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私の昭和歌謡

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昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。 でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。 だから、昭和人…
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#美空ひばり

私の昭和歌謡100 東京キッド 1950

私の昭和歌謡100 東京キッド 1950

占領下。いきで、おしゃれで、ほがらかな映画に驚く令和の夜

私の昭和歌謡100回目となりました。

私が生まれる少し前の映画を語ります。

日本は1945年から1952年の7年間、米国の占領下にありました。

「東京キッド」はその間につくられた映画です。そして、13歳の美空ひばりが同名曲をこの映画の中で歌います。

病気の母と子が寄り添うように暮らしている。そこへ、放蕩の末アメリカに行ってしまった

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私の昭和歌謡66 悲しい酒 1966

私の昭和歌謡66 悲しい酒 1966

悲しみを歌うはギターか三味線か和洋折衷日本の演歌

私は、生前の美空ひばりの歌に全く興味がなかった。
ごめんなさい。ひばりさん。今は違います!

もちろん曲は全部知っていました。有名歌手のヒット曲を私が口ずさまないはずはありません。

私が初めて彼女の歌に心を揺さぶられたのは、息子がきっかけでした。
今は社会人の息子が大学の時、モノマネYouTubeを一緒に見たんです。

曲は「愛燦燦」歌手は、青

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私の昭和歌謡25 川の流れのように 1988

私の昭和歌謡25 川の流れのように 1988

Adoじゃない七色の声亡き後も昭和の歌姫未だ健在

テレビが登場してから、そこに登場するものは何でもよかった。テレビというものが楽しかったからだ。

「鉄腕アトム」は何で夕飯時だったんだろう、とダンナはボヤく。

お茶碗と箸を持ったまま、土間から座敷をのぞく。父親から「ちゃんと食べてしまいなさい。」今と違って「当時は、その時間しか見れないのになぁ。」へへへ、私の家は、食事の部屋にテレビがあった。

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