菱田 男

2019年11月5日大動脈解離になりました。一ヶ月生存率5%以下から、何とか生還!  …

菱田 男

2019年11月5日大動脈解離になりました。一ヶ月生存率5%以下から、何とか生還!  病気直後は人生を諦めていましたが、今は新しい製品づくりに人生をかけてみようと思います。 病気の弱気な自分もたまに出てきますが、出来る限り前向きな発信をしていきたいと思います。

マガジン

  • 一ヶ月生存率5%以下から生還した話

    2019年11月5日に大動脈解離になりました。生死をさ迷い、人生を諦めたのですが、少しずつ前を向いて歩きだした今につながる話

  • 障害者年金を受給するまで

    大動脈解離になり、コンパートメント症候群の影響もあり歩行が困難な状況にあります。日常生活に支障があるのですが、障害者としては認定できないと説明をうけておりましたが、厚生障害年金としては受給できるのではないかと思い行動してみました。その記録です。

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生存率5%以下の大病を経験した話①

2019年11月5日午前9時私は大動脈解離になりました。私は岐阜の田舎で作業手袋(軍手)を製造・販売しております。 いつものように朝6時に起きて、パートのおばちゃんが出勤するまで機械を整備しながら、一人で製造を始めます。8時にパートさんが出社してくるので、そこでようやく朝ごはんです。NHKの朝のドラマを見ながら朝食を食べ、コーヒー豆を挽いて香を楽しみながら一息つきます。  工場と自宅が隣接していますので、すぐに仕事に戻ります。 「今日は暖かいし、製品倉庫の整理・掃除をし

    • 病室からこんばんわ

      明日はついに手術当日です。  午前中に病院に着き、まずは口腔外科で歯の清掃してもらいました。歯周病の菌が血管にダメージを与えるとの報告があるようで、心臓病の手術の前には歯のスクリーニングはセットになっているようです。(すべての病院ではないです)  術後も心臓に持病のある私は、歯をキレイに保つように指導していただきました。 入院の手続きを済ませ、病室に到着 お毛毛の処理の確認をしてもらって (カミソリでなくてバリカンで処理するのがいいようです)  心電図とレントゲン撮って、シ

      • 明日から入院します!

        大動脈解離で緊急手術をして、1年半何とか生きてこられました。 3か月ごとに造影CTで、血管の様子を観察しておりましたが、人口血管に変わったところは良いのですが、その先がやはり血管が膨らんできております。 このまま様子を見た方がいいのか、人工血管を足すカテーテル手術を受けるべきか、少々悩みました。 選択①カテーテル手術で、今ある人工血管をもう少し長くする。 ②体を二つに横から切り分けて、血管を全部交換。 ③このまま様子を見て、血管が破れるのを警戒する。 大動脈解離とは、血

        • 生存率5%以下の大病を経験した話 完

          退院松葉杖をつきながら、数十メートルは歩けるようになり、お風呂もトイレも自分で出来るようになった頃、退院して自宅に帰るか、リハビリ病院に転院してもう少し入院するか悩みました。  未だ自分の身の回りのことは手伝ってもらわないと不安が大きく、もし転倒したりして骨折したら本当に寝たきりになってしまいます。 退院して自宅療養 家族に負担はかかるが、自分は淋しくない。お金もかからない リハビリ病院に転院 生活のリズムをつかむまで手助けしてもらえる。転倒など不安解消 よろずやさんに相

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        生存率5%以下の大病を経験した話①

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        • 一ヶ月生存率5%以下から生還した話
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        • 障害者年金を受給するまで
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        記事

          障害者年金を受給するまでの話①(仮)

          SNSから 病気の事を前向きでとらえられるようになりたいと思い、NOTEに病気が発症してからの事を書いています。一週間に一度は書いてみようと、努力目標を決め書き続けています。自分の病気を改めて見つめ直すいい機会になったと、拙い文章でも一つ一つ思い出しながら文字にしていくと、不思議と浄化されたようなすが清々しい気分になっていきます。読む人の多さや人に褒めてもらう為でなく、ありのままの自分を淡々と文字にしていく作業は、懺悔のようでも贖罪のようでもあります。 そうすると病気友達の

          障害者年金を受給するまでの話①(仮)

          生存率5%以下の大病を経験した話⑩

          働く人病院に入院していると、時間はゆっくりと流れます。 今まで、大きな病気などしたことなかった私ですが、入院して本当に多くのことが見えてきました。一番びっくりしたことは、働く人の多い事です。 医師や看護師さんはもちろんの事、私の入院していた病院は、トイレなど水回りを掃除する人、シーツを変えに来てくれる人、床を掃除する人、カーテンや蛍光灯を交換してくれる人、分業がされているのだとものすごく関心しました。 薬剤師さんは薬を定期的に説明にきてくれるし、食事アドバイザーの先生は

