うんだ。私には乳飲み子がいる。この乳飲み子に、この世はお先真っ暗だ、お前なんか生まれてきたって、いいことなんかは何一つないってことを教えてあげなくちゃいけない」
カチーン! 人からお金をせがんでいるくせに、お金が必要ないだと? それになんだ! 生まれてきたばかりの子供に、世の中がダメになってるなんて、なんで教えるんだ。世の中がダメかどうかはその子がこの世を見てから、その子自身が決めることじゃないか! 親が勝手に世の中を押し付けるなんて間違っている!
私の反論はオヤジに火をつけた。オヤジの演説が白熱していく。
じりじりと太陽が動き、日差しが私の目を突き刺す。私はオヤジの影へと体をずらした。
「世の中は狂ってるんだ。みんな大きな家に住みたがり、贅沢な暮らしを求めている! それはお金のせいだ! 大きな家なんかいらない。贅沢を売りつけるデパートもいらない。みんな食べ物は自分で耕し、狩りをして生活するべきなんだ。人はちょっとのお金から、より大きなお金を手に入れようと悪いことに手を染めて、どんどん狂った世界を作っていくんだ。そんな世界に生まれたあの子がかわいそうだ。だから教えてあげるんだ。心構えができるように」
何も知らない子供にそれを教えるなんて、そりゃ洗脳だよ。それに、世の中はそれほど悪い世界じゃない。確かに、贅沢を好む人はいるでしょう。それは心が貧しい人が贅沢を欲しがるのでしょう。確かに、お金のために悪いことに手を染める人もいるでしょう。それは、未だにお金を重要なものだと信じている人がそうするのでしょう。お金はそれほど重要なものじゃない。必要なものだけれど、余るほどはいらない。それに、今更世界が原始に戻ることは出来ない。例えば、私は贅沢な暮らしを必要としていないし、お金が一番重要なものだとも思っていない。だからといって、原始に戻ろうとは思わない。私達は進化している。昔に戻るなんて馬鹿げてる。常に先に進まなきゃ。もっと精神を成長させて、今の文明を維持しながら尊い生活ができるように、自分を磨かなくちゃ。
そこまで言うと、オヤジはふふんと鼻白んだ。
「あんたの言ってることは、霧のように宙に消えるね。ただのきれいごとだ」
カッチーーーン!!
「そういうあなたが、贅沢を欲しがり、人より多いお金を欲しがっているんじゃない。あなたが私に乞ったものは何?」
おやじはムッとした顔をして「それじゃ」と足早に横断歩道を渡ってしまった。
お金は大して重要じゃないさ。文明を維持しながら、お金がさほど重要でなくなる時代は、いつかやってくる。ただ、今はまだそこを越える思考に、世の中が行きついてないだけ。いずれ、奪うことより、与えることのほうが幸せに思える時代が来る。うーん、やっぱり私はきれいごとの中に生きているのかな。
足元を見ながら歩いた。考えながら歩いた。考えすぎて、お腹が空いた。
私は、マフィアが経営してそうなイタリアンレストランに入って食事をすることにした。
マフィアの一味みたいなちょび髭を生やしたイタリア伊達男が、メニューを置いてウィンクした。
魔法のように、私は思考の渦から解き放たれた。
(つづく)
お金のことについて、当時の私の考えが書いてありますね。この時私は、進化した社会ではお金などなくなって物々交換になるだろうと考えていたのです。でもどうでしょう。今や、本当にキャッシュはなくなりつつあります。お金はバーチャルな世界で液体のように器から器へと移動しているだけ、みたいな。物々交換にはなっていないけど、現金のない今に不思議な感覚を覚えます。
お金ねー。たくさんはいらない。必要なだけあればいいって言ってるけど、それって根底にお金は悪、みたいな思考があったように思います。今では自分自身のスキルが収入に直結するので、お金を悪とはとても思えません。
お金は便利な道具です。お金に悪も善もないのです。たくさんあれば、より多くの自由が買えるのです。お金は時間を買えるのです。距離を買えるのです。今の私はそう思っています。誰かがお金で愛は買えると言っていましたが、あながち間違いではないかもしれないと思っています。
キャッシュレス化が進んだ今「お金至上主義」という思考は今後もっともっと少なくなっていって、いずれ化石のような思考として歴史の本に書き残されることでしょう。お金のために何かするのではなく、何かをするためにお金がある。それを前提にした生き方がまさに今の時代なのではないかと思うのです。
そう考えると、世の中は本当に大急ぎで変化し続けているのですね。
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