こけらいふ vol.3 傲慢であること

思えば、ずっと昔から、人からの好意を享受しているのが当然のように思っていた。

自分は人を選ぶ側、自分は誰かの好意を取捨選択する側にいたいと思っていた。

昔自分のことを好きだった人の好意が、もう自分には全く向いていなくて、相手がただ自分のことを都合の良く利用できるかどうかを確かめているのをみたり、全く別の誰かに惜しみない愛情を注いでいるのを見たりするたび、自分の傲慢さに気づく。

自分が傲慢であることを、よいこととも悪いこととも思わずに、ただそういうものだと観察して、許せることも許せないこともこの世にはないものと知る。

自分に許された行動の範囲を考えて、自分は傲慢でいてはいけないのではなくて、いたくないのだと知る。人に自分の感情に踏み込まれること、自分の内側に入り込まれることが嫌で嫌で仕方がない。自分が開示してもいい と思っている以上の自分を相手に知られないようにしている。

許すも許さないもしたくないというのはやはり、自分が自分の本能にあらがう感情で、無意識のうちに いかにも自然に他者を見下す自らの心のありようが許せない、その許せないというブレーキの利きが悪いとき、自分でも他人でも 修理しなければと思う。

傲慢で、身勝手で、でもただそれだけで、いいも悪いもないのに自分という個人がその傲慢さに対してどうしても逆らいたく、勝手に構えた盾にどんな大義名分を書き込むかということを悶々と悩み続けているだけ。

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