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元少年Aに出会って。。

春休みに図書館からたくさんの本を借りた。最初から最後まで読めたのはこの一冊だけだった。本当は1ページ目から最後まで一気に読み終わりたかったが、他の用事で、途切れ途切れに読んでいたら、一カ月も経った今日でやっと読み終わった。とはいっても、実は残り三分の一のところでは、読み終わるのが悲しくなって、でも続きが知りたくて、読みたいけど読み終わりたくないという気持ちで最後を迎えた。

この本を知ったきっかけは、YouTubeで「少年A ~神戸児童連続殺傷事件 被害者と加害者の20年~」というドキュメンタリーを見たことだった。それまでは事件についてはまったく知らなかった。もともと若者の犯罪心理に興味があって、そしてドキュメンタリーの中で表された少年Aに関するいくつもの謎(例えば、なぜ突然身元引受人の方から姿を消したのか、なぜ父親だけに会って、母親に会わなかったのか)を感じたので、番組で彼が本を出版したのを知ってから、すぐ図書館の所蔵検索ページで検索した。

本自体は社会復帰を境に二部に分けているようだが、全文を読んだ私には三部があるような気がする。つまり、逮捕されるまで、自由を失った日々、社会復帰してから、の三部。いずれも自分には想像のつかない、人間の本質まで触れるほどの重たい内容だと感じた。全てをかけて書いたようなものに対して口出すのは彼にはとても失礼なことだと思っているから、何を書けばいいか迷っていた。そこで、自分が最も感情的になった部分について自分の考えを記録しておきたい。

社会復帰後の部分は涙と鼻水と共に読んでいた。自分は人に深く傷つけられてからは、「だれにも頼らず一人で生きられないのか」とぼんやり考えていた。でもそれはぼんやりと考えているだけで、現実には親からお金をもらっているし、バイト先の仲間や研究室の先輩たちに助けてもらっている。

一方、彼は本当に「一人で生きていく」と決めて、そう実行していた。家族に離れて暮らし、職場で必要以上に人と仲良くしない。頼れるのはお金しかない。幸せになる資格がない。本当の自分は人殺しの汚らわしいものだ。と思って生きている彼がどれほど苦しんでいるかを想像すると涙が止まらなかった。本当の「一人で生きること」はこんなに大変だなと現実味を感じた。

そのときに、同時に読んでいる平野啓一郎さんの「私とは何か『個人』から『分人』へ」の内容を思い出した。

もし彼は「分人」の概念を使って、過去に向けての「分人」と、現在に向けて「分人」を分けて考えられるならどれほど楽になるだろうと思ったりしたが、取り返しのつかない過ちを犯してしまったから、世論的にはそう簡単に「分人」させられないし、彼自身も自分が「分人」してしまうのを許さないから、苦しんでいるだろうと思った。

元から罪を犯した人を一方的に批判するのができなかった。なぜなら、「加害者」になる前の彼らは実は「被害者」でもあったから犯罪をしてしまったのではないかと思っているから。批判ばかりしても悲劇の循環から抜け出せないのではないか。

十字架を背負いながら、社会に適応して生きていく彼から生きる勇気をもらった。

2019/04/07 17:56

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