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「色を仕事にする」ということ。

こういう不安定でこの先どうなるかが見えない情勢になり、一度立ち止まってこれまでのこと、これからのことを考える時間が増えました。
まあ、この騒動が起きる前から、もはや不安定で不確実な時代になっていて、コロナはそれを決定づける出来事だっただけのようにも感じます。

自分の頭の中の整理の意味も込めて、これまでのお仕事を振り返り、改めて自己紹介をしてみたいと思います。

わたくし、co+の鷲見と申します。
「コプラス」の「スミ」と読みます。
フリーランスで、インテリアデザインとフラワーデザインの仕事をしています。

フリーランスになって17年・・・本業だけ取り上げても、

ネイリスト

カラーコンサルタント(イメージコンサルタント)

インテリアデザイン・フラワーデザイン

と変遷してきました。

これらの職業、すべて「色」つながり
「色に関する仕事がしたい」との想いから始まり、流れ流されここまでやってきました。

常にいくつかの仕事(全く業種の違う)を掛け持ちしてやってきたので、職務経歴書とかが非常に書きにくい職歴の持ち主です。
せっかくなので、年表にしてみました。
ピンクは美容業界、グリーンは副業系(複業と言った方がピッタリくるかも)、ブルーは現在のインテリア・フラワー系のお仕事です。

年表

ネイリスト時代

大学時代に色彩について学び、「色の仕事をしたい」と思うようになりました。
大学を卒業したのは、いわゆる就職氷河期のどん底の年。
「会社員ではない働き方がしたい」という漠然とした気持ちを持ちながらも就活しましたが、結果は全滅。
すったもんだがありながら卒業研究を無事提出した後、卒業間際からネイルスクールに通い、半年後にネイリストになりました。
ネイリストって、今でこそ女子高生の「なりたい職業」にランクインするような仕事になりましたが、当時は大学のゼミの教授や先輩方に「ネイリストになります!」と言っても「ネイリストって何?」「何する人?」と言われるような時代でした。

職業としてネイリストを選んだのは、色の仕事をするにも「色+α」の何かがないと仕事として成り立たなかったから。
+αとして思いついたメイク、インテリア、ファッション、デザインなどの中から、興味があって、できるだけ短期間でスクールを卒業できるのがネイルだったんです。
ネイルを一生の仕事にするのではなく、5年くらいやったら次のステップに進むつもりでした。

ネイルサロン⇒美容室と約3年のサロン勤務の後、フリーランスのネイリストになりました。
実はその当時、もう1店舗経験してからフリーになろうと思っていたのですが、友人に「どうせフリーになるつもりなら今なれば?食べていけなくなったらまた勤めればいいじゃん」と言われて。。
不思議なもので、それから17年ずっとフリーランスでいます。

ここ数年の副業ブームで、今でこそフリーランスってニュースでも普通に聞くワードになりましたが。
私がフリーランスになった当時は、フリーランスってヘアメイクとかカメラマンとか「手に職」系のお仕事に限られた働き方だった気がします。

フリーのネイリストになってからは、ウェディングの仕事に携わり、花嫁さんのネイルチップを作ったり、結婚式前日の花嫁さんにケアカラー&アートをしていました。
この頃は、今みたいなジェルネイルはまだなくて、普段からネイルサロンに通うのは芸能人か水商売のお姉さんか、お金持ちのマダムくらいで。普通のOLさんは自分や友達の結婚式など特別な日だけネイルをする(サロンに行く)という人が多かった時代です。
私が担当した花嫁さんたちも、「ネイルしてもらうのは初めて」という方が多かった。
花嫁さんたちから、幸せオーラをあやかるはずだったんだけどなぁ・・・(遠い目)

カラーコンサルタント時代

フリーランスになった後、もっと直接的に色をあつかう仕事がしたいと「色の仕事」への熱が再燃して、カラーコンサルタントのスクールに通い始めました(その前に、オーラソーマ・カラーセラピーも学びました)。
カラーコンサルタントは、イメージコンサルタントとも言われますが、その人の肌色に合う色を診断・提案して、洋服やメイクのアドバイスをする仕事です。

スクールを卒業し、カラーコンサルタントとネイリスト両方の仕事をしていましたが、ネイルの薬剤で頭痛がするようになり、約6年でネイリストは引退しました(今、主流のジェルネイルはほぼ無臭ですが、当時主流だったポリッシュやアクリルスカルプは強烈なシンナー臭の薬剤でした)。

