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算数が苦手だった

子どものころ算数が苦手だった。
そう言う人の多くは、たいてい、つるかめ算でつまづいている。
鶴と亀が計なん匹いて、足の数の合計がなん本のとき、それぞれなん匹いるか?というやつだ。
鶴と亀が、xとyに置き換わったのが方程式だと、中学に上がって気づいた人は、それほど算数に苦手意識を持っていない。
ぼくはダメだった。
鶴と亀の、それぞれの個体数がわからないのに、足の数の合計が判明している場面が想像できなかった。

だって、亀は鶴の足元にいるはずだもの。
鶴の脚が勘定できるなら、亀の数も数えられるでしょ、そう思っていた。
だいたい、足の形がまるで違うのに、足の数の合計だけは判るって、どういうことだよ、と。
つるかめ算に出くわす以前に、算数に対する苦手意識が強すぎたのかもしれない。
いや、間違いない。
というのも、つるかめ算よりも前に植木算ができなかった。
意外と、この「うえきざん」のフレーズが通じないようだけれど、特定の直線を均等に分割するとそれぞれの長さはいくらになるか?あるいは逆に、いくつかの物を等間隔で並べたときの合計の長さを求める問題である。
例えば、100mの道路に電柱を等間隔に5本立てるとしたら、なんm間隔になりますか?てな問題である。

ぼくの答は、そんなの出せねーよ。
だって、電柱には太さがあるんだから、どことどこを測るかが明記されてないから、間隔は測れない。
それに、道路の両端に立てるのかどうかも問題文には書いてない。

それは屁理屈と呼ぶんです。
担任教師だったか、塾講師か覚えてないけど、抑えつけるように言われたのはよく覚えている。
それ以上反論できなかった後悔とともに。

じゃあアナタ、現場に行って電柱を立てられるかい、その情報で?
コンピュータシステムの開発を生業にするようになって、ようやく再反論のフレーズを思いついた。
ぼくはすでに30歳を越えていた。

どの時点からか判然としないけれど、ぼくは現実的に考える癖があって、算数の問題に対峙するときも現実世界で捉えようとしていたのだと思う。
あのとき、「中心どうしで考えるべきです。なぜなら、太さが明確でないということは、太さがまちまちである可能性があるからです」と「『~の上に等間隔』は両端にも存在していないと等間隔とはいえないでしょう」と教えてくれる人がいたら、ぼくの人生は変わっていたであろう。

スマホで数独を解きながら、そんなことを考えていた。

数独の回答速度が速くても、生活に役立つことはない、たぶん。
おそらく、数学に興味をもって取り組んできた人は、数独はやらない、退屈なので。

もともと数学は現実社会で生かされる学問ではない、と数学者が書いた文章を読んだ気もする。
ただ、数学的な考え方、つまり、論理的な考え方は数学で培われると、ぼくは思う。

ぼくは、培われる前に否定された。
それはつまり、ぼくの素養が否定されたことに他ならない。
「キミは数学にセンスのある人だと思っていたよ」
と、高校の同級生に言われたとき、ぼくは50歳になっていた。

算数をやり直す余裕は、ない。

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