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私がWebのデザイナーになった理由①(夢見る時代)

これからWebデザイナーやUI/UXデザイナーになりたいと思われている方には一切参考にならない経歴です 自信を持って 笑
人生わからないものだなあと思っていただけたら嬉しいです。

簡単にまとめると
アパレルメーカー数社(並行して音楽制作)→広告代理店→デザインプロダクション→制作会社→フリーランスのデザイナーが私の経歴です。
音楽制作は職業ではないので括弧内の言葉ですがこれが重要な伏線となっています。

子供の頃から絵を描くことは好きだったのですが、美術や図画工作が特別に得意だったかと言うとそうでもありません。
野球やサッカーなどの外遊びや家で一人プラモデルを作ったりとごくごく普通な少年でした。
内緒で先生を題材にした漫画なんかも書いて友だちに見せたりもしてました。バレると怒られるやつ。

中学生の頃からギターをはじめて高校生の頃はひたすらバンド活動をしていました。
高校3年の夏が終わるまでは何も決めておらず漠然と「ミュージシャンになれたらいいなー」「国語の先生ってのも安定するかな?」「ファッションデザイナーもいいなあ」とまだまだ夢見る少年。
誰がどう見てもお前これから大丈夫か?の状態でした。

色々とチャレンジしましたが結局最後はその当時有名なファッションデザイナーを多く輩出していたアパレルデザインの専門学校を受験しました。
受験当日黒板に「倍率は7-8倍です」と書いてあったのを思い出します。
なぜ書いた?? 受験当日に。凹むよ 笑
デッサンや筆記試験がありましたが(まぐれで)合格。

アパレルデザインの専門学校は2年間、朝9時から夕方4時すぎまで月曜から土曜までほぼみっちり、デッサン、クロッキー、色彩、パターンメイキング、縫製、デザイン史など、家に帰ってからも平均5時間は課題制作。手を抜くと再提出になるので課題が山積み状態になります。
お金もかかりますのでちょこちょこバイトもしてましたが、とにかく忙しかったです。

人生であの2年間よりキツいことはいまだにありません。
あの頃に戻りたいとは絶対思いません 笑
ただ今の基礎をガッチリ作ってくれて、へこたれない精神力も同時に養ってくれた学校でしたのでとても感謝しています。

と言ったわけで最初のきっかけはアパレルデザインの専門学校でした。
長くなりそうなのでまた書きます。

続く。

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