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☆ 注意欠陥、多動性障害 それは問題なのか?個性や特性に過ぎないのか?多様でデコボコな私たち。

今朝Twitterを見たら
目を奪われる投稿があった。

ここで僕の旅は終わり。
もう苦しみたく無いし悩みたくも無い。
最後に日本一周出来て幸せだった、
楽しかった。 さようなら。


坪内幸汰さん22歳のツイートだ。
彼はバイクを愛し日本を2周した。

それに続く、Twitterにログインした
家族の感謝のメッセージもあった。

これまで幸汰がお世話になったみなさん
ありがとうございました、と。


そんなに簡単にログインできたの?
この一件そのものがガセネタでは?

そう思ったけど数日経って
いろいろニュースになっているので
本当のことなんだろう。

件のツイートにはダムを見下ろす写真と
注意欠陥、多動性障害の診断書の写真が
添えられていた。

ダムは僕の故郷栃木のダムだ・・・

日本を2周した若者が栃木のダムで
命を絶ってしまった。

もうひとつ目を奪われたもの。
それは幸汰さんが日本各地で撮影した
絶景の数々。

それが本当に美しい。

見たこともないような美しさ。

写真には撮影した本人が写る。

それは鏡や水溜まりに自分が
映り込んでいるという意味ではなく
自分の波動が映り込むということ。

幸汰さんはすごくピュアな魂の持ち主
だったんだろうと思う。

だからこそ彼の写真は息を飲むような
美しさを湛えている。

そして写真のセンスも素晴らしい。
素晴らしい構図で写されている。

そしてツイートの文章からも
彼の優しさ、謙虚さ、感謝を忘れない
人柄が滲み出ている。

幸汰さんは注意欠陥、多動性障害に悩んで
ダムに身を投げたということだが

バイクで日本を2周し
その間無事故無違反だった。

僕が過去に出会った人の中には
ドライブに出かけると1日1回は
赤信号に気づかず通過しようとする人

しょっちゅう事故を起こしているアメリカ人
などがいる。

こういう人は本当に注意して
運転してもらいたいけど
幸汰さんは日本を2周して無事故だ。

僕が宅配のアルバイトをやっていた頃
僕自身は幸い事故に遭うことはなかったけど
みんな時間に追われながら配達をしている
せいか事故を起こしてしまうことが
割と珍しくなかった。

だから幸汰さんは十分注意力があって
冷静な運転ができていたのではないかと思う。

そしてTwitterにはバク転をする
高校生時代の動画も投稿されている。

見事な動画だ。
マットではなく固い床でもできます。今はもう歳でできないけど。笑
とも添えられていた。

これらのことから
運動神経がすごく良くて
バイクに乗るのに十分な
注意力や集中力、判断力があり
写真のセンスもいい
ということがわかる。

さらにイケメンなのだ。

彼の注意欠陥、多動性障害というのが
どんな面に現れてどんなふうに
悩んでいたのかそれはわからないので
憶測でものを言うことはできない。

でも、わかっていることだけでも
こんなに素晴らしい22歳の若者が
(ツイートからも彼の優しさ、周囲への感謝の気持ちが感じられる)

これから生きていく道がない

生きていく術がない

というはずがない。


僕は悲しくなって
そして恨んだ。

こんな若者を追い詰めてしまうこの社会を。


僕は今まで
注意欠陥、多動性障害、グレーゾーン
と言われる子どもたちに会ってきた。

彼らは穏やかで、人懐っこくて
何も問題ないよねと感じた。

彼らがそういうふうに言われてしまうのは
興味のない授業をじっと座って黙って
聞きなさいと強制されるからだと思う。

僕だってそんな授業受けられないさ。

僕もとっても多動だ。

事務の仕事をやっている時は辛かった。
動きたいからしょっちゅうトイレに行ったり
アルバイトの人に頼んだらいいコピーも
自分で行ったりしていた。

今でも座ってやる仕事が苦手で
特に事務が苦手。

事務的な仕事は15分で飽きる。

あー、ダメだなぁ。
なんで集中できないんだろう

と昔は思っていた。

でも数年前にそれが自分なんだから仕方ない
と気づいた。

飽きたらすぐにやめて
また時間が経ったら少しやる。

すぐに飽きる。
の繰り返し。

それでいいやと思った。
それが自分なのだから。

例えばこういう文章を書くことは
集中できる。
自分が書きたいことだから集中できる。

1本のブログに3時間かけたりする。
(現に、今推敲中でここに戻ってきてるけどもう2時間近く書いている)

書き終わった時にはやっぱり
動きたくて仕方ない。

それで出かける。

子どもの時も今でも移動することそのものが
目的で毎日動き回っている。

自分は回遊魚だ、マグロだと思う。
マグロは止まったら死んでしまう。

だから学校でじっと座ってることなんてできない。

もう事務の仕事なんかできない。
イライラ、そわそわする。

子どもの頃なんとか学校に行けてたのは
当時の僕(たち)が鈍かったからだ。

こうしているしかないと、

学校に行かないという選択肢に
気づかなかったからだ。

今の子どもたちはもう進化していて
それに気づいている。

自分自身のことがよくわかっている。

興味のあること
やりたくないこと
がはっきりしている。

だからじっとなんかしてられないし
学校になんか行けないという子どもが
増えている。

もちろん行ける子もいてそれもいい。

でもそうじゃない子もたくさんいる。

問題は学校や勉強が合わない子じゃなくて
多様な子どもたちに対応していない
教育や社会のほうだ。

22歳で日本を2周した幸汰さんも
旅が好きで動き回るのが好きだった、
それは間違い無いだろう。

ということは多分
じっとしてるのが苦手な人だったんだろう
と憶測ながら思う。

注意欠陥、多動性障害

そんな障害はないというのが僕の持論だ。

それを障害だと言うのなら
僕は左足が麻痺しているという
下肢の障害のほかに
(それも実は障害や問題とは捉えてないけど)