カラーコンサルタント時代は、個人のお客様のコンサルティングや、企業研修、イベント講演などのお仕事をしていました。
一般的な個人コンサルティングもしていたのですが、幼稚園・小学校受験用のお教室に通うママたちに研修をさせていただいた経験から、「お受験」に特化したオリジナルのカラーコンサルティングもおこなっていました。

また、この頃、ビジネスコンサルタントやWEBコンサルタントの方々と一緒に、コンサルタントチームを組んで活動をしたことも、私のキャリアの中では特筆すべき経験です。
中心となっていたビジネスコンサルタントS氏がプレゼンテーション研修を得意としていて、チームで企業や省庁の研修にのぞんだり、ビジネスメールコミュニケーションのテキストを共同執筆したことも。
このチームは「誰もがリーダーになり、誰もがお茶くみをする」というモットーで、縦ではなく横のつながりを大切にするチームでした。これからの企業・社会で求められる考え方のように思います。

このチームでの活動で、どういう考え方・切り口で社会を見て仕事をつくるのかを考え学び、今思うとすごく貴重な経験だったと感じています。
この話で記事が一つ書けそうなくらいですが、S氏が42歳の若さで急逝され、このチームは解散してしまいました。
S氏には仕事もプライベートなこともたくさん相談に乗ってもらいましたが、フリーランスとしてのあり方・心意気みたいなものを教えてもらい、彼に教わった最も大きなことはフリーランスでいる覚悟だと思っています。そして、当時まだ20代で、10も20も年下の小娘だった私を対等に、リスペクトをもって扱ってくれたチームのメンバーには感謝しかありません。

カラーコンサルタント時代の印象にも経歴にも残るお仕事は、2005年の衆議院選挙(いわゆる郵政民営化選挙)の際、野田聖子氏への刺客候補となった佐藤ゆかり氏の選挙ポスター撮影で、衣装のスタイリングをさせていただいたこと。
このお仕事をしたのも、本当に驚くようなご縁とタイミングでした。
その日、知り合って間もないヘアメイクさんと打ち合わせの約束をしていたのですが、そのヘアメイクさんにポスター撮影の依頼が入り、スタイリストも連れて今日打ち合わせに来てほしいと。
ヘアメイクさんから「スミさん、ちょうどいいと思って。できるよね?」とオファーをいただき、その日の打ち合わせをやめて二人で自民党本部へ撮影の打ち合わせに向かったのでした(あの、ニュースで良く映る所です)。
前夜に立候補表明したばかりで、お顔も存じ上げず、党本部の受付までご本人が迎えに来てくれたのに、失礼ながらも最初はご本人だと気づかなかったくらい急な出来事でした。
その翌朝が撮影。大きなトランク一杯にお持ちいただいた私服の中から2パターンをコーディネートし、メイクの色も「こういう感じで」とヘアメイクさんに伝えてメイクしてもらいました。
テレビ取材も入り、たくさんの人が入り乱れ、ただただ慌ただしく撮影が行われたのを覚えています。その日のニュースにちらっと映りました(笑)

co+に屋号変更してからは、インテリア・フラワーデザインの仕事を主としていますが、カラーコンサル・イメージコンサルの仕事もゆるゆると続けています。政治家や企業経営者などエグゼクティブの皆さまからのご依頼お待ちしております。

副業からインテリアの仕事へ

フリーランスになってから、ネイリストだけでは食べていけなかったので、副業でモデルルームの受付のお仕事を始めました。
最初は受付だけだったのが、事務もやるようになり(結果的にパソコンのスキルアップができた)、さらにはそのスタッフさんをOJTで指導するインストラクターにもなって。当時は派遣会社の社員かってくらい、週のほとんどをその仕事に費やしていた時期もありました。

不思議なもので、こんなに不動産の仕事にかかわっているんだから、ここでも色の仕事をできないかって思ったことが現在のインテリアの仕事に舵を切るきっかけに。

インテリアの初仕事は、いまいちイケてなかったモデルルームを何とかして、というアレンジの依頼。
その後、紹介などのご縁をいただいて、モデルルームのアレンジやコーディネートをしたり、美容業界にいたことから、美容室やエステサロンのデザインのお話をいただくことも増えました。
副業時代の知り合いの営業さんの紹介で、新築マンションを契約したお客様の設計変更業務のお仕事も5年ほど続けています。派遣の受付から始まって、立場を変え、この会社には長いことお世話になっています。

