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迷蝶おじさんの話

「どうせ行くなら最西端に」と思い立ち、予備知識ゼロのまま与那国島へと旅に出たことがある。ここには10日間ほど滞在したのだが、今日はこの時に出会った人たちについて書こうと思う。

私が与那国に到着した日、同じ宿に宿泊していた30代の男性が私に「この島には何をしに来たの?」と聞いてきた。私は普通に「特に予定はありません」と答えると、男性はとても驚いた様子で

「この島に何の予定もなく10日間もいるなんて…」

と絶句したのだった。そんなにこの島には何もなのだろうか。

この会話がきっかけで、私は隣の家の宴席に招待された。この隣の家はレンタカー屋さんで、昼間私はここのおじさんにパソコンの使い方を教える代わりにタダで自転車を借りるという約束を取り付けていた。その時、おじさんは「うちに来ればエアコンが効いた部屋ででっかいテレビが観られるんだ」と自慢していたっけ。私は夕食後、オリオンビールを数本引っ提げて隣の家へと向かった。

私が部屋に入ると、既に宴席で盛り上がっていたおじさんたちの野太い歓声が上がった。それほど広くないリビングで、6人ほどのおじさんがリビングテーブルを囲ってぎゅうぎゅうに体育座りをしてビールを飲んでいた。私は奥のソファに誘われ、そのまま乾杯と相成った。ビールをひと口飲むか飲まないかのところで「それで、お嬢さんは何屋さんなの?」と聞かれた。私が答える間もなく、私をここへ招待してくれたおじさんが

「ああ、彼女はそっちの人じゃないんですよ」

と言った。そっちの人とはなんだ?そう思うのと同時に、ソファの上に小さな昆虫図鑑が目に入った。昆虫が大好きな私は、すぐに図鑑を手にして中を眺め始めた。そして「実は私、昆虫が大好きなんですよ」と言うと、その場にいた全員が「おお~!」と喜びの雄叫びを上げた。

なんと、ここに集まっているおじさん達は全員蝶の収集家だったのだ。彼らは、この時期は台湾から風に乗ってやってくる迷蝶を狙ってこの島にやってきたのだ。蝶の世界は狭いようで、それぞれ一人旅だが全員顔見知りなのだという。

私が、蝶も好きだが本当は蟻が専門で、蟻や蜂のように社会性のある昆虫に興味がある、と伝えるとおじさんの内の一人が「蟻屋なんだぁ」と呟いた。すると、別のおじさんが「あ、俺、実は蝶だけじゃなくてゲンゴロウ屋でもあるんだよね」とマウントしてきたり、また別のおじさんがえぐれた指を見せて「これ、タガメに噛まれた跡」と自慢してきたりして、なかなかのカオスであった。

ゲンゴロウ屋は車を借りていて、他の人達は皆スーパーカブで採集に出かけているという。翌日、採集の様子を見に来ないかと誘われ、私はゲンゴロウ屋の車に同乗して採集場まで行くことを約束した。

翌日、私がゲンゴロウ屋と山に向かうと、数人のおじさんが既に現場で活動をしていた。彼らはみんな、人が捕獲できるくらいの大きな虫あみを手にしていた。私が車から降りると、雌蟻に集まる雄蟻のように一同が一斉にこちらへ集まってきた。

「本当に来てくれたんだね。今日はまだ一頭も捕れてないんだ」

と誰かが言った直後だった。一人のおじさんの目がキョロキョロと動き、その瞬間、猛烈なダッシュをして消えてしまった。そして、バサバサッと器用に網を降って地面に叩きつけた。素早い動作に呆気にとられていると、おじさんはこちらを振り返り「今の俺見た?」みたいな妙な承認を求める視線を送ってきた。私は黙って頷くしかなかった。

こんな調子で、おじさん達は大きな虫あみをぶんぶん振り回しながら一日中迷蝶を追いかけた。私は木陰でひらひらと舞うリュウキュウアサギマダラに癒やされながら一日を過ごした。暑い一日だった。

滞在中、毎晩隣の家に集まり宴席をした。バナナセセリの採集を切望するおじさんは高名な建築家だった。周囲からは「ついに蛾に手を伸ばした人」と馬鹿にされていた。虫仲間の間では高名も何も関係ないのか。ついでに言えば、バナナセセリは蛾みたいだけど蛾ではないのではないか。とモヤモヤした日もあった。タガメに指を噛まれたおじさんにはメアドを渡され、東京で再会を約束させられた。

さて、東京に戻った後、タガメと銀座で再会することとなった。ちなみにタガメは大手広告代理店の社員で、昆虫好きだけどおしゃれなお店には精通している様子だった。

素敵なお店で食事をした後、タガメが「ちょっと東京駅まで荷物を受け取りに行くので付き合って欲しい」という。海外からの荷物なんだ、と言葉少なだ。私は自宅ではなく、わざわざ東京駅で受け取る荷物とはどんなものなんだろうと不思議に思った。

東京駅で彼が受け取ったのは海外の小売店で渡されるような茶色の紙袋だった。彼はとても嬉しそうにそれを受け取り「じゃ、もう一軒飲みに行こう」とタクシーに乗った。次のお店も銀座だったのだが、これが知る人ぞ知る路地に入った隠れ家のようなおしゃれなオーセンティックバーだった。天井が高く、間接照明は都会的で、とてもとてもオーラのあるバーだった。

タガメはウィスキーのロックを注文するやいなや、しわくちゃになった紙袋からその中身を大切そうに取り出した。中のブツは更に内袋に入っていた。厳重に包装されてはいるが、穴が空いている。そして、その内袋からは丸いシャーレが3つ出てきた。タガメは私に目配せをした。意味がわからない。

彼はシャーレのフタをそっと開けた。その時、私達の飲み物が運ばれてきた。店員はシャーレの中を一瞥するとわずかに表情を歪ませた。私はシャーレを覗き込んだ。

そこには体長2mm程度の黒い毛虫が10体くらいうごめいていた。他のシャーレも同様だった。「ふふ、かわいいねぇ」とタガメは笑った。

なんと、タガメは海外から外来種の蝶の個体を密輸していたのだ。

私が「それダメなんじゃないんですか?」と言う意見を言い終わないうちに「絶対外には出さないから大丈夫。家の中で放し飼いにするんだ。この子達は、僕の家で成長して生涯を終えるんだ」と言い放った。私は二の句も告げないところであったが「食草は…」と振り絞るように反論した。すると

「食草は買う。たくさん買う」

と断言された。お金で解決するということだろう。

私は、こんなおしゃれな社交場で毛虫の入ったシャーレを広げるのは勘弁して欲しいと心の中で叫んだ。早くしまえよバカと祈るような気持ちでタガメを見た。タガメは毛虫に夢中だった。出会った時から、うんちみたいな人だなと思っていたけど、その時はうんち以下に見えて仕方なかった。それなのに、私の中の昆虫魂がうずいて「一齢…いや、二齢ですか?」などと彼を喜ばせる質問をしてしまった。その後、タガメは永遠に終わることのない”世界の蝶”への思いを私に語り続けたのだった。

ちなみに、鉄道マニアもそうだというが、昆虫マニアもまぁまぁみんな独身だという。タガメももちろん独身だった。しかし、その後私がタガメに連絡を取ることはなかった。

#蟻をゲンゴロウでマウントするのやめて #宿泊した宿の名前はおもろ #オモロを目指す私へのエール

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