          生存率5%以下の大病を経験した話⑩

          生存率5%以下の大病を経験した話⑨

          リハビリ私の姉は、東農地方の病院で理学療法士をしております。 弟の病気を知った姉は、「死んだな」と思ったと言っていました。 姉は毎日、今でも手術から何日経ってるのか、カレンダーに印を書いています。 とても難しい病気だし、予後のケアが難しいと言っていました。 「姉だから、はっきり言ってあげる」 「一年後、生きているか難しいし、回復しても車いす生活になるか」 「一番良くて、杖をついて足を引きずりながら生活することになる」 病院の先生方は、気を使って優しく言ってくれる

          生存率5%以下の大病を経験した話⑨

          生存率5%以下の大病を経験した話⑧

          人工透析一般病棟に移っての治療は、毎日午前・午後のリハビリと、二日に一回の人工透析です。ICU-AWという状態のようで、筋肉がドンドンたんぱく質分解され、体外に排出されてしまいます。その量が多すぎて、腎臓がびっくりしてしまって機能停止しています。なので、その能力を補助してあげるように透析をするのだと説明してもらいました。  これから一生透析をすることになるのでしょうか? まずは、一般病棟に移って透析用のカテーテルを装着しなければなりません。バスキャスという槍のような50c

          生存率5%以下の大病を経験した話⑧

          生存率5%以下の大病を経験した話⑦

          ICUの光と影ICUの看護師さんには本当にお世話になりました。 食事がなかなかできなく、ずいぶん時間がかかっていましたが、根気よく付き添ってくれていた大野さん。これからのことを心配して、生活のアドバイスもしてくれた横山さん。娘の脱臼癖を治してくれていた森さんの奥さんもICUにいらっしゃって、世間は狭いものだと感じました。他にも多くの看護師さんに助けていただきました。 日中は薬の準備、確認作業。食事の介助。体を拭いたり、服を着替えさせたり。ヒゲまで剃ってくれていました。本当

          生存率5%以下の大病を経験した話⑦

          生存率5%以下の大病を経験した話⑥

          母親(おかん)母親が死んでから19年になりますが、一度も夢枕に出てきたことは、ありませんでした。その母親が怒った顔で、親指を立てた状態で 暗闇の中「目くそ!」って怒っています。 おかげで、川の向こう側に渡らずにこちらの世界に戻ってこれました。 特に夢を見たわけでも、感動的な再開をしたわけでもなく、ただただ母親に𠮟られて目覚めました。 小さいころに母親に叩かれたりはしませんでしたが、顔の前で親指を立てて同じように「目くそ!」って怒られました。家族をこのままどうするつもり

          生存率5%以下の大病を経験した話⑥

          生存率5%以下の大病を経験した話⑤

          治療開始足の手術から二日後 本格的な治療が始まりました。 相変わらず、お城のような沢山の機械に囲まれながらですが、少しずつ回復に向けての治療が始まりました。  2日に一回人工透析とリハビリです。あとはいろいろな薬を左右から点滴でぶち込まれます。 透析は4~5時間かかります。気分も悪くなるし、とにかく体が冷えます。自分の血が外に行ってキレイになって戻ってくるのですが、電気毛布を使っても氷の国にいるかのように冷たいのです。終わるとその日一日は何も考えられません。グダグダです

          生存率5%以下の大病を経験した話⑤

          生存率5%以下の大病を経験した話④

          娘 娘は中学3年生 3か月後には、高校受験を控える身です。その娘に告げなければならない話があります。それは、高校を諦めてもらうことでした。 指が少し動くようになり、意思を伝えることができるようになって、妻と今後のことを相談しました。わたしは、小さな町工場を営んでいて、仕入れ・販売・配達・メンテナンスほとんどの業務を自分一人で行っています。とても仕事を続けることは無理そうです。ですので会社をたたむしかありません。  収入の道が途絶え、生活がままならなくなる状況では、そう告げ

          生存率5%以下の大病を経験した話④

          生存率5%以下の大病を経験した話③

          再手術大動脈解離の手術は15時間かかりました。 胸骨を割って開いて、人工血管に置換する手術です。 執刀してくださったのは、横山先生 横手先生 黒田先生です。たぶん 患者はまさしくまな板の上の鯉状態で、後から教えてもらった情報で知りえた先生です。命を救っていただきありがとうございました。 手術後目覚めてから、意識はあるのですが反応できません。緊急で手術をして、なんとか命をつないだのですが②でも書いたように左膝から下に血液が流れていない状態が長時間あったため、ふくらはぎと

          生存率5%以下の大病を経験した話③

          生存率5%以下の大病を経験した話②

          目覚めたのは、手術から3日後でした。 夢やお告げはなにもなく、真っ暗な闇の中まずは人の声が聞こえてきます。上の姉と妻が話す声が聞こえ、日常の対応を話し合っていたのようで、慌ただしい雰囲気の会話です。そして、ゆっくりとですが目を開けます。ぼんやりと光に包まれた霧の中のような不思議な空間にいるようです。 目を開けると、妻と姉が見えます。二人はまだ気づいていません。相変わらず慌ただしく話し合っている二人を眺めていると、妻が目を開けていることを気づきました。 「わかる?よく頑張

          生存率5%以下の大病を経験した話②