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私の昭和歌謡25 川の流れのように 1988

Adoじゃない七色の声亡き後も昭和の歌姫未だ健在


テレビが登場してから、そこに登場するものは何でもよかった。テレビというものが楽しかったからだ。

「鉄腕アトム」は何で夕飯時だったんだろう、とダンナはボヤく。

お茶碗と箸を持ったまま、土間から座敷をのぞく。父親から「ちゃんと食べてしまいなさい。」今と違って「当時は、その時間しか見れないのになぁ。」へへへ、私の家は、食事の部屋にテレビがあった。

そのテレビで、洋風の歌手が、洋風のメロディーを歌うのが好きだった。だから、美空ひばりはNG  「どこがいいんだろう。この歌い方気持ちわる」って思っていた。ごめんなさい。

ところが、結婚して、子供が産まれ、その子が高校生ぐらいになると、YouTubeなるものが現れたんだ。なんて素敵な動画配信の時代。

ある日、息子が「ほんと、上手だなぁ」と観ていたのは、美空ひばりの「川の流れのように」だった。二人で聞く。

こんなに心を打つ歌声に気づかなかった自分。恥ずかしくなってきた。

そうだろうか?いや、違うぞ。この曲が昭和の最後の年に作られたからだ。

作詞秋元康、作曲見岳章。私と同年代のコンビである。

私が子供の頃聞いたひばりさんの歌は、「真赤な太陽」ぐらいしか歌った記憶にないし、歌えなかったからだ。あまりにも技巧的で、演歌っぽい節回しで歌えなかったからだ。

平成も半ばになって、ようやく私はひばり節と向き合うことになった。本当にうまい。ほれぼれする。

ひばりさんは、歌が大好きなんだと思う。そして、私が知っている昭和のひばりさんは、何十年も歌い続けて、この歌唱力を身につけたんだ。その集大成が、この曲、そして「愛燦燦」だということ。

私は、ひばりさんの艶のある低音も出ない。時々入るお茶目な声色も出せない。急な裏声の高音はなおさら無理。でも、こんなに歌が好きな私が、あれほど一緒に歌いたいって思わなかった、ひばりさんの曲。

今は令和だ。昭和の歌姫の笑顔に魅せられて、しらずしらず、口ずさんでしまう。


【参考資料】


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