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〈大嫌いな母が死ぬということ〉  ~後編:虐待って一生~

母からは酷い虐待を受けて大嫌いだけど、母に対してドラマに出てくるような、私の理想の母を求めてもいました。
冷静な時の母は面白いことも言うし、よく褒めてくれていました。
でも自分の話ばかりで、私の話はあまり聞いてくれません。
今思えばですが、理解してほしいと思っていました。

大人になってセラピーをしていた時、
生まれて初めて死にたいと言えたことがありました。
本当はずっと母に言いたかったのかもしれません。
お母さんに受け止めてほしかった。
でも、死ぬべきは母で、私が死にたいわけがないと、幼いころからずっと虚勢を張って生きてきたのです。
私の場合、その虚勢を張っていなかったら死んでいたと思うので、
頑張って虚勢を張っていた自分、ありがとう!なのですが、
死にたいって言えない自分もずっと苦しかったのでしょう。

でもセラピーをして、友達とそのお母さんに死にたいって気持ちをぶつけることが出来た。
自分でも知らず知らずにずっと抱えていたその気持ちを二人が受け止めてくれたことで、
あぁ、母じゃなくてもいいんだな、誰か聞いてくれる人がいるって幸せで、
たとえ母じゃなくてもこんなに癒されるんだなって実感できたことがありました。
その出来事の後から母に依存せず、自分の道を歩みだしたような気がします。

そんな私にも、とうとう母の死が迫ってきました。
恨みが薄らいだとはいえ、
きっと母が死ぬときは嬉しいだろうなぁって思っていました。
でも違いました。
人並みに、母の死が悲しいなと思ったのです。
もちろん、母から解放されると思うと安堵感のようなものもあります。
でも、悲しいと思ったのです。
何故だ自分・・・
とても混乱し、体調を崩しました。

そうして寝込んでいるときに心に浮かんできたのは、感謝でした。
とにかく酷いことばかりだったけど、産んでくれたことはありがとう。
産んでくれなかったら今自分はここにはいない。
今、自分の人生を歩みだして、なんだかんだ幸せな自分はここにはいなかったんだ。
なんだか自分の気持ちはよくわからないけど、
とにかく溢れてくる思いを、ただ、眺めてみよう。
母が亡くなった後、また混乱して倒れるかもしれない。
そのときはそのとき。「今はわからない」でいいや。
そう思えたら、ちょっと体調がよくなってきました。

といっても、虐待を受けたらこうやって一生苦しむんですよね。
私は結婚前に、一度母と和解したのです。
自分がしてきたことを泣いて謝ってくれて、私も受け入れました。
でも、その後もフラッシュバックが酷くて、
結局母と離れました。
離れてからも、後ろめたさとかで頭の中がぐるぐるになって、
寝込んだり、治療したりの日々です。

だから私は虐待をしない。
その連鎖は私で断ち切る。
私は私の人生を生きる。
母は自分の人生を生きたのかなぁ。
病気に振り回された人生だったよなぁ。
でも、私は母に産んでもらってよかった。
それだけは伝えたい。

(前・後編の長い文章を読んでいただき、
ありがとうございました。)

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この投稿を編集している現在、すでに母は天国に逝きました。
それについても掲載したいなと思っています。
またよろしくお願いします😃



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