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生存率5%以下の大病を経験した話 完

退院

松葉杖をつきながら、数十メートルは歩けるようになり、お風呂もトイレも自分で出来るようになった頃、退院して自宅に帰るか、リハビリ病院に転院してもう少し入院するか悩みました。
 未だ自分の身の回りのことは手伝ってもらわないと不安が大きく、もし転倒したりして骨折したら本当に寝たきりになってしまいます。

退院して自宅療養
家族に負担はかかるが、自分は淋しくない。お金もかからない
リハビリ病院に転院
生活のリズムをつかむまで手助けしてもらえる。転倒など不安解消

よろずやさんに相談して、最終的に転院せず自宅療養を選びました。
年末年始を一人病院で過ごすのは、やはり淋しさ100倍です。

主治医の黒田先生もクリスマス前には自宅に返してあげたいと、日頃から言っていましたが、自分の体の状態を考えると無理だと思っていました。けれど帰りたい・・・。なので、症状を聞かれてもウソついて良く見せていました。本当は少し動くと白目剥いて倒れていたんですが、帰りたい一心で無理してました。
 その甲斐あってなのか、退院が12月21日に決まりました。
(本当は、症状などは正直に話すべきだと思います。)

帰宅の様子 動画

改めて見ると、やはり精神的にきてるのか、後頭部にハートの形のハゲができています。これで何かいいことがあればいいのですが、まったくありません。けれどこの時の私は、自宅に戻れたことがこの上のない喜びでした。
 突然 大動脈解離で倒れ、一ヶ月生存率が5%以下だと言われて、一ヶ月半で自宅に戻れました。ここでこれまでの話をまとめさせていただきます。

まとめ

NOTEというプラットフォームと出会い、一度自分を見つめ直す目的もあり倒れてから退院するまでを書いてみました。拙い文章でも文字として自分に起きた出来事を書き出してみると、奇妙な感覚になりました。
 一つ一つの出来事が、悲劇の連続として見えますが引いて全体を見てみると、喜劇のようにも見えます。

 この話をいつか私の子供が大人になった時に見て欲しいと思います。

 私は子供の器を、夢や希望で満たしてあげたいと思っておりました。けれど、突然病に倒れその器は不安や絶望が注ぎ込まれてしまいました。病気になり一番悔しく情けなかったことがこの事でした。
私が倒れて生活がままならなくなってしまう。これから大いに世の中に羽ばたこうとしている子供達の未来を潰してしまう。

私たち夫婦のもとにきっと自ら選んできてくれた子達を不幸にしてしまうのか・・・。

しかし、私たち夫婦を救ってくれたのも子供達でした。

娘は進学を諦めなければならない状況下で、自ら努力する道を選んで志望校のランクを一つ上げて受験する事決めました。
息子は自分の事は自分ですると決め、自主練を開始しました。

子供たちが前を向いているのに、親が下を向いているわけにはいきません。

子供の生き方はだいたい親譲りです。

私はきっとそれほど長生きはできないと思います。けれどその日は、1年後になるのか、5年後か10年後かわかりません。いつ来るかわからないその日を怯えながらむかえるよりも、一日一日を大切にして、最後は前のめりで倒れようと思います。私の歩む後姿が遺書替わりです。

人生を背中で語れるカッコイイ「とーちゃん」になりたいと思います。

これまで私の文章を読んでいただきありがとうございました。

これからも治療や手術がありますが、↑で書いたような
「とーちゃん」になりますので、これからもよろしくお願いします。


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