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〈大嫌いな母が死ぬということ〉  ~前編:全部母のせい~

大嫌いで、幼いころから早く死んでほしいと願っていた私の実の母親が、
最期の時を間近に迎えています。
末期の皮膚がんです。
母は強迫性障害という精神の病があり、
私が幼いころから、常に手足を洗っていました。
いつも手足がただれて赤く腫れあがっていたので、
皮膚がんと聞いたとき、納得してしまいました。
(医学的根拠はわかりませんが)

手足を洗うだけでなく、彼女のルールでの汚いものは排除されていたのですが、
そのルールが私と父には区別がつかない。
部屋は掃除もせず物が溢れているけれど、
トイレは「汚いもの」なので物は置かず、トイレットペーパーすら設置しない。
「巻き込み型」と言われる症状で、私と父にもその難しいルールを強要していました。
トイレに行く前に決められた部屋までトイレットペーパーを取りに行きます。
お腹が弱い私は、その部屋への往復途中に痛みに耐え切れず、
失神したこともあります。
母からお使いを頼まれて、牛乳とジャガイモを一緒の袋に入れて帰ると殴られました。
ジャガイモは土がついているから「汚いもの」で、牛乳と一緒にしてはいけないというのです。

それは一例で、朝から晩までおかしなルールの中で生活していました。
そこまでしてどうしてそのおかしなルールを守るの?と思うかもしれませんが、
守らないと母は別人になり、私は激しい暴力、暴言に遭います。
そんな母に父は暴力を振るうので、いつも家の中がめちゃくちゃでした。
母を殺したら楽になるけど、こいつのために犯罪者になるのは嫌だ、
早く死んでくれ、消えてくれ、と毎日一人泣いていました。

強迫性障害の診断が下りたのは、私が出産してからなので、
それまではずっと訳も分からず振り回されていました。
ずっと診察を拒み続けた母。その期間は長すぎました。
診断が下りたことで病気への対応の仕方を知ることはできましたが、
もう幼いころから母には恨みしかなかったので、
冷静に対応することはできませんでした。

診断が下りるまでは、恨みしかない、大嫌いな母でしたが、
病気だとはっきりして、病気の人を恨んで憎んでもいいのか、私は混乱しました。
そして母の声を聞くだけでも体調を崩すようになり、
父からの勧めもあって、私は母に会うことをやめました。
周りの支えもあり、実の母だけど恨んでも大嫌いでもいいんだと、
自分を受け入れることが出来て、体調がよくなっていきました。

とはいってもやはり体調に波はありました。
そのため、セラピーや勉強会、自助グループなどで癒され、そして自分の心を整える方法を学びました。
そうしてどんどん自分らしさを取り戻していきました。
自分で家族との関係に悩む人のサロンも始めて、
そこで話をたくさんしたのも、回復につながりました。

そうするうちに、母への恨みが薄らいでいき、
あんなに嫌いな母なのに、私はそんな母に依存しているんだなと気付きました。
こうして具合が悪いのは母のせい、と、なんでも母のせいにして、
自分の人生を歩んでいないと気付いたのです。
以前読んだ本に、
「虐待されて恨んでいた親が死んでしまうと、ものすごく辛い。
だから生きているうちに恨みを手放せるといいと思う。」
と書いてあって、恨んでいる人が死ぬんだから万々歳じゃん、
と思い、全く理解できなかったのですが、
今こうして母の死を目の前にすると、
恨んだままで、依存にも気づかないでいたら、
母が死んだあとは、起こる悪いことを母のせいにもできず、
母の人生を歩んでいた私はどうしていいかわからず、
ものすごく混乱したかもなと感じています。

(後編に続く)



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