多動性障害という障害まで
持っていることになる。

一方で医師が(たくさんの人を)
診断しているんだから
それはあるでしょうという考えもあるだろう。

そう言われれば、そうですねと
言うしかない。

僕は医師でも専門家でもないのだから。

ならば

それが何か?

ということだ。

幸汰さんがらみの話では
ADHDくらいで死ぬな
という若干無神経さを感じるものの
そういう診断、障害に対して
肯定的な考えを持つ書き込みに対して

ADHDの苦しみがわかってない

という当事者の反応もあった。

その人は本当に苦しんでいるのだろうが
それはどこから来るのか。

逃れようのない根源的な苦しみなのか。

多様な人間がいる中でマイノリティや
ちょっとできないことがある人間が
必要以上に自分はダメだと
生きづらくさせている”社会”から生じる
悩みなのではないか。

つまり本来は悩む必要のないことが社会的に

悩み苦しむ状況に追い込まれている

ということ。


天才と呼ばれる人にはたいてい
自閉的であったり、今この社会で言うところの
発達障害的な傾向があるという。

そしてそういう傾向を持ちながら
もちろん天才ではないという人もいる。

サポートが必要な人もいるだろう。

医者が障害と診断するのは
今の時点では仕方ないのかもしれない。

でも社会的には、障害だ、問題だ
生きづらいんだ、という捉え方を
変えることもできるはず。


僕は装具か松葉杖がないと歩けない。
それらを使っても長距離を歩くのは大変だ。

先日は歩きすぎて装具の靴ズレみたいなもの
ができて痛くて仕方なかった。

江戸時代の一般的な貧しい人間じゃなくてよかった。

馬も持ってない、籠に乗るお金もない。
そんな自分だったら家の周りでしか
生きられなかったはずだ。

今僕たちには
車がある。
電車や飛行機にも乗れる。

二十歳の頃には50ccのバイクで
栃木〜金沢、栃木〜佐渡島を旅した。

僕の足は医学的には障害だし
できないこと、不便なことも多い。
公的なサポートや身近な人のサポートに
対しては感謝している。

でもそのお陰もあって
困ってはいない。

嘆いてもないし、悲しんでもない。

これが自分であり、この体で生きていくだけだ。

一方で治したいとも思っている。

いれいはりきゅう院でも治す方法を聞いてきた。

治したいけど治らなくても
絶望するようなことはない。


今僕は毎日子育て本を執筆している。
僕の子育て、息子との生活や他の子どもたちのこと
教育に関して書いている。

ノウハウ本ではなく
ノンフィクションの物語だ。

この本を書く目的ははっきりしている。

子どもたちがその子の個性や特性そのままで
自由にやりたいことをやって
自分自身を認めて受け入れて
生きられるような社会にしたい

ということ。

そのままでOKな子どもたちを
こうでなくてはいけない
そこから外れるのは問題や障害という
価値観や教育から解放する

ということだ。


僕自身17歳から鬱になり
21歳でやっと抜け出せた。
その間前述したバイクの旅に出た。

多分に多動的で
鬱で孤独な人間は
旅に出るしかないのだ。

日常が辛いのだから。

幸汰さんは去年の終わり頃沖縄にも来ていた。

ということは多分僕の家の前も
通ったんだろうなと思う。

そんな、出会うこともなかったけれど
ステキなところをたくさん持っている
若者が死を選んでしまった。

本当に悔しい 😭

悔しくてしかたない。




今出ているForbesではダイバーシティ(多様性)について特集されていて、いろんな生き方をしている人が登場する。

マサチューセッツ工科大学の学生の大半は
自閉症スペクトラムだと言う伊藤穰一さん 👇


ほかにアスペルガーだけの会社なども
紹介されている。

みんな得意不得意があったりするし
デコボコしてるわけだし
どこか変だし
それが”普通”で

だからこそ面白いよね

という社会にもうシフトしたいよね。

この人生は障害物競争で
このカードで勝負するってことなんだ。

完璧な人間

問題が一切起こらない人生

一度も悩まない人生

そんなものがあるはずがない。


だって、それでも生きるってことに意味があって
ゲームと同じなんだ。

超簡単で誰がやっても目つぶってても
100%クリアできて
高得点しか出ないゲーム

そんなものはないし
あったって面白くない

そもそもそんなのゲームじゃない
誰もやりたがらない。

だから人生ってそういうことだよね。


幸汰さんにも

あなたは素晴らしい
何も問題ないじゃないか

って言ってあげたかったな。


(問題があるように思えても問題じゃない)



元のブログ
https://ameblo.jp/coomusic/entry-12767958096.html

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