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シンガポール移住

シンガポールは、日本人にとっては非常に住みやすい国

シンガポールで生活を始めるのは、欧米諸国と比べ、割と生活に入りやすい国だと思います。

シンガポール国全体で、推定日本人居住者数は、2017年の時点で36,423人と言われています。

日本の食材は手に入りやすいし、ラーメン屋さん、日本でも有名な日本食屋、ファミレスもあり、日本人医師のいる病院、日本人経営の美容院も多く、はたまた東急ハンズ、無印良品、ドンキ、そしてユニクロとダイソーは、大きなショッピングモールには必ず入っているのです! そしてあるショッピングモールは、テナントに日系の店舗が6店舗も入っていて、日本にいるのとほぼ変わりがないのです。

それだけではない、何かのサービスが必要になり探してみると、日本人の獣医、日本人のペットシッター、ハウスサービスなど、何でも日本人のサービスが見つかるのもすごいところ。そしてシンガポールの国全体は親日なので、日本人に対しては友好的でもあります。

毎年、多くの日本人がシンガポールに移住。しかし・・

そんなシンガポール、2000年を過ぎた頃から多くの人が渡航し、居住するようになり、同時に多くの日本のサービスや企業も進出してきています。そういった中、ますます日本人にとっては住みやすい国になっています。

そんな住みやすい国シンガポール、しかしその中にはどうしてもやむを得ず、短期間で帰国せざる得ない方も多くいらっしゃるのです。

①就労ビザがおりない

これはシンガポールに限らず、どこの国でもこの傾向が多くなってきていると思います。

②何故か連続で病気やケガをする

せっかく移住したのに病気がちになってしまわれてしまう方もいらっしゃいます。

③海外生活に抱く「ある姿」に完璧になろうとして、疲れ切ってしまう

こうである、という理想の海外生活や、その自分にしがみつきすぎてしまい、日本だとうまくいった環境や周囲と合わない。そのギャップとリアルに疲れ切ってしまう。

④文化に合わない

強気で、決して簡単には「ごめんなさい」を言わないシンガポール人、また自分でやらず、人にやらせる傾向にあるシンガポール人(決してすべてではありません)や、他外国人の癖に慣れることができない。

私はこのような方々の痛みや悩みを目にする度に、その痛みを絶対に忘れないようにと思って滞在しています。何かの縁があり居住させてもらっているこのシンガポール。この国に住むために、どれだけの人が夢や希望を抱いてやってきたことか、そこまでの過程は容易なことではなかったと思います。

そう書いている私でも、移住をあきらめた国は多くあります。台湾、アメリカ、オランダ、フィンランド。どれも縁がなく移住することはできませんでした。シンガポールに住む前に、絶対ニューヨークに行く、と思っていたアメリカは、未だにまだ大陸に足を踏み入れるきっかけがないほどです。台湾は、渡航する度にA&E(救急治療室)に運ばれたり、台風にあったり、交通事故にあいそうになったり。オランダはビザがおりず、といったように。在住日本人が本当に羨ましかった時期があります。そして自分の中での結果は「移住できなかった」。

でも、目に見えている結果がすべてではないのです。結果としては「移住できなかった」、しかしそこだけをジャッジされたくないし、自分もそうすべきではないと思っています。なぜならば移住するまでの過程や、悩んだこと、短い間でも出会った人々など、そんなストーリーは人生にとって大事な要素となっており、その次の幸せにつながる1つの大事な時期だったと思うのです。

その次の幸せにつながるとは?その話の前に1つのストーリーを。

そこで思い出す、ある1つのストーリー

そんな時に、私はアイススケートの浅田真央選手の話を思い出すのです。浅田真央選手は、アイススケート界の天才少女とされ、世界選手権では1位を3度も獲得、そして数々の大会で1位、2位を獲得するなど、オリンピックでも金メダルを期待をされる選手でした。

そんな浅田選手は、3度オリンピックを経験しています。

1度目は本人の絶頂期に、年齢制限で参加できなかったトリノオリンピック。2度目は銀メダルを獲得したバンクーバーオリンピック、そしてソチオリンピック。

絶大な期待をされたソチオリンピックは波乱でした。浅田選手は団体戦でトリプルアクセルを失敗、そしてシングルスのショートプログラムでは転倒し、まさかの16位という順位になります。これには誰もが驚愕しました。どうした、真央ちゃん!? メダルはこの時点でほぼ絶望、最後はフリーの演技を残すのみ。浅田選手は相当悩んだはずだと思います。

でも、その時の世界の反応がすごかったのです。ファンは勿論、浅田選手と大会を一緒に参加した選手達の激励。TWITTERやソーシャルメディアにはものすごい応援のコメントがあふれ出ていました。

そしてその後のフリーで、浅田選手は見事なまでに素晴らしい演技を行います。8度の3回転ジャンプを成功させたのです!この時の観客の応援、世界中からの応援はものすごいものでした。順位は総合で6位で終わりましたが、世界は浅田選手の演技に涙していました。

そしてその大会に出場していた選手は、浅田選手の分まで頑張って健闘したのです。その場で結果を出せない選手の為に、頑張ったライバル選手達。その選手達の浅田選手に対するコメントが印象的でした。

「これが真央ちゃんのオリンピックだったんだ」私はそう思いました。トリノオリンピックに出場できていれば、金メダルは確実だったと思う歯がゆい経験、ソチオリンピックでは不振に悩んだけれど、数日で立ち直った精神力と今までで一番見事な演技、そして世界中の選手、ファン、人々からの応援、これらは金メダルにはかなわない大きな感動だったと思います。オリンピックはメダルを争う競技、でも同時に我々観客に夢を見させてくれて、選手の苦しんだ過程に寄り添い、色々な形の感動を与えてくれる。それが浅田選手のオリンピックだったのです。

結果にこだわるものではない。過程はその先にある幸せを作る要素であることを強く信じる

その後浅田選手はプロアイススケーターとなり、別の人生で輝いて過ごされています。彼女の人生は、オリンピックで終了したわけではないということを改めて感じます。

海外移住をどうしてもあきらめざるを得なかった痛みを思う時、浅田選手のこういった姿を思い出すのです。その国が合わないのは、私達のせいではないし、努力が足りないわけではないのです。時としてどうしても自分には合わない方向がある、それを受け止め、そしてその先にある自分には見えていない幸せが、用意された場所で待っているのだと思っています。

3か月の滞在で日本に帰国したMちゃん、帰国直後に運命の人に出会いご結婚されています。欧州に移住し8か月で帰国したLちゃん、不便な生活環境、度重なる怪我や病気、彼氏との度重なるケンカばかりだった暮らしから、帰国後はキャリアアップ、彼氏とも良好関係になっています。

すべて短かった移住経験は、次の幸せにつながる貴重な経験だったと思います。

繰り返しになるのですが、私達はどうしても見える結果だけがすべてになってしまいがち。でも実は結果に見えない思いが、次の幸せを作る一歩になっている、ということを忘れずに、与えられている場で自分らしく生きることなのだと思います。









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