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私の昭和歌謡

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昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。 でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。 だから、昭和人…
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2024年2月の記事一覧

私の昭和歌謡86     スイートメモリーズ 1983

私の昭和歌謡86  スイートメモリーズ 1983

ペンギンが歌う姿の可愛さに懐かしい日々若き日の恋

昭和58年に、私はやっと27歳の新採用教員となった。

子供が好きとか、教育に興味があったとか、強い想いがなかったので、大学を卒業してから、叔母が紹介してくれた高校の非常勤をやりながら、毎年試験に落ちていた。

結婚相手はいた。その将来の夫が「音大なんか出て、一番いい仕事は公立学校の教師しかない。お前、それに決めろ。」と言う。だから、そうした。

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私の昭和歌謡85    寒い朝 1962 

私の昭和歌謡85 寒い朝 1962 

松茸は舐めてくわえてまたしゃぶりさゆりのファンものけ反る一句

女優や文士が参加した句会で、「色っぽい句を詠む」というテーマが出されたときの一句。当時20代。

松茸は舐めてくわえてまたしゃぶり

この句の作者は、吉永小百合だ。おお!

早稲田大学第二文学部の卒論のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネの民主制について」

そして女優で歌手でもある。

「寒い朝」は自身の

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私の昭和歌謡84   ひなげしの花 1972

私の昭和歌謡84 ひなげしの花 1972

活動も歌も全てが金のため可愛い顔で世渡り女王

まあ、現在のアグネス・チャンのことを思うと、気分が悪くなるので、かつて17歳のデビューの思い出を語りましょう。

アグネスは、カトリックの聖人です。

私の実家はカトリックだったので、洗礼名はアグネス。13歳で殉教した、美しく聡明な女性なので、その洗礼名をつけてくれたのは、うれしかった。

そして、アグネスという芸名の歌手がいることにも興味を覚えまし

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私の昭和歌謡83   なみだ船 1963

私の昭和歌謡83 なみだ船 1963

ゴスペルもジャズシンガーも真似できぬ日本の民謡演歌のこぶし

「歌い出しの8小節で決まる」と作曲の船村徹は言った。

なるほど!

この歌は、こう始まる。

🎵なーーーーーみだぁのーーーおぉぉぉおーーーー
 おわりの ひとしーずくーーーーーー🎵

これって、よっぽどの喉と音程の良さ、民謡の節回しができなければ歌えない。この冒頭を歌いこなせた歌手を、私は知らない。

のど自慢の人は、ぜひ真似して

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