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生存率5%以下の大病を経験した話⑤

治療開始

足の手術から二日後 本格的な治療が始まりました。

相変わらず、お城のような沢山の機械に囲まれながらですが、少しずつ回復に向けての治療が始まりました。

 2日に一回人工透析とリハビリです。あとはいろいろな薬を左右から点滴でぶち込まれます。

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透析は4~5時間かかります。気分も悪くなるし、とにかく体が冷えます。自分の血が外に行ってキレイになって戻ってくるのですが、電気毛布を使っても氷の国にいるかのように冷たいのです。終わるとその日一日は何も考えられません。グダグダです。

それと並行して、リハビリが始まりました。前向きな感じがして少し気分が高揚したのですが、リハビリ担当の先生が鬼軍曹に見えました。

「まず、立とうか!」

は?無理でしょ!体中にいっぱい管つながってるし、足からは変な汁出てるし。上体を起こすこともできないのに、口は呼吸器ついててしゃべれないし、とにかく鼻息だけで「ふが!ふが!」言って無理だと伝えても容赦はありません。ベットが動きそのまま頭が上に、足が下にくるように形を変えます。すごいベットです。

けれど、人間が立った姿勢になっただけで、苦しくめまいがします。

その状態から、深呼吸するように言われ、腹を押されます。

涙が出ます。ただ、苦しくて情けなくて・・・

けれど、ほんの少し希望が見えてきました。指も手も少しずつ動くようになってきたのですから。

この時の楽しみは、呼吸器の管に水滴が貯まり、上手く揺らすと水が口に入ってくることです。ほんの数滴口の中に水が入ってくるとそれはもう表現できないほど美味しいものでした。治療のために水分を制限されていましたので、体が干からびています。

家族との面会

治療やリハビリの効果もあり、呼吸器も無事外れ、支えられながらでもICUを立って見回せるようになりました。時間にして1~2分ぐらいでしたが、少し自慢げでした。

しかし、写真にあるようにたくさんの機械に生かされている状態です。

妻は仕事の合間をぬって毎日面会に来てくれました。娘は週末

息子はその間廊下で、一人です。

看護師さんや先生にお願いしました。一目でもいいから会わせてほしいと。

虎と馬になるからと、認めてもらえませんでした。

回復したら会えると言われましたが、今 会いたいのです。

やはり、息子には何か伝えようと考えます。

大きくなったら酒を一緒に飲みたいし、人との付き合い方のマナーなんか教えたいし、好きな女性ができたら、大切にするように教えたいけどちょっと無理そうです。

そう考えている2日後に息子に会える許可がでました。

少しだけ体についている機械が減り、見せれると判断されたのでしょうか?

本当に嬉しかった。

息子は姉に付き添われ、恐々近づいてきます。

小さい手で私の手をさすってくれました。

気丈にも泣かずに、「大丈夫?」と声をかけながら

感極まって頷くことしかできませんでしたが、もう会えないかもと思っていたので、顔が見れただけで満足です。

自分が回復していて、息子に会えたわけではありませんでした。

その日が山だったのです。

術後容体も安定していたのですが、家族が帰って夜10時頃でしょうか

血圧は異常数値を示し、脈拍はドンドンと上がり意識はほとんどありません。ただ、自分はこれで死ぬのだとわかりました。

けれど突然死ぬのではなく、10日ほど生きれて

最後に顔見れたからいいか

納得して目を閉じました。

⑥に続く

生存率5%以下の大病を経験した話①
生存率5%以下の大病を経験した話②
生存率5%以下の大病を経験した話③
生存率5%以下の大病を経験した話④
生存率5%以下の大病を経験した話⑥
生存率5%以下の大病を経験した話⑦
生存率5%以下の大病を経験した話⑧
生存率5%以下の大病を経験した話⑨
生存率5%以下の大病を経験した話⑩

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