その他、新築オフィス共用部の家具コーディネートや住宅のリフォーム、変わりダネでは、ラブホテルの客室の改修デザインも経験しました。

サロンや店舗のデザイン、リフォームは、工事が絡む仕事ですが、当初、建築の知識はゼロ。
インテリアに関しては、独学というか現場で学んできました。その時々に必要なことを調べたり、職人さんたちに教えてもらったり。
今では、家具などのコーディネートのお仕事よりも、図面を描いたり材料を選定したり、工事のお仕事の方が好きです。
図面を描いたりプランしたものが、みんなの力で形になる達成感は、今までやってきた仕事の中でも最大級だと感じています。
普段入れない裏側(工事中のマンションの中とか)を見られるのもこの仕事の楽しみの一つです。

花の仕事

フリーランスになって時間の都合がつくことから、友人のご両親が経営する花屋を手伝うようになりました。
花束やアレンジメントの作り方などフラワーデザインの技術も、ひとしきりそこで学びました。
初めはただのお手伝いでしたが、インテリアの仕事をするようになってから、モデルルームに飾るアーティフィシャル(造花)アレンジを作る際に、花屋で学んだ技術が役に立ちました。「花屋を手伝ってて良かった」とやってきたことがつながる瞬間でした。

花の仕事は、インテリアの仕事の一部としてアレンジや壁面緑化などの制作をセットで受けることが多いですが、新築マンションのロビーにフェイクグリーンの大型アレンジを作ってというフラワーデザイン単独での(植栽屋さんとしての)ご依頼もいただきました。

アーティフィシャルフラワーやフェイクグリーンを使用したアレンジ・壁面緑化を得意としています。ご依頼お待ちしております。

また、アーティフィシャルフラワーを使ってアクセサリーを作り始め、Atelier co+のブランドでハンドメイドサイトに出店しています。
この話はこちらの記事でお話しましたので、ここでは割愛。


宅地建物取引士

宅地建物取引士を取ったのは、本業だけで食べていけず、副業で不動産関係の仕事に携わっていた時。
当時は、周りがみんな持ってるし・・・と軽い気持ちで取ったのですが。
今では不動産業の仲間と、競売物件を探したり、リノベーション・再販事業も企画しているのだから、人生わからないものです。

ムスリムフレンドリー美容室企画・プロデュース

コンサルタントチーム時代にご一緒したビジネスコンサルタントの方から、「ムスリム(イスラム教徒の)女性が東京で美容院に行けなくて困っている」という話を持ち掛けられました。
東京にはコンビニの数よりも多い美容室があるのにどうして?と思いましたが、話を聞いてみると「なるほど。確かに」と。ムスリム女性は夫以外の男性に髪を見せることはNGとされているんです(だからスカーフをかぶっている)。
東京の美容室はガラス張りで外から丸見えの店舗も多いし、男性スタッフも多い。外から、他のお客様からの目線を遮断し、女性スタッフのみで施術することが必要でした。

紆余曲折がありながらも、最終的には友人のヘアメイクさんが経営する美容室で、日本初の「ムスリムフレンドリー美容室」を始めることになりました。
個室対応のほかにも、ハラル対応(食品では知られるようになりましたが、アルコールや豚はNGといった決まり)でシャンプーなどの薬剤の成分も問題になり、メーカーを巻き込んで体制を整えました。
この企画は、お客様のドタキャンの多さが問題となり(国民性なのか)現在は休止状態になっていますが、東南アジアや中東、アフリカ、北欧からも(日本旅行に合わせて来店された)、多くの国の訪日・在日ムスリム女性に来店いただきました。

さいごに。変わらないこと。

長文となりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
「色を仕事にしたい」という想いからはじまった私のキャリアは、その対象が、爪→人→空間と拡大していきました。
ここまで書いてきて、表面上は取っ散らかってるキャリアだなぁと自分でも思いますが、「色」を軸として、やっていることの本質は変わっていなくて。

色のない世界はないから、「色で人をHappyにしたい」という想い。

ネイルが綺麗だと気分が上がる。
外見に自信が持てると前向きになれる。
心地よい空間で過ごすと笑顔になる。
きれいなものを見るといい気分になる。

「笑顔」や「いい気分」が増えれば、社会もちょっと良くなる。
対象は変わっても、このことは「色の仕事」を志した時からずっと変わりません。

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