神奈備一鷹 初期短篇集
クロッキー帳
引用
相田隆太郎『互先碁の打ち方』(大泉書店 1966)より抜粋、一部改変。
「詩を覺えたいんだけどむつかしくてどうも」
と嘆く人を時々見ます。
さういふ人に向かつて私はいつも
「子供の言葉の遊びを御存じですか、詩はあれと似たものです」
と答へるのを常としてゐます。
詩は、入り易く、出難いものです。
「たしかに出難いけれどなかなかに上達もしない」と嘆く人もありますが、それも間違ひです。
その証據には十二や十三の子供が素人詩人とうたはれる例が澤山あるではありませんか。
独白
彼女の口唇の動きを見、何かを言い終わったことを証す真一文字の口、そしてうなずくあごをも見、ぼくは彼女から伝えられた音のない言葉に対して返答をしなければならなかったがかいもく見当もつかなかったのでぼくにできうること返すべきぼく言葉はつまるところ疑問や、それをふまえての再演の要求や、なぞにつつまれているいまのぼく自身を大げさに強調しぼく自身をまた演じ直すことや、それに準ずる細やかなぼくの表現でしかない。とにかくぼくは何らかのリアクションを求められているのだ。わからないからしようがないよというようなひらきなおりや、無視や、シュールレアリスムを持ってきて自分でも把握しきれず舵取りもできない状況を作ったりすることはやぶさかでないし、禁じ手としてきたことだった。単純にこうすれば良いことはわかってはいる。首を横に振れば良い、それだけで良い。事実ぼくはそれをした。彼女は笑みを浮かべることなく浮かべ、「もう教えない」と口に出した。大切なことかも知れないし大切なことじゃないかも知れないが、彼女の反応を見る限り決してすべてが悪いことではなかった。道があるのだ、確かな何本かの道、いまたくさんの道が閉ざされてしまったとしてもなお。
受話器
「もしもし?」と、彼女はもりあがらない低い声量で言った。
「もしもし」と、ぼくは取り繕ってない風を装って、まるで確信に満ちているかのような声音で応えた。
怒りの源泉
波立つ。「おだやかじゃないな」と彼女は言った。ぼくの前の可視範囲が小さくなって、目の前に見えるものが部分でしかなくなり、筒から覗いているような感じがして、全体なんてわらないから、見えるだけの小さな部分を、必死になって、眼球忙しく廻してはじめてまわりを知った。動きが雑だ。マルボロが見える。クジラ肉を揚げたものが見える。あとで見たらそれはかじられていた。電球、電話機、彼女のケータイ。ケータイはピンク色だ。物をこわしたい。自分の手で足でこわしたい。自分をこわしたい。自分がぶよぶよして、汗っぽくて、脂っぽくて、こわしにくく、がしゃんと、ぺちゃんこにならず、嫌だ。彼女が帰る時にはコンドームでもプレゼントしてやろうかしら、と、思った。しかしそれが最も実用的な物だろう。これもこわしにくく、きわめて人に近い。
深夜
「のどから手が出るほど欲しくなるものって、なあに?」
そうだなあ、うーん、と、考え始めそうになった。一瞬で、考えることをやめた。考えないと答えの出ない共時的な声の質問には答えないと決めている。それに従った。
「ねえ、のどから手が出るほど欲しくなるものって、なあに?」
と、もう一度言うのを聞いてから、静かに受話器を置いた。窓が開いていたから、風が吹き込んでいた。なるたけ静かに窓を閉めた。少し、音が鳴った。風の音も窓を閉める音もなくなった今こそ、やっと、自らの主義とやらを捨てて、じっくり答えを練ろうと思うことができた。ぼくは眠った。
メラメラと
女は不在の椅子のとなりにあえて座り、「よく生きたね!」と声をかけた。空白の椅子には過去、毛のびっしりと生えたかわいい熊のぬいぐるみを置いたりもしたものだった。女が自ら座ることは一度もなかった。「私もこれからずっと生きていくことができるものだろうか」と女は自問した。「ねえ」と声に出し、そして声が詰まった。女はじっと考えている風だった。幸せな物語をなぞるかのように、女は魂の乗るその椅子に両肘を滑らせていった。
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